五百旗頭さんが「政変中毒やめたほうがいい」と苦言を呈しています。
それから、大使の嫌いな米中とどう付き合うべきか陳べていますが・・・・
防衛大学校長の戦略的な提言であることはもとより、わりとリベラルで柔軟な提言であると思うわけです。
朝日新聞
<政治時評2012>より
I:五百旗頭真(防衛大学校長)
U:宇野重規(東大教授:政治思想史)
(デジタル朝日ではこの記事が見えないので、2/21朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)
U:「3.11」から間もなく1年。野田政権は奮闘していますが、政権運営は苦しい。自民党など野党は民主党に政権を任せられないと、総選挙を求めています。
I:政変ばかりを求める悪い癖です。特にメディアは好きですね。ドラマティックかもしれないが、民主的にできた政権に仕事をさせるという視点が欠けている。小泉純一郎さんの後はいずれの政権も1年しかもたない。これでは仕事はできません。課題を設定し、やり遂げる意志がある政権なら、仕上げるよう国民が圧力をかけるべきです。
U:矛盾が集中する現在は日本の大転換期だった、となるかもしれません。五百旗頭さんは歴史学者として「時代を生み出すことに苦闘している世代は、その時代について評価するいとまを持たない。視界不良のなかで眼前の障害物を避けること、次の一歩を誤らないことに全神経を集中する」と著書に書かれています。今は、政権が課題を一つずつこなす環境を作るべきである、と。
I:その通りです。日本が岐路に立っているのは確かです。バブル崩壊後の「失われた10年」は2000年代も続き、「失われた20年」になりました。経済も政治も社会もダラダラと下がり、そこの東日本大震災が起きました。
でも、とどめを刺されたと思いきや、そうではなかった。被災地の人びとの振る舞いは世界の賞賛を浴びました。新幹線は脱線せず、サプライチェーンもいち早く復活しました。「部分」は実に立派です。その部分をいい方向に結集できれば、日本全体の再生の機会になり得ます。歴史を振り返ると、日本には国難にあたり再生バネを利かせるDNAがあるんです。
U:ややもすれば悲観論に陥りがちですが、再生バネを信じるべきだと私も思います。
I:先の敗戦から20年で高度成長を実現し、80年代には世界最強のモノづくり国家になりました。明治期には黒舟来航(1853年)から50年の近代化により、ロシアに勝つ国力を持つに至りました。古くは663年に朝鮮半島の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に負けた後、唐の来襲に備えつつ、唐文明に学び、50年後に律令国家の都、平城京を造営しました。今回も日本は再生できると信じています。
U:これまでは対外的な危機と政治体制の大転換が、再生を後押ししました。今回も政権交代を越える転換が必要なのでしょうか。
I:体制を変えれば内容も良くなると考えがちですが、違います。敗戦でも明治でも、旧体制から新体制への政変が心の整理になったのは確かですが、再生はそれとは関係なく進んでいました。政権交代が期待はずれだったからと既存政党を見限り、橋下徹さんらの動きに飛びつくのはどうかと思います。
U:人びとが短期的な視点で政治を見るようになっている。さらに最近は、民主主義を懐疑的にとらえる気分の蔓延すら感じます。
I:政友会と民政党が政権交代を繰り返した大正から昭和にかけての時代、足を引っ張り合うだけの両党に国民はあきれ、既存政党以外なら何でもいいと軍部に政治を委ねて国を滅ぼした。その過ちを繰り返してはいけません。民主党や自民党に足りないところはいっぱいあります。だけど、新しい何かに期待しすぎるのは間違いです。 「あなたは防衛大の校長でしょう。自衛隊を率いてクーデターを起こさないのか」と私に本気で言う財界人がいました。これも一種の病気です。今ある民主主義の制度をどうすればより良いものにできるか、まず考えるべきです。不満はあっても民主主義以外にありません。問題はしっかりした視座を持つリーダーをどうつくるかです。
U:民主主義を担う人材をどう育てるかは大きな課題ですが、どこに人物を求めればいいでしょうか。
I:戦後しばらくは政策立案の訓練を受けた官僚がリーダー役を担いました。その後、地方政治出身者などリーダーの幅も広がりました。私は首長経験者に大きな可能性を感じています。橋下さんもその一人ですが、首長は大統領的な権限がある。ガバナンス(統治)の経験はリーダーに不可欠です。被災地でも福島県相馬市長や宮城県東松島市長は元気ですよね。廃墟から再出発した戦後日本に通じる歴史を、被災地は体験している。現場で鍛えられた人材に期待したいですね。
U:民主主義と外交の関係は難しい。特に政権が代わる時はそうです。中国の台頭など国際環境が動くなか、鳩山政権は日米関係を揺るがせました。
I:政権交代後、民主党は自民党のやり方の多くを否定しようとしました。外交・安全保障の基盤は、ここに海がある、島があるといった地政学的な環境に規定されます。政権が代わっても日本がおかれる条件は変らない。むやみに変えてはいけない部分があります。 鳩山さんの考えは対米対等、対米自立、そしてアジア共同体です。日米機軸を変更するなら、米国の力を借りずにこの島国を守るだけの備えが必要ですが、それには現在の防衛費では到底足りません。そこまでの覚悟なしに、軽い調子で対米自立を言うのは危うい。
U:占領下で米国との関係を重視し、二度と戦争しないと決意したのが、戦後日本の出発点です。
I:防大生は3年生の冬、栗林忠道中将が米軍を相手に熾烈な攻防戦を展開した硫黄島で研修します。彼はこの戦いで戦局を転換できるとは夢想だにしなかったが、抵抗することで米軍の本土上陸を遅らせようとした。日本軍はほぼ全滅したが、米兵はそれ以上多く死傷し、米軍と米政府は大きな衝撃を受けました。それが本土決戦以外の穏当な終戦の方法はないか模索する機運を生み、ポツダム宣言路線が出てきたわけです。
太平洋戦争でのこうした死闘を経て、日米とも互いに甘く見てはいけない、大事にしなくてはいけないという認識を持ちました。それほどのコストを払って築いた同盟関係なんです。日米機軸は戦後、保守本流の教義になり、首相の座を狙うような自民党の有力者はこの教義をたしなみとし、それを土台に戦後の復興と繁栄を図ってきました。
U:歴史的に培われた基本原則は、政権が代わっても十分に尊重する必要があります。
I:政権交代という革命的機運の中で日本の基本原則に揺らぎが生じましたが、その後、首相が交代し、3人目の野田さんになって保守本流の人たちと同じ日米機軸に戻ったのではないでしょうか。
U:その野田政権で在日米軍再編が見直され、沖縄の海兵隊のグアム移転、嘉手納基地以南の米軍基地の返還と、普天間飛行場の移設を切り離して進めることになりました。辺野古移転を進められない日本政府に米国が業を煮やしたという見方もあります
I:切り離しの議論は日本にとっても米国にとっても良かったと思います。普天間移設が鳩山さんの時に行き詰まり、切り離さなければ日米が求める海兵隊のグアム移転ができませんでした。普天間の固定化を懸念する向きがありますが、何も動かないよりずっといい。よく踏ん切りをつけたと思います。動かしながら、日本と地域の安全を沖縄の方々と考えたいものです。
U:中国とはどう付き合うべきでしょうか。歴史的にみても、日本の対中世論はブレがあり、感情論に流されがちです。
I:私は中国は二つあると思います。一つは「改革・開放」から30年間、世界の市場経済のなかで高度成長を続ける中国。国際協調が基本です。もう一つは20年間軍拡を続ける中国。帝国主義列強の支配と戦い、「銃口」から生まれた新中国です。軍事力は中国の存立に不可欠な装置で、今では古めかしく見えるパワーポリティクスを信奉する。どちらか一方だと思うと認識を誤ります。
日本とすれば、中国が「第一列島線」と呼ぶ南西諸島で無軌道な力の行使をさせないよう、自らの防衛能力を整える一方、相互利益の関係も進める必要があります。
米国のプレゼンスを失えば、日本単独の防衛は難しいでしょう。日米同盟プラス日中協商が私の持論です。
U:日米機軸が揺らぎ、中国は存在感を増す。震災復興の負担を社会でどう分け合うか議論が定まらず、政治は迷走を続ける。再生バネは容易ではありません。
I:復興だけでも大変なのに、財政再建や税と社会保障の一体改革、TPPなど超ド級の問題が山積みです。いずれも時間的な余裕は乏しい。政治が厄介な問題を先送りしてきた結果です。
例えば消費増税を野田政権にやらせ、次に政権を担当するときにやりやすくする。自民党がそうした達観を持たなければ、2大政党は共倒れでしょう。対外面では、20世紀の日本が滅んだのは、両側の中国、米国と戦争したからです。21世紀は両超大国との関係をこなし、一緒にやっていかねばなりません。
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