御所と花々
京都御所が一般公開されていた。春と秋の2回あるかと。無料だし、学生時代以来超久々に入ってみた^^宜秋門(ぎしゅうもん)かつて藤原全盛時代に道隆、道兼、道長の3人で夜に肝試しをして道隆は宜秋門を出た先の松原で怖くなり引き返したとか^^門の彫刻は中国の逸話でしょうが、どんな話なのかな❓❓清涼殿内の障壁画にも、釣り好きの太公望や三国志の諸葛亮公明などの肖像画があるらしいが、中国との関りは深いですね。紫宸殿の左近の桜は、まだまだでした・・・45年前は右近の橘、左近の桜の近くまで行けたと思うんですが^^しかし、その時のは、奥の小御所や学問所、御三間(おみま)などへは行けなかったように記憶していますというか、行った(見た)覚えがない^^清涼殿には、部屋の中に狛犬があった。なんで❓❓そして年中行事を書いた衝立も。年に281の行事が書かれていると。365日で281なので、けっこう忙しいですね^^ま、私は今年、これまでの3か月ですでに100以上の行事❔❓^^をこなしているので、圧勝ということで^^清涼殿は平安中期から天皇の住まいとして定着したそうですが小御所が儀式の場として使われたそうですがその前にお庭池がありました。欅橋(けやき)だと。洲浜の飛び石は舟着場だと。舟を使う行事もあったのかな。小御所江戸期は将軍や大名との対面などに使ったと。明治維新では、将軍に対する処置を決めた小御所会議が開かれたと。西郷隆盛、大久保利通、後藤象二郎、岩倉具視、松平春嶽、山内容堂らが幕府へ領地と官職を返還することなどを決めた。この会議に、長州が入っていない❓❓のは、ちょっとビックリですが討幕急進派で、外されたのかな❓❓蛤御門の変などで朝敵とされ官位剥奪された居たか❓❓三条実美らも。手前の広場は蹴鞠の庭右手の学問所(写ってません^^)で、14歳❔の明治天皇が王政復古の大号令を発したと。御台所跡には桜や松が。手荷物検査を受けて入った清所門から出てきました~桃かな。深紅の桃❓桃の方が色が濃く、花が大きく、目立つような^^白いのは❓❓こちらは梅かな❓❓これは❓桜❔❓要するに、花を見ても、何の花か、わからない・・・^^ま、きれいです~❣❣今出川通りから入り、丸太町通りへ抜けましたが最後に閑院宮邸跡の池でカワウが日向ぼっこしてました~