図書館に予約していた『天安門』という本を、待つこと4日でゲットしたのです。
このところ多和田葉子の作品を集中的に読んでいるが・・・
リービ英雄も日米を往還し、日本語と中国語に堪能な作家であり、どこか多和田葉子を彷彿とするのです。
【天安門】
リービ英雄著、講談社、1996年刊
<「BOOK」データベース>より
史上初!アメリカ人の芥川賞候補!上海の女、毛主席が破壊した米外交官の家。アジアの巨体な歴史に揺さぶられるひとりの白人少年-日本アメリカ中国を越境する新しい世界文学の傑作。
<読む前の大使寸評>
このところ多和田葉子の作品を集中的に読んでいるが・・・
リービ英雄も日米を往還し、日本語と中国語に堪能な作家であり、どこか多和田葉子を彷彿とするのです。
<図書館予約:(9/17予約、9/21受取)>
rakuten天安門
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この「北京越境記」(続き)の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。
p92~95
<北京越境記>
花束を手に、次々と参拝者が毛主席の彫刻の前へ進んで、花束を頭の上に抱えて、二回礼をする。
夏のはじめに、弟の葬儀の朝、ぼくは線香を持って、今と同じ仕草をしたのを、とつぜん思い出した。
「はい、一列、二列、そうそう、二列を作るのよ」
オバさんの声が、優しいが厳しい幼稚園の先生の声に聞こえだした。一日中あきもせず、子供たちに単純な作業を繰り返し教えこむような声。彫刻の毛主席の横顔をうかがいながら、そんな不思議な連想をしてしまった。「老百姓」にとって元来の共産主義は、一人にいっぱいずつ、「鉄板椀」を与える、一生つづく幼稚園のようなものだったかも知れない。
彫刻の毛主席の前にあるテーブルに花束の山ができていた。
オバさんの声が遠くなった、「快! 快!」(急げ、急げ)とどなる兵士の命令が耳の横で鳴り響いた。
人の列が左に曲がると、より薄暗い木のパネルの通路に入った。次の部屋の入口が見えた。
後から押されて先へ動くと、入口の向こうに、中国の最も聖なる空間が、人々を待っていた。群衆はしんとしていた。
とつぜん、前の方でするどい音がした。
ビービービービービー
という音が人に埋った暗い通路の壁にこだました。
「課長さん」のポケベルが鳴り出してしまった。
「課長さん」があ然とした顔になって、あわてて腰に付いているポケベルを手探りした。
が、間に合わなかった。
ビービービービービー
考えられない場所でとんでもないことが起きてしまったとき、それに気づかなかったふりをする、という礼節の普遍的原則、か、その音が耳に入らなかったかのように、まわりの人はみな緊張した無表情を保った。
資本主義の甲高くけたたましい音が消されて、通路の中は再び静まりかえった。
後から押されて、ぼくは入口に近づいた。
そして奥の部屋の入口に付いた。
右、左のガラスの壁の間に、槌と鎌だけの「原共産主義」の旗に包まれて、遺体があった。
「快! 快!」と兵士の声だけが響いた。
2、3秒で、「毛主席」の横を通り過ぎた。特急列車に乗って小さな山脈をすっと通り過ぎるように、よくルージュされたほおの老人の遺体の横を通り過ぎたのだ。中国の歴史をひっくり返した「力」そのものの、どこかおだやかな死顔の前で、一瞬思わず立ち止まろうとすると、耳の後でいかった英語の声・・・GO! GO!・・・が響き、あっという間にその部屋を出てしまったのだ。
茫然として、数百人といっしょに次の、売店に並んでいる部屋にたたずむと、「毛主席」という中国語が頭の中をかけ廻り、「よく知っている人」の死体を見てしまったというショックとともに、毛沢東に会ったとき、ようやく、二十世紀には英雄などありえないことが分かった西洋の作家のことばが頭に浮かんだ。
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『天安門』2:北京越境記
『天安門』1:「天安門」の語り口