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カテゴリ:思い出
このちょいと古びた記念写真は昭和38年(1963)夏、わが大学の写真部『WPS』の志賀高原合宿のものです。 懐かしい顔ぶれが並んでいます。 折からカメラが一眼レフ時代に移る時代でした。 私が高校二年のときにニコンFが発売され、一眼レフが時代をリードするようになったのです。 先輩たちにはまだ一眼レフに進んでいない人も居ましたが、私の学年はほぼ全員一眼レフでした。 ニコンF、アサヒペンタックス、ミノルタSR、ペトリフレックス色んなの並んだものです。 そして、この時代以降のものはクラシックカメラではないとされてきました。 でも、このメンバーの人間の方はすでにクラシックの仲間入りしています。 同輩は今度の給付金では20000円口ですね。 この写真に写っている後輩の一浪以下の賢かったやつは12000円組です。 まあ、ほぼ全員『老齢者』になったわけです。 鈴木、小倉、中村、秋山、中林、土倉、秋山、石橋、中山、大倉… 田中、深山、森下、茂木、池上、中山… プロを目指した者、雑誌社のカメラマンになった者、普通のサラリーマンになったものがほとんどでしたが中には写真で飯を食ったやつもいましたね。 この頃に、日大に芸術学部写真学科なんてのが出来てきて写真業界が大きく変わって行く時代でもありましたね。 それまでは、うちの写真部のような学生写真部出身のやつが大手を振って新聞社や雑誌社のカメラマンになって行ったのですがねえ… 今じゃあ、専門学校が一杯出来て何だか知らないけど職人的なテクニック?を振り回すように変わったようです。 私の時代の写真部なんてのは、人生論、社会論、芸術論が先に立ち、ちょいと左気味に理論武装した者が格好よく見えたものです。 実態はかなりの部分、マージャンに明け暮れていたのですけどね。 で… 私は中途半端にいまだに写真をアマチュアでやっています。 そして、いまだにニコンFを後生大事にメインカメラにしています。 そして、大人になりきれず、相変わらず少し斜に世間を眺めています。 私の青春の多くの部分が、先ごろ壊された、「5号館・商学部」の地下にあった写真部の部室にありました。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/04/17 06:14:33 PM
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