図書館で『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』という本を手にしたのです。
巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。
【辺境メシ ヤバそうだから食べてみた】
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高野秀行著、文藝春秋、2018年刊
<「BOOK」データベース>より
人類最後の秘境は食卓だった!食のワンダーランドへようこそー辺境探検家がありとあらゆる奇食珍食に挑んだ、驚嘆のノンフィクション・エッセイ!
<読む前の大使寸評>
巻頭のカラー写真の数ページを眺めると、確かにおぞましいというかヤバい感じを受けるわけで・・・高野さんの胃腸はどうなっているのかと思ったのです。
rakuten辺境メシ ヤバそうだから食べてみた |
まず「はじめに」から、見てみましょう。
p9~11
<はじめに>
子供の頃から胃腸が弱く、好き嫌いも多かった。
動物の内臓(モツ)や皮、キノコ(特にシイタケ)、香辛料の効いたもの、漬け物や外国のチーズなど、ちょっとでも見かけがグロテスクだったり、臭かったり、クセがあるものは全然受けつけなかった。
それが一気に変わったのは大学探検部の遠征でアフリカ・コンゴへ行ったときだった。やむをえない事情から、サル、ゴリラ、ヘビなどの野生動物を片っ端から食べるはめになった。他に食糧がないから、食べないわけにはいかない。当時は毎日のように「こんなものも喰うのか」と驚いていた。
でも、いざとなれば食べられてしまうし、けっこう美味かったりもする。
これが人生における「食ビッグバン」となった。
コンゴから帰ると、好き嫌いは一切消滅していた。シイタケやモツなど、毛がからまったチンパンジーの肉に比べたら鶏のささみのように素直な食品に思える。食の可動域が極端に広くなったのだ。
もし関節の可動域が急に広がれば、誰もがいろいろなことを試してみるにちがいない。上海雑技団のように背中をそらせて足の間から顔を出してみたり、針金細工のように複雑なヨガのポーズをとってみたくなるだろう。
同じことが私にも言えて、食の可動域が広がると、いろいろなものを食べてみたくなる。実際、辺境の地へ行くと、日本の都市部では考えられないような料理や酒が食卓にのぼる。
「こんなもの、喰うのか」とやっぱり驚くし、「ヤバいんじゃないか」とも思うが、現地の人たちが食べているのを見ると一緒に食べずにはいられない。食べてしまえば意外に美味しいことが多い。すると、また食の可動域が広がった喜びに包まれる。
感覚が「ヤバそうだけど食べてみよう」からやがて「ヤバそうだから食べてみよう」に変わっていく。人間、こうなると歯止めがきかない。
だが、「なんでも食べられる」ことは、実は私の仕事にとって欠かせないスキルでもある。
環境や文化が全く異なる人たちのところに行って溶け込むために最も大切なことは、その人たちと同じ生活をすることだ。つまり、同じものを同じように食べ、なるべく彼らの言語を話し、同じ場所で寝て、一緒に歌ったり踊ったりする。
私たちだって、そうだろう。ナイジェリア人とかベルギー人がうちに来たとして、彼らが私たちと一緒に納豆や刺身をぱくぱく食べて「オイシイ!」と片言の日本語で言うのと、「ノー、そんなキモチワルイものは食べられない」と英語やフランス語で断り、遠目で眺めているのと、どちらが親近感を覚えるだろうか。答えは言うまでもない。
ただ、いつもそれが良い結果を生むわけではない。
コンゴに四回目に行ったときは長距離バスの中でサルの燻製肉がまわってきた。誰かが大きな固まり肉を持ってきて、まるでみかんかせんべいをお裾分けするかのように、車内の客に分けていたのだ。一人ずつガブッと噛みちぎっては隣の客に手渡す。
私も躊躇なくそれを食べたところ、乗客の人たちから歓声があがった。「外国人がサル肉の回し食いなど絶対しない」と思っていたのを覆されたからだろう。こうなると、一気にその世界に溶け込むことができる。だが、溶け込みすぎて、カネをたかられたり、騙されたりもした。現地に溶け込むとは、食い食われすることだから、しかたないのだが。
そうこうしているうちに辺境旅も30年以上が過ぎ、いつの間にか莫大な数の寄食珍食が私の体を通過していた。正直言って、日本人でこれまで私ほどへんな食べ物を食べた人は何人もいないんじゃないかと思う。
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