カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
高垣忠一郎氏は共感な他者に支えられて自己信頼感は育つのだといわれる。
「お母さんみて、みて、夕日がきれいだね」と感動する子どものそばで、母親が「ほんとにきれいだね」と受け止め、共感してくれる。 「お父さん痛いよう」と泣く子のそばで、父親が「そうか、痛いか、よしよし」とその痛みを認め、受け入れてくれる。 そんな経験の繰り返しの中で、子どもは自分がそのように感動し、感じてもよいのだと安心し、それを自分の「感動」として、あるいは「痛み」として肯定し受け入れることができるようになります。 自分に共感し、受け入れてくれる他者がいると分かったとき、子どもはそのような自分をそれでよしと受け入れ、信頼できるようになります。 そのような子どもの心には、「それでいいのだよ」と頷いてくれる他者が、しっかりと住んでいます。 その心に住みついた「共感的な他者」に依拠して、子どもは「自分が自分であって大丈夫なのだと「自己を愛し信頼する心」を育てていくことになるのです。 ところが、自分の感じたこと、感動したことに共感してもらえず、それを受け入れてもらえない子どもは「自分が自分であってよいのだ」という「自己信頼感」を育むことができません。 「お母さん、あのお洋服きれいねえ、私あれが好きよ」 「へえ、お母さんあんなのちっともきれいだと思わないのに。おまえはあんなのが好きなのかね」 「お父さん、あの犬恐ろしいよう」 「なぜあんな小さな犬が恐ろしいのだ。おまえは臆病者か」 親からこのような対応をし続けられた子どもは、自分がそれを「好き」と感じ、「怖い」と感じることを、いけないことであるかのように感じ、罪悪感すら持ち始めます。 そのうち親が好きだと感じそうなことを、好きだと感じないといけないような気がしてきます。 あげくに、親が好きだと感じそうなことを先取りして、「お母さん、あの花きれいだね」と言いはじめます。 そうすると親は満足して「そうだね」と肯定してくれる。 いつの間にか、親の感情が自分の感情とすりかわります。 こうして自分の感情を見失っていくのです。 親の感じ方、価値観を押し付け、子どもの感じ方に共鳴し、それを認めてやることのできない親は、こうして子どもの感情を奪っていくことになるのです。 (生きづらい時代と自己肯定感 高垣忠一郎 新日本出版社 35ページより引用) 子どもの感じ方が、どんなに親の価値観、感じ方と合わなくても、「あなたはそう感じているのね」と認めてあげることが必要なのだと思います。 そうしないと、子どもは大人になって自分の感情を素直に受け入れられなくなるのです。 子どもがどんなことを感じ、どんなことに興味を持つかは子どもの自由です。 その感情を認めて、承認してあげることは大切なことです。 不安や恐怖の感情を素直に受け入れられるようになると、それらを目の敵にして悪戦苦闘して神経症に陥ることは無くなるだろうと思われます。 子どもがどんなに親の思い通りにならなくても、基本的にはどんな行動をとるかは子どもの自由です。 子どもから目を離さないようにすることは大切ですが、出来るだけ「かくあるべし」を押し付けないようにして子どもの自由にさせるべきだと思います。 そのように親から承認されることで、子どもの自己受容の力はついてくるのだと思います。 森田の事実本位、事実唯真、事実承認の考え方は、まず子育てに活かしてゆく必要があるのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.02.15 06:54:19
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