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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.09.26
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カテゴリ:国内旅行
ーー​​​​​が(その12)の散策ルート。


『大佛次郎記念館』の下の人工のせせらぎ沿いの散策道を歩く。



丘の上には、ガゼボ(gazebo)と呼ばれる西洋風四阿(東屋・あずまや)。



このカスケードと呼ばれる階段状の水流の左右にある階段道をのぼると、
観光バス「赤い靴号」のUターン場所でもある噴水広場に出る。



『山手111番館』。
山手111番館は、横浜市イギリス館の南側にあるスパニッシュスタイルの洋館。
ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、港の見える丘公園のローズガーデンを見下ろす建物は、
大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設された。
設計者は、ベーリック・ホールと同じく、J.H.モーガン。



玄関前の3連アーチが同じ意匠ですが、山手111番館は天井がなくパーゴラになっているため、
異なる印象を与えます。 大正9(1920)年に来日したモーガンは、横浜を中心に数多くの作品を
残していますが、山手111番館は彼の代表作の一つ。
赤い瓦屋根に白壁の建物は、地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟造り。
創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、
2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していると。
 


そして『噴水広場』に到着。
この噴水は、日本初の近代水道が横浜に完成したことを記念して明治20年に横浜停車場前広場に
設置された噴水塔を再現したものだそうです。
(横浜水道記念館には同じ意匠の「横浜水道創設記念噴水塔」があります)。
4メートルの高さがあり、まさに塔のような、凝った造りの噴水。



噴水の広場のベンチに座り、しばし水分補給と休憩。



そして『谷戸坂』に向かって進む。



右手に先程訪ねた『横浜市イギリス館』の正門が。



『港の見える丘公園前交差点』前を通過。この先が『港の見える丘公園 展望台』。



ここが正式な『港の見える丘公園』の入口なのであろう。



『山手ローズテラス』の正門。



真っ直ぐ坂を登ると『東洋信号通信社』。



こちらが『港の見える丘公園 フランス山地区』の正門。
この時期は6時~19時の間は開いているようだ。



『やとざか』を元町に向かって下る。



『クリーニング業発祥の地』碑。
横浜開港後、本格的な西洋式洗濯の需要が高まり、多くの業者が開業し、現在のクリーニング業に
発展しました。安政6(1859)年、青木屋忠七が「外国人衣類仕洗張」の許可を得て外国人相手に
衣類を洗濯したのがクリーニング業の始まりといわれています。
同じくクリーニング業の祖の一人、脇澤金次郎が店を営んでいたとされるフランス山谷戸坂付近は
水のよく出る場所で、「クリーニング業発祥の地」の記念碑が立っています。
石鹸は明治6(1873)年に堤磯右衛門がフランス人から製法を教わり製造を開始しました。



『山手迎賓館 横浜』。
古き佳き横浜・山手に佇む結婚式場。



『あかいくつ号』。
横浜中心部の観光地を巡る路線を走るバスとして、2005年3月28日より運行を開始した。
一般市民からの公募で「あかいくつ」の愛称が決定し、当初からその愛称で運行・案内されて
いるが、書類上では271系統となっている。愛称は童謡『赤い靴』に由来する。



左手が『横浜元町商店街』。



元町川岸通りの角にあったのが歴史ある桜の木・『シドモア桜』。。
紀行作家で「日本・人力車旅情(Jinrikisha Days in Japan)」の著者であるアメリカ人女性、
エリザ・R・シドモア(1856~1928年)さんの写真が掲載されていた。



シドモアさんは1885年(明治17年)頃、ジャーナリストとして日本各地を人力車で訪ねて、
日本の文化や風俗を欧米に紹介した方です。この文章が「日本・人力車旅情」というタイトルで
出版されました。日本語訳は横浜の有隣堂から出版されています。
アメリカに帰国後シドモアさんは、日本の桜並木の素晴らしさ母国でも再現したいと、
ワシントン市のポトマック河畔に桜並木を作りたいと提案しました。
シドモアさんや世界的化学者で実業家でもある高峰譲吉氏の尽力があって、1912年(明治45年)、
東京市から寄贈された6000本の桜の苗木を積んだ「阿波丸」は、2月14日横浜港から出航した。
3月27日にワシントン市で開催された植樹式にはシドモアさんも参加されたと。
ポトマック河畔の桜並木は、世界的な桜の名所になっています。毎年3月末から4月初めの
シーズンには、「桜まつり」が開催され、多くの観光客が訪れています。



『横浜元町商店街』を散策したが、土曜日の12時近くであったが以前に比べて
人出が少ないと感じたのであった。



『横浜元町商店街』店舗配置案内図



革製品専門店『ヒロキ』の店頭には、真っ赤なクラシックカーが。



近寄って。
赤いクラシックカーが店頭からはみ出していたが目的は『客寄せ』?



老舗のジュエリーショップ『CHARMY』。
創業52年目を迎えた、横浜元町の株式会社CHARMYはこの度、腕時計専門店
『COMMON TIME 横浜元町 by CHARMY』を移転リニューアルオープンしたのだと。
ビルの角に設置された『​カリヨン時計​』👈リンクが12時・正午の鐘を奏でていた。
カリヨン(carilon)には「組み鐘、鐘演奏」の意味があり、多数の鐘を音律に従って配列し、
鍵盤の機械仕掛けにより打ち鳴らす楽器。
CHARMYのカリヨンの鐘は、オランダのロイヤル・アイズバウツ社で鋳造され、時計と
制御装置は」ベルギーのクロコマティック社で製造された。
伝統技術と最新技術をもった両社が協力して作り上げるカリヨンは現在、
世界のトップ・ブランドとして評価されているのだと。



そして12時をすぎると元町通り周辺は『歩行者天国』に。
元町仲町通りにあったのが『ファニーの像』。



元町・霧笛楼の入口付近にちょこんとある銅像。土台には「’88」、
「新槐樹社委員・竹林昭吉作」の記述があり、それほど古いものではなさそう。



元町公園に向かって坂を登っていくと左手にあったのが
『ジェラール水屋敷地下貯水槽』。



横浜市街地の井戸水は塩分を含んでいて、飲用には適していませんでした。
他方、市街地近くの丘陵地帯の麓には良質の湧水が多く、上水道が整備されるまでは、
そうした湧水を汲んで市中を売り歩く「水屋」の姿も見られました。
この点に着目したアルフレッド・ジェラールは、山手の麓に水源を確保し、パイプを敷設して、
山下居留地や寄港船舶に供給しました。これを見た横浜の人々は、ジェラールの給水業のための
施設のことを「水屋敷」と呼ぶようになりました。
横浜の水は船の中で保存しても腐りにくいと評判だったそうです。
この施設は明治10年代(1878〜1887年)に築造。設計者、施工者は不明。平成11年(1999年)、
ポケットパーク的に現在の姿に整備され、平成13年(2001年)、国登録有形文化財となりました。



更に坂を上っていくと右手には『元町公園水泳場事務所』が。
1868年ごろ、フランス人実業家のアルフレッド・ジェラールは、居留地77番と呼ばれた
この地を取得。湧水を活用した、船舶向けの給水事業や、「ジェラール瓦」と呼ばれた
西洋瓦の工場を開設した。ジェラールが1878年に帰国したのちも後継者により操業が
続けられたが、1907年に工場は売りに出された。1920年に大正活映の映画撮影所、
1922年に日本人による「ジェラール給水会社」が設立された。
1923年の関東大震災では設備が損壊したが、水源は被災者たちを潤した。
1927年、横浜市はこの土地の永代借地権を買い取り、1930年に元町公園としたと。



プール管理棟は煉瓦工場をイメージして建てられ、その屋根の一部には
「ジェラール瓦」が用いられていると。 
複数の市民らから寄贈を受けた「ジェラール瓦」を1999年度に葺き直したと。



『ジェラールの瓦とレンガ』説明板。
この外国人居留地に住んだ人達は、初めは日本で造られた瓦で葺いた日本建築に棲んでいたが、
だんだんと西洋風の建物を作り棲む様になって来た。 
当然ながら建築資材は輸入に頼る事になり、品不足と言う事態が起き、そこに眼を付けた
ジェラールは此処に瓦とレンガの工場を建て、製造に携わった。
現存するこの管理棟の屋根に使われている瓦には1850年代の年号とサインが入っていると。



ジェラール水屋敷、西洋瓦・レンガ製造工場跡は、1930(昭和5)年横浜市青年連合団の
提案により、湧水を利用したプールが建設され、周囲一帯は公園として整備された。



『ジェラールの瓦工場と水屋敷跡の石碑』。



『元町公園プール』
横浜唯一の公式プールとして昭和5年につくられた元町公園のプール。
水屋敷の名のとおり湧き水なので真夏でも非常に冷たいのだと。



プール脇の坂を更に登っていくと左側には『カトリック山手教会 納骨堂』が。



納骨が行われているのであろうか?多くの参列者の姿が。



横浜外国人墓地の最南端の外にある、カトリックの聖職者たちが眠る墓地。



『貝殻坂』。
元町公園と外国人墓地の間を通り山手本通りへ至る『貝殻坂』。
坂上を見上げると横浜山手聖公会の建物が顔をのぞかせ、頂上手前でL字に大きく曲がり
階段となる景観が特徴的。
坂の名の由来は、外国人墓地の崖土の中に貝殻片が混ざっていたから、周辺に貝塚があったから、
などといわれる。



『外国人墓地』説明板。
安政6年6月2日(1859年7月1日)の開港後、横浜に居留した外国人の墓地として、
横浜の発展に尽くした外国人たちが眠る墓地が横浜外国人墓地。もとはペリー提督の艦隊の
中の一隻である「ミシシッピー号」の墜死した水兵を葬ったのが始まりで、ペリーの要求した
「海の見える地」という条件に合致する山手の高台が選ばれて墓地が築かれました。
横浜開港後は、遺留外国人の葬地となり、生麦・井土ヶ谷事件の被害者や、ワーグマン、
モレル、ヘールツなど日本文化に貢献した人物が眠っている。



埋葬者の名簿。



外国人墓地からランドマークタワーが見えた。



多くの十字架が。



そして再び『山手本通り』に戻る。
『ヨコハマ山手観光案内』ボード。




                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2019.09.26 00:00:17
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