カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
玄侑宗久さんの人の話をよく聴くというお話です。
他人の話を聴くとき、すぐに言い返したり、話し終わる前に「分かった」と言ってみたりすることはありませんか。 あるいは「要するに」「まとめると」「結論を言いなさい」「何を言いたいんだ」「君の言いたいことはこうゆうことなんだろう」「時間がないんだ」「君の話を聞いているといつもイライラする」などということはありませんか。 これはもう聴きません、聴きたくありませんというメッセージを発信しているのです。 「誰々さんも同じことを言っていた」「そんなことみんな知ってるよ」「いつも同じことをいうのね」こんなことを言われると、相手は急に話す気持ちがなくなります。 あと無視するというのもそうですね。 こうした態度では、人は寂しさとか、怒りさえ感じるようになります。 すると人はだんだん予防するようになる。 「結局」とか、「どうせ」とか、「やっぱり」とかいう言葉を頻繁に使うようになります。 何事も 言うべきことは なかりけり 問わで答うる松風の音 松風の音を聞くようなつもりで、とにかく素直に聴いてみることが大事です。 その際大切なことがあります。玄侑さんいわく。 別に自分のヴィジョンを捨てることはないですよ。 ただ、それは保留して、一旦相手の認識に沿ってみてみる。 自分の気持ち、意志はしっかりと持っていて構わない。 むしろ持っていなければならないということだと思います。 他人の思惑ばかり考えている人には耳の痛い言葉です。 また、相手の話を聴くときは、五臓六腑すべてが相手の話に耳を傾けている。 顔を背けたり、姿勢が横を向いたりしていては、本当に相手の話を聴いているということにはならない。 心しておきたい言葉です。 私は集談会に参加した時に他の参加者がしゃべられたことはメモしています。 以前やっていたことで効果があったことがあります。 それは参加者を「あいうえお」順にインデックスをつけて該当のところにあらかじめ名前を書いておくのです。これをすると重複する発言は記入しなくてよくなります。また新しい発言内容などはどんどん蓄積されてきます。だからある程度のスペースをとっておく必要があります。これだけで相手のことがより深く分かるようになります。 それを家に帰ってから、気になったことことなどを整理して、次回の集談会での対応を考えてみるのです。あるいはもっとこんなことを聴いてみたい内容を整理してみるのです。 普通は見逃してしまうような小さなことを関心を持っていてくれるということは、相手にとっても大変うれしいものだと思うのです。相手の話をよく聴くというのは、奥が深いことなのです。 それから自己紹介で相手の話をよく聴こうと思うと、自分の番なったら何を話そうかと考えていると、相手の話は上の空になってしまいます。 私は初心者が一人でもいるときは、その人に対して自分が神経症でどん底の状態であった時のことを話します。それはあらかじめ原稿にして用意しています。それを説明するだけです。 初心者がいないときは、そういう話はしません。主としてこの1カ月の間に、森田理論を生活の中に活かしたことや生活の中での最近困っている話などをします。 これは、集談会の当日の午前中に日記を見て話す内容を整理しています。 これを怠るとソワソワして、他の参加者の話を真剣に聴こうという気にならないような気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.01.31 06:30:08
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