図書館でたまたま借りた本であるが、砂漠とラクダが借りる決め手になったわけです。
それにサウジアラビアで、心ならずも40℃超という気温を体験したので・・・
この本で語られる辛さがよくわかるわけです。
【サハラ横断砂の巡礼】
前島幹雄著、彩流社、1989年刊
<内容紹介>より
古書につきデータ無し
<大使寸評>
砂漠とラクダは西域フェチの大使をくすぐるし、なんといっても「ラクダと歩いた四八七日」という副題に惹かれるわけです。
大きな図体でねばり強いリズとの一心同体ぶりが、泣かせるでぇ♪
大使のラクダについての拘りは「地図の空白地帯」でもふれています。
Amazonサハラ横断砂の巡礼
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全編にわたって過酷な砂漠が感じられるのだが、その一部を紹介します。
p44,45
休みたいが木陰がない。立ったままゲルバの水を飲む。水分が体に染みていくとけだるい朦朧状態から開放され、大脳が濡れ染みるように感じ呼び水のように額に汗が浮き上がる。砂の熱風で目が乾き、太陽を見るとめくるめくように輝き揺れている。
「リズ・サルサビール、楽園の泉よ。天の導きの道というオマエよ、教えてくれ。人はどのように生きれば良いのか」と私は祈るように呟く。すがりつくように鞍に手をかけ、ゲルバの口を開いて直接水をのむ。水を飲むと命に力を与えてくれる。
私はそうして、朝から休むこともなく4時間も歩行を続け自分の限界が近いことを知る。
「早く日陰を探さなくては、ホントにオレは死んでしまう」と身体全体の水分が蒸発、脱水状態寸前にあることを感じていた。
遠く樹木らしい褐緑色の針木と泉に向かうように歩いていく。私は荷物を降ろし、リズを結束して放し倒れた。苦しくて吐きそうだった。体中が麻痺して静止出来ない。マラソン選手が倒れ転がるようにのたうっていた。
「ダメだ。もうお手上げだ。身体がだるく手も足も動かない」とメモした。
倒れ、1時間後、時計を見ると1時45分。日陰で41度ある。風が強い。3時20分、さらに水を飲んで助かったと思う。凄い竜巻が側で渦巻いている。
まだ苦しい。どうということもなく苦しい。力がない。失われていく。
鏡を出して目を見た。4時45分、湯を沸かし紅茶を飲むと生き返った実感がした。この感覚、生きているという歓びの感情こそが、冒険というか危険な味わいであり、一種の麻薬みたいなものかも知れない。
せめてゲルバに水があれば。ゲルバに3分の1水があれば勇気が湧いて来るが、残り少ない。500ccの紙袋牛乳が5個残っているが前進する意欲はない。やはり一人で歩いて、一頭のラクダとゲルバ一袋の水では無理だ。輻射熱が体を焼きすぎる。「無理だからこそいこう」と昨日考えた。しかし正直言って観念と肉体の生理的反応は違う。昨日の頭痛、疲れ、苦しさ。今日の息をすることも出来ない苦しさ。吐きそうな思いだ。「こうして消えていくのか」といった生の放棄感は危険信号だ。肉体の回復度、情熱にしても肉体的なものだ。目的が200キロならまだしも、あと7000キロある。
リズが遠くにいってしまったみたいだ。
リズを追う気力がなく、夕暮れになって、沈みゆく太陽にむかって2,3キロ探し歩く。リズはいない。暗くなりはじめ絶望的気分になる。
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なんか、漂泊と冒険と根拠の薄い希望がボレロのように繰り返されるが・・・・
ところどころに人類学的薀蓄をはさみ、冗長と感じさせないのが、この本の魅力なのかも。
それにしても…
ラクダを友ととして異文化圏に突き進む著者の無鉄砲さが、すごい♪
著者の前島幹雄さんについて、ネットで探してみました。
やっぱり、破格なアーティストのようですね。
「サハラ横断」と「老人と海」と前島幹雄より
前島さんは俳優座に所属していた根っからの演劇人であるが、一時は演劇の世界を離れ、サハラ砂漠横断をはじめ世界各地を放浪し、その世界では大変有名になったひとである。
この数年、再び演劇の世界から声が掛かるようになっていた。それは年齢からくる風格がにじみ出て、「老人」役の演技者としてスポットライトを浴びるようになったからである。
その集大成が今回の「老人と海」のカジキマグロと格闘する孤独な老人サンチャゴ役であった。 そういえば俳優座の同期生であった故成田三樹夫さんも参加してくれた『サハラ横断 砂の巡礼』の出版記念会のことを思い出す。
その会の発起人の交渉のためにお会いした俳優座の主宰者・故千田是也さんが語った、「前島さんはお酒を飲んで舞台にあがり、演劇を壊したことがあるほど繊細な神経の持ち主なんですよ…」 彼はその時の悔しさを、今、晴らしているのかもしれない。
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