図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を、手にしたのです。
「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・
もっとも好きな監督になるのかなあ。
【映画の巨人たち リドリー・スコット】
佐野亨著、辰巳出版、2020年刊
<「BOOK」データベース>より
SFから歴史劇まで、幅広い題材を描きながら、人間の悪意や文明論など明確なテーマ性と独自の映像美で、いまなお第一線で活躍し続けるリドリー・スコットーその魅力と本質をさまざまな角度から読み解く!
<読む前の大使寸評>
「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・
もっとも好きな監督になるのかなあ。
rakuten映画の巨人たち リドリー・スコット |
冒頭の論考を、見てみましょう。
P22~24
<人生はあわき夢のごとく:渡部幻>
「意思を持つことは感情を意味する。木狩りを感じることもある。この作品の重要なテーマだね」(『デンジャラス・デイズ:メイキング・オブ・ブレードランナー』)
リドリー・スコットは、映像の造形力で崇められる巨匠だが、同時にドラマチックなストリーテラーで、人物のキャラクターと役者のリアリティを重視してきた演出家でもある。
ブレードランナーより
最初期の『デュエリスト/決闘者』『エイリアン』『ブレードランナー』から一貫しており、手の込んだ特殊効果と撮影・美術などの技術的な興趣のみに終わらぬ人間くさい感動を観る者の中に残してきた。技術面で絶大な影響力を誇りながら、常に追随者と一線を画すのは、人の生き死にに対する彼独特の感慨に由来し、それを、多彩なジャンルを貫く強靭なバネにしてきたのである。
偉大な大監督というより人情家の指揮官といった風情のリドリーは(実際、王立美術大学に入学する前に、「あと一歩で」英国海兵隊に入るところだった)1977年のイギリス映画『デュエリスト/決闘者』で劇映画デビュー。1979年の『エイリアン』を経て最初のアメリカでの撮影作品となる82年の衝撃作『ブレードランナー』が続いた。
美術とデザインに精通する稀代のフィルム画家は、大過去から近未来、都会の猥雑から戦場の混沌まで実に様々な「映像の絵画」を描いてきた。軍隊、警察、巨大企業などのシステムと個人の対立を好み、主人公には欠陥を抱えたはみ出し者を好む。
彼ら彼女らは社会や組織の捨てゴマに過ぎず、何らかの任務を背負わされた末に既知の認識を揺るがすカルチャーショックを経験する。熾烈な生存闘争の中に投げ込まれ、自らの限界と真実と向き合い、怒りと悲しみを通過して、ある種の悟りへと至るのである。
リドリー映画の多くに共通するのは暗く理不尽な暴力と死の世界観。光と影のコントラストを駆使し、善と悪、男と女、人種と人種、文明と文明、人間とテクノロジーが火花散らす地獄のかまどを造形。そこには熾烈なサバイバルがあり、ある者は生き残り、またある者は死んでいくが、やがて両者を対立させた壁が溶けると、儚く物寂しげな死生観が沁み出してくる。その詩的な余韻に『ブレードランナー』をひとつの典型とする彼の芸術の魂があるが、そうした一貫性が彼を一風変わったメジャー作家にしてきたのだ。
「ハリソンは人間だと言い張る。でも映画の最後に、彼はユニコーンを拾いうなずく。あれは納得のうなずきだ。“実は誰かが自分の私的な夢を知っていた”とね。鈍いな(笑)」(映画史ドキュメンタリー『ハリウッド映画の1世紀 1980年代』)
『ブレードランナー』を2019年に振り返るリドリーの言葉。ハリソン・フォードが演じたデッガードは、果たして人間なのか、それともレプリカントだったのか? これほどその「定義しがたさ」ゆえにファンを魅惑してきた作品もなかなかない。驚異的な重層性からなる映像の迷宮が、理路整然とした解説の全てを煙に巻いてしまうのだ。
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この本も
リドリー・スコットの世界に収めておくものとします。