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カテゴリ:未来の自分を創る!
「知識とは何か?」 しかし、知識とはいったい何か?
以前にブログで「情報とはそもそも何か?」について書いた。 情報には次の3段階がある。 ・コンセプト=0次情報(心から発せられる思い、考え方、仮説) ・サイエンス=1次情報(思いや仮説が事実で検証された結果) ・インフォメーション=2次情報(他人が検証した結果の伝聞)
一般に「知識」と呼ばれる情報は、このうちインフォメーション(2次情報)を指している。 他人の話やマスコミ情報や本に書いてある「知識」だ。 サイエンス(1次情報)も他人に伝えた瞬間に知識(2次情報=伝聞情報)となる。 しかし、2次情報だけでは、それを鵜呑みにすることになる。
「知識」そのものは、どんなに蓄積しても「新しい知識」を生まない。 (自分にとって未知の知識でも他人から見たら新しい知識ではない) やはり、自分自身の思いや接した事実から仮説を立て、事実を通じて検証していくプロセスなしには知識創造はできないだろう。
そのために、知識が思いや仮説を立てるのに役立つことは確かだ。
つまり、これには次のようなサイクルを形成することが必要だ。 コンセプト⇒サイエンス⇒インフォメーション(⇒コンセプト) このサイクルによってこそ、新しい知識が累積級数的に生まれる。
逆に言うと、このサイクルが回っていない活動からは新しい知識は生まれない。 知識をためることだけを指して学力と呼ぶのはもうやめよう。 私はこのサイクルをまわす力が「学力」だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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一等さん
>大賛成でございます! > >私は2次情報は全く信じません。 > >やはり、経験に勝る情報はなしです! ----- さっそくありがとうございます。 いっぽう組織としては、1次情報と2次情報の間の組織として背景目的を含めて共有できる1.5次情報の明示化と共有化が大切になりますね。 (Nov 18, 2007 01:03:06 PM)
この考え方は、まさにマニュアル(手順)か、ナレッジ(経験)か、の考え方になると思えてしまいます。
サイクルを回すことは、つまり失敗と検証を重ねることと理解するとよく納得できるのですが、一方では、『失敗するとやだな~』『笑われたり怒られたりするのはやだな~』と考えてしまう自分がいます。 こんなこと書いて笑われたらどうしよう~とかですね(苦笑)。 (Nov 18, 2007 04:02:56 PM)
MY7☆さん
>知っても活かせなければ、意味ないですよね~。 >知活→想像→創造→・・・ >となればイイと思うんですが・・・ >なかなか・・・ ----- それも新しい分かりやすいプロセスですね。 つまりは、2次情報として捉えるだけでなく、サイクルを回して頂けたわけですね! (Nov 18, 2007 04:41:52 PM)
junpapakazuさん
>この考え方は、まさにマニュアル(手順)か、ナレッジ(経験)か、の考え方になると思えてしまいます。 > >サイクルを回すことは、つまり失敗と検証を重ねることと理解するとよく納得できるのですが、一方では、『失敗するとやだな~』『笑われたり怒られたりするのはやだな~』と考えてしまう自分がいます。 > >こんなこと書いて笑われたらどうしよう~とかですね(苦笑)。 ----- 失敗をどうとらえるかは、組織文化を規定してしまうくらい大きなポイントです。 もう昔の話で引用もあまりされなくなりましたが、ホンダの失敗表彰は、それがあったからこそ世界のホンダになったと私は考えています。 失敗を表彰して笑い飛ばしてしまうくらいのフトコロが必要です。 ・・・ただし、論理は厳しく問われます。 過去の2次情報を自分としてどれだけの新しい視点から捉えて新しい仮説を創ったのか、あえてリスクを犯すだけの価値ある失敗なのかどうか、です。 (Nov 18, 2007 04:50:47 PM)
ユウコ2007さん
>二次情報も大事な情報源なのですが、それだけを >固く信じるってのが駄目なのですよね。 > >あれ・・・なんかプレゼンのヒントが・・・ ----- そうそう、 「鵜呑みはやめましょう・・・ 上のサイクルを回せるようにする仕組みをご提案するのです」とか・・・(笑) (Nov 18, 2007 04:54:23 PM)
知る、そして、識るということで知識になります。情報を五根(感覚)で感知することを五識と言います。それは、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識に分かれます。この五識とした情報を情操(脳幹)を通過させることで、知識は知恵に変わります。知恵こそ、想像であり第六感識であります。コンセプト0次情報を意識、サイエンス1次情報を認識、インフォーメーション2次情報を知識と識界区別をされていると思います。確かに、プロセスメカニズムはそのようになっていると考えます。間違いありません。しかし、知識外意識を重要に感じています。わからないこと、知らないことのほうが、圧倒的に多いですから、この世にある知識より知識にならない意識を大切にしたいと思っています。それは、意味や意義や目的がいちばん肝心な理性や理念の基盤です。またそれは、顕在意識より潜在意識の方が能力的に優れているのに似ています。
(Nov 19, 2007 01:20:46 AM)
〆飄飄さん
>知る、そして、識るということで知識になります。情報を五根(感覚)で感知することを五識と言います。それは、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識に分かれます。この五識とした情報を情操(脳幹)を通過させることで、知識は知恵に変わります。知恵こそ、想像であり第六感識であります。コンセプト0次情報を意識、サイエンス1次情報を認識、インフォーメーション2次情報を知識と識界区別をされていると思います。確かに、プロセスメカニズムはそのようになっていると考えます。間違いありません。しかし、知識外意識を重要に感じています。わからないこと、知らないことのほうが、圧倒的に多いですから、この世にある知識より知識にならない意識を大切にしたいと思っています。それは、意味や意義や目的がいちばん肝心な理性や理念の基盤です。またそれは、顕在意識より潜在意識の方が能力的に優れているのに似ています。 ----- ありがとうごさいます。 わからないことを意識することが大切ですね。 同感です。 私は知性とは、目の前にある事実から目の前にない背景や意味について推論することだと考えています。 (Nov 20, 2007 01:07:41 AM)
情報とは「心が動く役立つ知識」という意味だと解釈します。よって「知識」>「情報」の式が成り立ちます。知識は単独で存在できるが、情報は複合しなければ存在できない。より価値の高い情報を入手するには、分母の量たる知識の量が必要になります。その情報が活用される構造が、発起→承認→運転→結果→(発起)の起承転結のトルネードメカニズムだと考えられます。発起、発足、出発にまつわる有価情報の概念定義が、コンセプト→サイエンス→インフォーメーション→(コンセプト)という解釈でよろしいでしょうか…?!
(Nov 20, 2007 02:42:53 AM)
〆飄飄さん
>情報とは「心が動く役立つ知識」という意味だと解釈します。よって「知識」>「情報」の式が成り立ちます。知識は単独で存在できるが、情報は複合しなければ存在できない。より価値の高い情報を入手するには、分母の量たる知識の量が必要になります。その情報が活用される構造が、発起→承認→運転→結果→(発起)の起承転結のトルネードメカニズムだと考えられます。発起、発足、出発にまつわる有価情報の概念定義が、コンセプト→サイエンス→インフォーメーション→(コンセプト)という解釈でよろしいでしょうか…?! ----- どうもです。 ありがとうございます。 だいたい良いような気もしますが・・・ 知識とは、実はとても不完全なものですね。 だからそれをもとにコンセプトを立てて仮説検証してこそ、その真偽も確認されようというものです。 逆に、そうでなくて知識そのものだけに接してその真偽を確かめることの難しさを感じます。 (Nov 21, 2007 01:48:54 AM)
学ぶ力、学べる力、学ばせる力、学んだ力、学んでいる力、学んでいた力、学ばされた力、学びたい力、etc.どの力が学力なんでしょうか…?漢字の熟語は、捕え方で意味が変化しますから、いつも注意深くしています。たぶん一般的には、「学んだ力」だと、皆、認識しているはずです。発見した知識をこねくり回すことで、知識は知恵に生まれ変わります。例えば、TVという物体。宇宙人がやってきてこの箱を見つける。始めは単なる箱に紐が出ている「?」の物体という知識。いろいろ触っているうちに、突然スイッチが入り、画面に映像が出て、音が鳴りだす。「!」これは、情報が送られてくる端末の箱だという知識に変わる。そして、チャンネルを変えると他の情報に切り替えれらるという知恵になる。この流れから学力とは何か?という命題の答えは、「学んだ力」というよりも「学べる力」と解釈した方が懸命かもしれません。学力の有無を尋ねるとき、その知識の量を問題にするのではなく、新たなる知識に出会ったときに果敢に解明してゆく能力の有無を問題にするべきですね…。
(Nov 24, 2007 02:52:48 PM)
〆飄飄さん
>学ぶ力、学べる力、学ばせる力、学んだ力、学んでいる力、学んでいた力、学ばされた力、学びたい力、etc.どの力が学力なんでしょうか…?漢字の熟語は、捕え方で意味が変化しますから、いつも注意深くしています。たぶん一般的には、「学んだ力」だと、皆、認識しているはずです。発見した知識をこねくり回すことで、知識は知恵に生まれ変わります。例えば、TVという物体。宇宙人がやってきてこの箱を見つける。始めは単なる箱に紐が出ている「?」の物体という知識。いろいろ触っているうちに、突然スイッチが入り、画面に映像が出て、音が鳴りだす。「!」これは、情報が送られてくる端末の箱だという知識に変わる。そして、チャンネルを変えると他の情報に切り替えれらるという知恵になる。この流れから学力とは何か?という命題の答えは、「学んだ力」というよりも「学べる力」と解釈した方が懸命かもしれません。学力の有無を尋ねるとき、その知識の量を問題にするのではなく、新たなる知識に出会ったときに果敢に解明してゆく能力の有無を問題にするべきですね…。 ----- ありがとうございます。 思考実験頂いたとおりで、学力とは「学んだ力」ではなく、「学ぶ力」という立場です。 それも、二次情報ではなく、一次情報、0次情報を接した事実から虚心坦懐に新しく生み出す力です。 ひょっとして今の一般論とえらく違いますか??? (Nov 24, 2007 11:40:40 PM)
一般的に学力は、学んだ知識の量で評価していませんか…?そうでなければ、基礎学力低下の調査を試験ですることじたいに矛盾があります。過去完了型教育から、未来志向型教育へシフトチェンジするべきではないでしょうか…!難しいですか。
(Nov 25, 2007 12:14:14 AM)
〆飄飄さん
>一般的に学力は、学んだ知識の量で評価していませんか…?そうでなければ、基礎学力低下の調査を試験ですることじたいに矛盾があります。過去完了型教育から、未来志向型教育へシフトチェンジするべきではないでしょうか…!難しいですか。 ----- 日本以外の先進国はとっくに転換しているのではと思いますが。。。 (Nov 25, 2007 12:23:18 AM) |