図書館で『文学界 5月号』という雑誌を、手にしたのです。
表紙のコピーに特集「追悼・大江健三郎」、特集「ハンチバック」とあるので、借りる決め手になったのです。
【『文学界 5月号』】
雑誌、文藝春秋、2023年刊
<「BOOK」データベース>より
雑誌に付きデータなし
<読む前の大使寸評>
表紙のコピーに特集「追悼・大江健三郎」、特集「ハンチバック」とあるので、借りる決め手になったのです。
rakuten『文学界 5月号』
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特集「追悼 大江健三郎」から島田雅彦×朝吹真理子の対談の冒頭部を、見てみましょう。
p216~218
<対談 理性と狂暴さと>
■深い絶望と、希望
島田 大江作品は20世紀に文学少女・文学青年だった人にとっては必読の書で、避けて通れない門でした。私もその例にたがわず、初期作品を経て、同時代に発表されたものをほぼ網羅的に読んできました。大江さんの読者はひじょうに幅広くて、デビュー当時に生きていた野上弥生子や井伏鱒二のような19世紀生まれの人から、大江さんの父親世代に当たる野間宏、大岡昇平、埴谷雄高など戦後派の作家、第三の新人、そして古井由吉、阿部昭のような同世代の人、さらには中上健次、村上春樹、そして私たちの世代、さらにその下という具合に続いています。
読者のジェネレーションだけでも6世代以上に及ぶ。大江さんはそれぞれに誠実に対応し、年少の人の作品も熱心に読まれていた。私はちょうど大江さんの訃報があった3月13日に61歳になったんですが、大江さんは私よりずっと下、朝吹さんのジェネレーションの人たちにまで影響を与えていることを自覚した上で、彼らの作品をフォローし、的確な批評を与える役割も果たしていました。大江賞もそのような場を提供した。だから影響を受けない人の方が少ない。受けてないとしたらモグリだとさえ言える。
私は高校生くらいの時に初めて『芽むしり仔撃ち』『性的人間』などの作品を読みました。大江文学の中毒者への道は、初期作品のあの野蛮さに触れる体験から始まると思うのです。あんな野蛮な時代が日本にあったのも驚きですが、その記録である初期作品に見られる人物の屈折、絶望、内容の奇天烈さにやっぱり毒されました。それまでの読書とは全く異質な体験だった。こんな過酷な、暗い青春があるのかというショックから始まっています。
朝吹 大江さんと私はだいたい50年の隔たりがあるようです。大江健三郎にしても古井由吉にしても、初めて読んだ時にはもう亡くなった作家だと思っていました。
でも大学生のときに、古井さんが文壇バーの「風花」で朗読会をやっているのを知って、生きているのかと驚いた。大江さんは社会運動の声明文で知って、古井さんよりはまだ生きているっていう感じはあったんですけど。
私と大江さんの出会いは、「武満徹とたいへん親しい作家」としてでした。武満の著作の中には大江さんの作品からインスピレーションを得ているものがたくさんあるし、大江さんがエッセイに書いている、武満が大江さんの家にマタイ受難曲と平均律クラヴィーア曲集ノレコードを持っていったら、大江さんが4時間無言でそれを聴き続けて、終わって武満が冗談半分で、肩をぐるぐる回しながら帰ったというエピソードがすごく好きでした。
そのエッセイの中に、武満が大江さんに、“プレリュードとフーガを繰り返し進めていくのが、バッハの音楽のすごいところだ”みたいなことを言って、それで大江さんは人間の歩みはこのようにして進んでいくのだと確信を得たと書いてあって、私はなんかよくわからないけれどそこに大変感動して、その後『新しい人よ眼ざめよ』や『静かな生活』を読んだんです。
(中略)
時系列を追って読んでいったわけではないので、大江さんの凶暴さと理性、そのバランスがどんなふうに動いていったのかは全然知らないんです。でもすごく好きで、本当に尊敬している作家の一人です。
島田 『新しい人よ眼ざめよ』や『静かな生活』から、その履歴をたどり直すようにして初期作品を読んだら仰天するでしょう。しかしやっぱり初期作品の、過剰なまでのイカ臭さがその後の日本現代文学の方向性を決めちゃった感じがしますね。中上健次も村上春樹も影響の不安にさらされ、イカ臭さを踏襲してしまうのですが、その伝統は大江作品から始まったといってもいい。むろん、私も例外ではありません。
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『文学界 5月号』2:横尾忠則さんの大江評
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