図書館で「中国、モンゴルの砂漠を訪ねて」という本を手にしたのです。
当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。
【中国、モンゴルの砂漠を訪ねて】
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/60339c691cc3ebf6e7881e00ac17b47efc33479b.26.9.9.3.jpeg)
大谷和男著、風詠社、2020年刊
<「BOOK」データベース>より
砂漠には人を惹きつける不思議な魅力がある。高さ500m超の砂山、彼方まで続く地平線、砂の世界に浮かぶ湖、満天の星、美しい日の出、動物が描かれた岩絵…。バダインジャランの雄大な自然に魅せられ通い続けた砂漠歩きの記録。
<読む前の大使寸評>
当時(2014~19年)のモンゴルのゴビ砂漠のカラー写真が多く見られる本になっているが・・・現在ではビザが下りないのではないでしょうか。
rakuten中国、モンゴルの砂漠を訪ねて |
まず「Ⅱ章」で、内モンゴル自治区の砂漠を、見てみましょう。
p75~85
<1 トングリ砂漠(2016年)>
■(1)はじめに
2014年5月にバダインジャラン砂漠、2015年5月にタクラマカン砂漠探検を敢行した。バダインジャラン砂漠では、砂まみれになり砂漠を歩き、美しい湖を眺め、標高差250m程度の砂山を登るのも大変で大汗をかいて登るなどの体験ができた。タクラマカン砂漠では、新疆ウイグル自治区での行動の不自由さはあったが、ケリヤ人の郷を訪問することができた。
今回は、政情が不安定な新疆ウイグル自治区は避け、バダインジャラン砂漠近くの内モンゴル自治区のトングリ砂漠へ行くことにしたが、今回はいつも私の勝手な旅を手配してくれている旅情中国の〇さんに中国人のツアーに入ることを勧められ、中国人のツアーに入ることにした。上海駐在員時代に中国の会社の社内旅行で団体で中国人と旅をしたことを思い出し一抹の不安を覚えたが、たまにはこういうのも面白いだろうと開き直り出かけることにした。中国で4番目に大きいトングリ砂漠を中国人達と歩いてみるという旅に出た。
■(2)トングリ砂漠ツアーの構成メンバー(大谷以外は全て中国人の総勢78人のグループ)
(ドクター、カメラマン、コックを含む、30名、40名の2グループ、トラック1台、4WD車3台など記されているが、詳細は中略)
■(3) 行程
(4/29~5/7 詳細は中略)
■(4) 行動の記録
2016・4・29 上海
今回は一人旅だが、砂漠では中国人の集団に入ることになる。また、後半は上海駐在員時代に住んでいた上海・青浦区のホテルでゆっくり過ごすことにしている。思えば中国勤務から帰任して8年の歳月が経っている。もし今年3月に会社を辞めていたらこのGWに中国に行くことはなかったであろうと思うと、これが中国へ行くのも最後かもしれないと思ったりもした。(中略)
やりたいことは、何事も後回しせずに、できるチャンスがあるときに実行しておかないと後悔することになると思いながら日本を出発した。
(大きく中略)
2016・4・30 銀川
トングリ砂漠は内モンゴル自治区だが、銀川は寧夏回族自治区になる。
(中略)
朝7時過ぎに食堂に行くと混雑している。よく見ると、これから砂漠に行くような格好をしている人ばかりだ。若い人が多いし女性も多い。トングリ砂漠は人気で砂漠ツアーは流行っているのかもしれないと思った。中国人は自然よりも人工物が好きだと思っていたが、最近変わってきたのであろうか。
10時にこのホテルのチェックアウトを済ますと、温さんが隣のホテルから迎えに来てくれた。隣のホテルへ移動すべく温さんと隣のホテルへ行ってみるが、何と隣のでは日本人を泊められないらしい。日本人だけが泊められないのか外国人全てなのかよく分からないが、これもよくあることである。結局、元のホテルに戻った。
(中略)
人民広場は地図を見て予想したより遠かった。やっと人民広場に着くと、人民広場の広さをまず漢字たが驚くべきことに毛沢東の像が立っていない。寧夏回族自治区の回族のリーダーと毛沢東が握手する像が立っているのではないかと予想していたが、ただ広い広場では凧揚げをしている人がいるだけだった。
人民広場は面白くなかったが、近くに博物館を発見。博物館で勉強することにした。入場は無料で、区の中心に位置する大きな規模の博物館では無料というのも珍しい気がした。歴史に関する部分を中心に見学。やはり黄河流域のこの辺りの歴史は古く、動物等の絵が刻まれた岩や石等の展示、土偶のような写真の展示が印象的だった。漢の時代のものも目立ったが、項羽と劉邦の時代は新しいと言わざるを得ない。
|
『中国、モンゴルの砂漠を訪ねて』1:タクラマカン砂漠