<「ハンカクサイ」の伝播>
北前船による「ハンカクサイ」の伝播が、いかにも人間臭いのである。
「港町ブルース」が好きでカラオケの持ち歌としている大使には、日本海の港を巡る「ハンカクサイ」伝播のエピソードにぞっこんである。
<北前船の寄港地>p206~215
庄内地方、三川町の須藤輝一氏は「酒田は、関西への航路の拠点でした。江戸時代、北前船が盛んに行き来していたんです。庄内は酒田に近くて、上方の影響を大きく受けています」とふるさとを紹介されたが、これは東北の日本海側に住む人々にとって、今でも生活の中で実感できる歴史的事実なのだろう。
私はいくつかの「日本の歴史」シリーズを開け、さらに牧野隆信『北前船の時代』や、宮本常一『海の道』などに学んで、大坂と北国の交流を見きわめようと試みたのである。 「北前船」とは、江戸時代、「天下の台所」と呼ばれた大坂と、北陸・東北、さらに蝦夷の間を往復した物資輸送の帆船のことである。
一方、東北の日本海側から津軽海峡を経由し、太平洋を南下して江戸にいたる「東回り航路」は、あまりふるわなかった。海が荒れ、難破の危険性が高く、しかも江戸は産業未発達の消費都市で、帰り荷として積み込む物資がなかったからであったという。
もし能登半島と東北の北部の「ハンカクサイ」が、上方から直接もたらされたものだとしたら、それは、元禄時代以降に隆盛をきわめた北前船の、船乗りたちのなせる業に違いなかった。やがて私は、明らかに北前船が残した痕跡と思われるものを、アンケート回答に見いだしたのである。
かって北前船の風待ち港として栄えた能登の福浦港、この港を抱える富来町から、まさしく「ハンカクサイ」が回答されていたのだ。
天然の良港・能登の福浦港は、大坂を船出して、日本海に出た北前船の船乗りたちが、北国に向かう前に例外なく体を休めた港であった。能登からは、他に七塚町からも「ハンカ」が、鳥屋町からは「ハンカクサイ」が回答されたが、いずれも福浦港からは遠くはなく、これを取り囲むかのように分布している。
北前船は毎年春、上方の文化的な製品、工芸品、加工品などを積み込んで大坂・兵庫の港を出帆する。瀬戸内海の港々に寄り道し、塩や砂糖を積み足して、関門海峡を通って日本海に出る。船は東に進路を変え、福浦港を経由して、やがて北を目指す。そして秋、綿花などの肥料となる鰊の〆粕、昆布、鮭や米を満載して上方に帰ってくる。それは1年にわずか1往復だけの大航海であった。今に伝わる京のにしん蕎麦、大坂の塩昆布は、こうした北前船の航海の賜物なのである。
北前船が北国にもたらしたものは、上方の物資ばかりではなく、上方の文化、すなわち元禄文化の華やぎそのものでもあったろう。新しい言葉は、そのまま新しい文化であったはずだ。本来、近畿にしかないはずの「アホ」が、山形県の最上川流域など、東北・北陸の各地から回答されたのは、天領米を送り出した代価のひとつとして、大坂から「アホ」の文化をもらって帰った歴史を物語るものだろう。同じような歴史が、「ハンカクサイ」にもあったのではないか?
(中略)
・・・大坂の新町の遊女たちによって「ハンカ」という表現が行われた。やがて「ハンカクサイ」が派生し、これらが町人の間にも広がった。「鈍くさい」「水くさい」「阿呆くさい」など「~くさい」は時代のトレンドであった。
北前船の船乗りは、毎春、加賀の海辺の村々から歩いて大坂にやってくる。彼らは船の修理や荷の積み込みのため、出帆までの1ヶ月をこの大都市で過ごす。そしてこの町で「ハンカクサイ」という新しい表現を学んだ。あるいは遊女たちから直接に、
「あのお方は、はんかくそーござんすわいの」
などと教えられたのかもしれない。
大坂を出帆して1ヶ月、やがて補給と風待ちのための港、能登の福浦港に碇をおろす。
『北前船の時代』には、福浦の船宿にあがった船乗りと遊女(ゲンショ)の交流が描かれている。
船宿には連日、船乗り目当ての遊女たちがつめかけた。「ハンカクサイ」は、まずは遊女が覚えたのであろう。大坂で買ってきたかんざしなんぞを遊女にプレゼントした、船乗りたちは得意げに京・大坂のトレンドを教える。
「『ハンカクサイ』って?そんなダラなぁ(変なのっ)!」
「なにを言う。新町では『ハンカクサイ』と言うのが粋なんじゃ」
新町と聞いたとたん、遊女たちの目がキラリと輝く。福浦の遊女たちは、まだ見ぬ大都会の遊女たちに、ほのかな嫉妬の炎を燃やしている。
「『ハンカクサイ』ちゅうて!新町の女郎を、あんさまぁ、好きながかいね?」
すねた横顔に、
「いや、わしにはやっぱり福浦のおなごが日本一じゃ。言葉のちょっと荒っぽいのを除けばな」
「ふんっ。あんさまーぁ、はんかくさい!」
「おお、言えたではないか、はんかくさい。福浦のおなごは、言葉も日本一じゃ」
こうしてまた、宴は陽気に盛り上がるのであった。
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・・・いかにもさもありなんというエピソードですね。
【全国アホ・バカ分布考】
松本修著、新潮社、1996年刊
<「BOOK」データベースより>
大阪はアホ。東京はバカ。境界線はどこ?人気TV番組に寄せられた小さな疑問が全ての発端だった。調査を経るうち、境界という問題を越え、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。各市町村へのローラー作戦、古辞書類の渉猟、そして思索。ホンズナス、ホウケ、ダラ、ダボ…。それらの分布は一体何を意味するのか。知的興奮に満ちた傑作ノンフィクション。
<大使寸評>
番組に依頼した人の着眼がよかったのか、それを採用し追及させた松本修プロデューサーが偉かったのか♪
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