朝日の(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズをスクラップしているのだが・・・デジタルデータとダブルで保存するところが、いかにもアナログ老人ではあるなあ。
三谷さんが、脚本の「当て書き」について語っているが・・・興味深いのです。
<(三谷幸喜のありふれた生活1080)僕が考える「当て書き」とは>2022.03.31より
ここで何度か書いているが、僕は「当て書き」の脚本家である。演じる俳優さんに当てて、その人がどんなことをしたら面白いか、どんな台詞を言ったら恰好良いか、などを想像してホンを書く。だからキャスティングが先行していないと、何も思い浮かばない。脚本家としては失格の部類に入るのかもしれない。
この「当て書き」が、間違えて捉えられる。俳優さんの普段の性格を踏まえて、その俳優さん自身の個性を役に反映させるのが「当て書き」と思っている人が多い。そうではない。そこまで僕は俳優さんたちを知らない。
「鎌倉殿の13人」で言えば、もちろん劇団時代からの仲間も出てくれているが、例えば源義経役の菅田将暉さんとは、パーティ会場のトイレで一度挨拶しただけだし、八重役の新垣結衣さんは、クランクイン前にNHKの会議室で15分ほどお話ししたに過ぎない。この目でその人を見ておいた方がイメージは掴みやすいので、先日もドラマの後半に登場する若い女優さんと、局の控室でお話しする機会を作って貰った。
そんな程度である。だから役の個性イコール演じる俳優のキャラでは決してない。豪快な和田義盛役の横田栄司さんは、本来は真逆の物静かな紳士なのである。
登場人物を淡々と殺して回る恐怖の善児を演じる梶原善。30年近く知っているが、普段の彼に「殺し屋」の面影は一つもない。綺麗好きでお洒落で頭の回転が早い。それが本来の彼。でも「殺し屋」の印象が皆無の彼だからこそ演じて貰いたくなった。彼なら無の表情で殺戮を繰り返す善児を魅力的に演じてくれるに違いない。そしてそれに気づいたのはきっと世界で僕だけ。つまりこれが本来の「当て書き」なのである。
でもたまに、想像で書いたのにそれが演じる俳優さんの普段の姿に似てしまうケースもある。「三谷さん、よく見抜きましたね」と言われたりもするが、それは僕の洞察力が優れているわけではなく、たまたまである。
以前、「総理と呼ばないで」というドラマで、居眠りばかりしている副総理役で出て頂いた藤村俊二さんが、「あの役はまるで僕だった」とおっしゃっていた。嬉しい偶然。
|
(三谷幸喜のありふれた生活984)答えのない問いの中で2020.03.24
(三谷幸喜のありふれた生活964)先輩、仲間、「育ての親」2019.10.17
久々の封切り映画:記憶にございません!2019.10.09
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』2022.03.08