カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
森田先生のお話です。
「笑って青山を望めば、山もまた青く、泣いて碧水に臨めば、水もまた泣く」という句があるが、なかなか面白いではありませんか。 世の中は万事、自分の心持によって、青い眼鏡をかけて見れば青く、赤い眼鏡では赤く見ゆるものです。 また自国人の表情は、平常見慣れているから、微細な観察ができるが、異国人のは、それがよく分からない。私共は、西洋人の年齢なども、随分見違いのことが多い。 また、近きを疎んじて、遠きにあこがれるということもある。 自分の庭は、細かに埃が眼につくけれども、遠い山は、綺麗に見える。 身近い人は、その欠点も、いやな忠告などもされるが、他人は欠点も見えず、親切らしく思われるという風である。この心理は神経質にもあるが、ヒステリーには、非常に著明に現れる。 (森田全集 第5巻 602ページより引用) 目の前の出来事や事実を色眼鏡をかけて見ると見間違いが発生するということだと思う。 事実を十分に観察しないで、先入観、思い込み、決めつけなどでせっかちに理解してしまおうとする態度は問題が多いということである。 そういう態度はよくないということは誰でも観念の上ではよくわかります。 しかし実際には、事実に素直に向き合おうとしない人が後を絶たない。 先入観や思い込みの裏には、誰でも今まで生きてきた経験をもとにして、自分独自のモノサシを持っており、その目盛りを押し当てて事実を計ろうとしているからである。 この物差しは100人の人がいれば、100通りのモノサシがあるとは考えていない。 みんな自分と同じの目盛りのついたモノサシを持っていると信じている。 真実はみんな違うものの見方や考え方をしているということが分かっていないのである。 そして、自分のモノサシ自体は、普遍性があり、正しいのだから、問題が起こるはずはないという身勝手な考え方をしている。 その傲慢な態度が表面化すると、事実の取り扱いかたが軽視されることになります。 事実に取り組む態度が甘くなるのです。するとしだいに真実とはかけ離れてしまう。 人間は誰しも、事実を曖昧にして、勝手な解釈で事実をつかんだと思い込みたいのである。 真実を掴みたくはないのかもしれない。真実を掴むことが多少曖昧になっても、早く判断して、対策を立てて、実行に移さないと大変なことになると思ってしまう。 これは大変大きな誤解で、その後の展開を悪化させる原因となっているのです。 森田理論学習をすると、そのことがよく理解できるようになります。 例えば、プロのピッチャーが150キロのストレートでバッターと勝負しようとしているのに、バッターが「ここはスライダーを投げてくるにほぼ間違いはない」と早々と決めつけて対応すると、振り遅れてバットは空を切ることになります。 決めつけるのではなく、いくつかの仮説を立てて勝負しなければ、勝ち目はないと思います。 間違った先入観、決めつけ、思い込みからの行動は、最初から失敗を誘発して、問題を表面化させることが目に見えています。 私たちはぎりぎりまで事実を見極めるという態度を崩してはならないということだと思います。事実を見極めようとしている人は、ギリギリのところで正しい行動の選択を発揮できるようになるのではないでしょうか。 事実を無視する人は、無駄なことにエネルギーを投入している。 また、他人との軋轢を生みだして、人間関係の悪化に拍車をかけているように思えてならない。 よく犬猿の仲といって、犬も食わない人間関係で苦しんでいる人がいるが、最初は事実を軽視するというボタンの掛け違いが、思いもかけない巨大な溝となって立ちはだかってきたのである。 こうならないためにも、森田理論を理解した人は、事実にこだわった生活を目指してもらいたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.12.17 06:20:06
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