図書館で『中国・ロシアに侵される日本領土』という本を、手にしたのです。
このところ、中国・ロシアが連携して軍事訓練を行っているが・・・中国・ロシアとの国境の領土がいかにして侵されてきたかという事実が怖いのである。
【中国・ロシアに侵される日本領土】
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山本皓一著、小学館、2022年刊
<「BOOK」データベース>より
海上保安庁と中国海警船が“海戦”を繰り広げる尖閣諸島、ロシア艦船の監視に怯えながらのコンブ漁北方領土、習近平が狙う太平洋進出の標的沖ノ鳥島/南鳥島、韓国によって「日本人の歴史」が消されていく竹島、「日本人が行けない日本領土」を撮り続けた国境カメラマン全記録。
<読む前の大使寸評>
このところ、中国・ロシアが連携して軍事訓練を行っているが・・・中国・ロシアとの国境の領土がいかにして侵されてきたかという事実が怖いのである。
rakuten中国・ロシアに侵される日本領土
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まず日中覇権のかなめ「第1章 尖閣諸島」を、見てみましょう。
p77~81
<中国海警船をブロックする海保巡視船>
石垣島の名蔵湾を出港してから約10時間。夜明けの海に魚釣島が姿を現した。
東海大学の海洋調査船「望星丸」に乗り込んだのは、調査の主体である石垣市の中山義隆・市長以下、東海大学の山田吉彦・海洋学部教授ら、市職員と研究者で構成された調査団23名。私は過去の尖閣諸島取材の経験を認められて、メディア関係者としては唯一、同行取材を許された。
「あれが、魚釣島ですか・・・」
神秘的な夜明けの光景を目の当たりにした中山市長がつぶやいた。初めて魚釣島を自らの目で見た者は、必ずその意外な大きさに驚かされる。
2022年1月31日、午前6時30分。波の音に交じって日本語と中国語が相互に飛び交う様子は、望星丸の艦橋にも流れていた。
〈こちらは日本国海上保安庁。貴船は日本の接続水域に入っている。領海には入らないように・・・〉
望星丸の周囲を7隻の船が航行している。中国海警局の「海警」2隻と、それを取り囲む海上保安庁の巡視船5隻だ。数に勝る海保の巡視船が、調査船を完全にガードし、追尾してきた中国船の接近を許さない。中国船への対応は、すべて海上保安庁が担う。山田教授によれば、調査船が中国船と直接交信する行為は、中国海警局による管轄権行使を既成事実化する恐れがあるからだという。
海保の万全な動きもあり、海洋調査が始まった。海水サンプルの採取も、中国船からは見えない形で行われた。
その後、戦中にこの地で遭難した犠牲者たちを弔う献花が洋上で行われていた時、船内に緊張が走った。中国船が突如、望星丸の方向に舳先を向けたからである。監視していた海保の巡視船がただちに中国船を挟み込むようにしてブロックする。身動きがとれなくなった海警船は、ついに速度を落としながら去っていった。
石垣市と東海大学による尖閣海洋調査は、日本の国境政策において画期的な意味を持つものだった。
なぜか・・・。
それは、日本政府が尖閣諸島を国有化して以降、初めて実効支配強化に向けた取り組みを「承認」したことを意味するからである。
調査計画は、海洋問題の第一人者として知られる山田教授が中心となり、5年がかりで温めてきたものだった。私は実施直前に計画を知らされ、同行取材を承諾してもらうことができたが、計画の漏洩には細心の注意が払われており、守秘に関して念押しされていた。
調査はわずか7時間ほどであったが、目的は達成できたと思う。研究者による海洋調査とともに、目視による島の状況も確認できた。
(中略)
船着き場近くの鰹節工場跡の石垣はかなり崩落し、海岸には無数の漂着ゴミが打ち上げられていた。2012年9月11日の尖閣諸島の国有化以降、日本人の上陸は以前にも増して厳しく制限されたため、魚釣島は自然の猛威にさらされ、荒れ放題になっていた。
2022年は「尖閣諸島国有化から10周年」にあたるが、強引で稚拙な国有化を進めた民主党政権の掲げた「平穏かつ安定的な維持・管理」とは裏腹に、魚釣島は「打ち棄てられた島」になっていた。
今でも悔やまれるのは、国有化の直前に行われていた東京都による尖閣海域洋上調査(12年9月2日)が実を結ばなかったことである。
都の依頼で私も同行したこの調査は、当時の石原慎太郎・都知事が「東京が尖閣を守る。どこの国が嫌がろうと、日本人が日本の国土を守るためだ」と宣言し、都による尖閣購入を前提として進めたものだった。調査団の中には「妥当な購入価格」を査定する専門家も含まれていたほどだ。
ところが、調査団が石垣島に帰港した翌日の朝刊各紙には、唐突な「尖閣国有化」の記事が踊った。民主党政権による買収の経緯には数々の怪しげな裏話もあるのだが、いずれにせよ政府が石原氏の購入計画を横取りした結果、尖閣諸島は国民から“隠される存在”になってしまったのである。
今回の調査を終えて石垣港に帰着した途端、私たちは石原慎太郎氏の逝去を知らされた(22年2月1日没)。尖閣諸島の重要性をどの政治家よりも理解していた石原氏は、地元自治体(石垣市)と海上保安庁、そして山田教授ら研究者たちが協力した海洋調査が無事に終わったまさにそのタイミングで旅立った。不思議な巡り合わせというほかない。
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