図書館で『ワイルドサイドをほっつき歩け』という本を、手にしたのです。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』というドキュメンタリーを読んで以来、著者のファンでおます。
【ワイルドサイドをほっつき歩け】
ブレイディみかこ著、筑摩書房、2020年刊
<「BOOK」データベース>より
EU離脱、競争激化社会、緊縮財政などの大問題に立ち上がり、人生という長い旅路を行く中高年への祝福に満ちたエッセイ21編。第2章は、現代英国の世代、階級、酒事情についての著者解説編。
<読む前の大使寸評>
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』というドキュメンタリーを読んで以来、著者のファンでおます。
rakutenワイルドサイドをほっつき歩け |
まず「はじめに」を、見てみましょう。
p6~8
<はじめに おっさんだって生きている>
「世界に目をやり、その問題を見てみれば、それはたいてい年老いた人々だ。道を開けようとしない年老いた男性たちである」
2019年12月、米国のオバマ前大統領がシンガポールでこんなことを言ったらしい。
世界が激動・混迷するこの時代、「おっさん」たちは何かと悪役にされてきた。
トランプ大統領が誕生したのはおっさんのせいで、EU離脱もおっさんのせい。どうして彼らは過去の「良かった時代」ばかりに拘泥し、新しい時代の価値観を受け入れようとしないのか。
セクハラもパワハラもおっさんのせいだし、政治腐敗や既得権益が蔓延る(はびこる)のもおっさんたちのせい。リベラルな後退も世の中が息苦しくなっているのもおっさんのせいなら、排外主義も社会の劣化もすべておっさんが悪い。彼らは世の諸悪の根源であり、政情不安と社会の衰退の元凶だ。
なんかもう、おっさんは世界のサタンになったのかというような責められ方ではないか。
だけどこれにはおっさん側にも言い分はあるだろう。だいたい「年老いた男性が道を開けない」とか言っても、彼らだって本当は道を後進に譲って隠居し、ゆったり暮らしていきたいと思っているかもしれない。が、高齢化が進む社会では年金受給開始年齢も上がる一方で、働ける間は働かないと食っていけないからこちとら道を譲りたくとも譲れないんだ、老体に鞭打って若者と張り合わなければならない身のしんどさを考えてみろ、という切実なつらみを吐露したくなることもあるかもしれない。
それに、よく考えてみると、むかしは「お年寄りには道を譲りましょう」と言うのがふつうだったのであり、現代では「老いたやつが道を開けない」と言ってオッケーになっているというのはけっこう無礼だ。そりゃいまのおっさんたちはベビー・ブーマー世代と呼ばれる人たちで、数がやたらと多く、それが一斉に年を取っているわけだから、ひとりひとり大切にして道を譲っていたら若者の歩くスペースがなくなってしまう。
それに、年寄りの数的圧迫感は下の世代にとってはおそろしい。こんなにわんさかいる世代の年金を、なんで少数の自分たちが負担しないといけないわけ、みたいな不平等感はいつしか嫌悪感に代わる。
しかし、同じ年寄りでもおばさんはそこまで責められない。過去の「良かった時代」にすがりつき、強硬にEU離脱を唱えていた中高年女性をわたしは何人も知っているが、おばはんが世界のサタン扱いされないのは、やはり女性はマイノリティーということで糾弾を免除されているのだろうか。とにかくいまの世の中、おっさんだけを別枠扱いし、問題はあいつらがのさばっていることだと言っておけば良識の持ち主でいられるらしい。
英国なんかだと、とくに「けしからん」存在と見なされているのは、労働者階級のおっさんたちである。時代遅れで、排外的で、いまではPC(ポリティカル・コレクトネス)に引っかかりまくりの問題発言を平気でし、EUが大嫌いな右翼っぽい愛国者たちということになっている。
とはいえ、おっさんたちだって一枚岩ではない。労働者階級のおっさんたちもミクロに見て行けばいろいろなタイプがいて、大雑把に一つには括れないことをわたしは知っている。なぜ知っているのかと言えば、周囲にごろごろいるからである。
彼らが世界のサタンになる前からわたしは彼らを知っている。だから、おっさんがサタンなどという神の敵対者になれるほど大それた存在とは思わない。彼らは一介の人間であり、わたしたちと同じヒューマン・ビーイングだ。
おっさんだって生きている、生きているから歌うんだ。おっさんだって生きている、生きているからかなしいんだ、とつい歌いたくなってしまうのもそのせいだろう。おっさんの手のひらを太陽に透かして見れば、彼らの血潮だって真っ赤に流れている。さらにその年季の入った血管からは、現代社会の有り様だけでなく英国の近代史が透けているのだ。
そして、「おっさんは道を開けろ」と言われても、まだ人生という旅路にしがみつき、ワイルドサイドをよろよろとほっつき歩いている彼らの姿を観察していると、わたしにはある一つの世界を貫く真理が胸に迫ってくるのを抑えられない。それは、シンプルな言葉で表現すればこういうことである。
みんなみんな生きているんだ、友だちなんだ。
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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』6