カテゴリ:人間関係、不即不離
「存在していて当たり前」「持っていて当たり前」「居て当たり前」「やってもらって当たり前」「問題がないのが当たり前」ということの中に、感謝や価値を見つけることが苦手な人が多いように思います。
たとえば家族がいて当たり前、自分の世話をしてくれて当たり前、友人がいて当たり前、好きな食べ物を腹いっぱい食べられるのが当たり前、仕事があって当たり前、経済的に何不自由がない生活が当たり前、自動車があって当たり前、クーラーがあって当たり前、仕事があって当たり前、ノルマが達成されて当たり前、人間関係が良好であるのが当たり前。健康であるのが当たり前、安全に暮らせることが当たり前。 当たり前ということが習慣になると、なかなか感謝の念は持てません。 当たり前の中にことさら価値を見出す必要はなくなります。 これらは、自由に手に入る空気や食べ物のようなものになるからです。 普段の生活の中では、そこに注意や意識を払うことがなくなってしまうのです。 それよりは、欲しいのに手に入らないもの手に入れる。問題のある現実を解消する。 幸福感をさらに高めることなどを追い求めて、さらに「当たり前」のことを増やそうとしています。 そうこうしているうちに、今まで「当たり前」と思っていたことに問題が発生することがあります。勝って当たり前という相手に、思わぬ不覚を取るようなものです。 今まで「当たり前」と思っていたことには、注意や意識が向けられることがなかったわけですから、精神的にはかなり混乱することになります。 これは今まで「当たり前」のことに光を当てずに、軽率に取り扱ってきたつけが回ってきたと考えてはどうでしょうか。 森田理論は生の欲望を発揮して生きていくことが、人間本来の生き方ですよと教えてくれました。そのことに異論はありません。そのスタンスを維持することが肝心です。 しかしザルで水を掬うようなことをすると、決して幸せは近づいてこないと思います。 何を言いたいかと言いますと、普段から「当たり前」のことに感謝して、評価することに注意や意識を向けていきませんかということです。 自分が今現在生きているということ、自分が持っているもの、恵まれた生活環境、居心地の良い人間関係に「ありがたい」と感謝することを、いつも忘れないようにすることです。 ないものねだりばかりではなく、今存在しているもの、持っているものに光を当てることです。 朝晩、仏壇に手を合わせている方もおられるでしょう。 そこでは先祖様に感謝の念を言葉にして伝えています。 食事をする前には、手を合わせて、食べられることに感謝している人もいます。 この種の行動は、自然に感謝の気持ちが湧き上がってきますね。 「当たり前」のこととして、今まで見向きをしなかったことをできるだけ書き出してみることをお勧めします。そこに大きな光を当てるのです。10個も20個も見つかると思います。 日記を書いている人なら、今日の出来事の中から、「当たり前に感謝」を込めて、毎日3つずつ日記に書きだしてみるのです。これを最低1か月間続ける。 感謝探しは、小さな幸せのかけらを見つけることになります。 考えただけでも幸せになれるような気がしませんか。 それは感謝探しは、「かくあるべし」のつけ入るスキがなくなるからだと思います。 さらにこの手法を人間関係に応用していくのです。 他人が自分にしてくれた「当たり前」と思っていたことに、感謝の言葉でお返しするのです。 「ありがとうございます」という言葉を使うようにするのです。 「申し訳けありません」「すみません」が口癖の人は、早速「どうもありがとうございます」に切り替えましょう。そういう気持ちを持っている人に、他人は安心して近づいてきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.07.08 06:20:06
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