カテゴリ:生活の発見会・集談会
NPO法人生活の発見会という自助組織は、神経症になった人が、全国各地で月1回開催されている森田理論学習の勉強会に参加して、交流を深めながら神経症の克服を目指しています。
そこには利害関係はありません。入会も退会も自由です。政治や宗教とは無縁です。 この団体は、1993年には6000人以上の会員を抱えて大変盛況でした。 この数はNPO法人としては最大級です。 ところが、その後低迷して現在に至っています。 この組織の存在意義を強く支持しているものからすると、その原因を分析して、なんとか復活してもらいたいと切に願っております。 低調の原因はいくつかの要因が複雑に絡み合っているとみています。 1、精神科の敷居が低くなり、神経症の治療に薬物療法が入り込んできたこと。 2、認知行動療法をはじめとした様々な精神療法が百花繚乱の様相を呈していること。 3、カウンセリングの敷居が低くなってきたこと。 4、バブル経済が1990年に終わり、それ以降生活のゆとりが失われてきたこと。 5、生きることに汲々として、神経症で苦しむ人が減ってきたこと。 6、不安の中身がはっきりと特定できなくなってきていること。 7、漠然とした将来不安、対人不安を抱えて、生きる意義を見失ってしまっていること。 8、その日を無難に暮らしていくだけで、生の欲望の発揮が希薄になってしまっていること。 9、その他 これらを総合的に考えると、もう森田療法や生活の発見会の果たしてきた役割は終わってしまったのではないか。時代の大きなうねりの中で、森田療法は自然消滅の運命にあるのではないと思わざるを得ない。少なくとも今の日本人の置かれた状態を考えてみたとき、今の時代には合っていないと思う。神経症の治療として森田理論を役立てようとしていると、どんどんじり貧に追い込まれてしまうと考えています。残念ですが、それが自然の流れです。 では森田先生が考えられた人間学としての森田的な考え方はどうか。 神経質者としての生き方、不安の役割、不安と欲望の関係、観念中心で事実軽視の弊害、事実唯真の考え方、生の欲望の発揮、人間教育、社会教育、子育て、人間や国家の自立、社会の在り方、自然との付き合い方、人間関係の在り方、政治や経済の在り方、欲望の暴走社会の弊害など。これらはこれからの人類史を考えてみたときに、無視することはできない。 今まで無視したからこそ、人類は不幸な歴史を積み重ねてきたと思う。 「今だけ、自分だけ、金だけ」という風潮に流されることは何としても阻止したい。 それが最終章を迎えるということは、人類は絶滅に近づくことになると思う。 この方向を目指すことは、森田理論が森田人間学として脚光を浴びることになると思う。 森田理論は普遍的な人間の進むべき道をしっかりと照らしている。 ですから森田理論の神髄は、世界中の人に伝えていく必要があると考えています。 この方面では、森田理論が時代遅れの遺産として色あせるものではなく、磨けば磨くほど光り輝くダイヤの原石のようなものであると考えています。 そういう視点で自助組織を見渡した時、おのずから道は開けてくるというのが私の考えです。 そういう活動に軸足を移すことで、会員が1万になり、そのすそ野が10万人になり、100万人になる展望が見えてくると思う。 この段階は、森田理論学習の本音と建前がぴったりと重なり合う合流点になると考えています。 そして将来的には森田人間学の考え方が世界中に拡散することを願うばかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.08.06 06:29:00
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