私の金デモのブログは2月14日が最後で、それ以降はコロナウィルス禍でずっと別の話題と休みが続いていた。外気の中の行事とはいえ、デモは繁華街を歩くので慎重にならざるをえなかったのである。3月11日がやってくるのでメモリアルイベントが計画されていたのだが、それもなしになった。やっとのデモ再開である。
元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/6/12 18:17~18:38)
日中は仙台としては真夏のような気温だった。昼前に15分ほど歩いて歯科医院に行ったが、だいぶ汗をかいた。それでも、元鍛冶丁公園に向かう午後6時ころには涼しくなって、20分ほどの道のりで汗をかくことはなかった。
元鍛冶丁通りに入ると通行人が多くなったのでマスクを着用した。集会が始まったばかりの公園に着いて、顔見知りに挨拶をするなり「手を出して」とアルコールをと吹きかけられた。私がいつも吹きかける量に比べればずっと少なかったが、携帯用のスプレー容器ではやむを得ないのだった。コロナ禍が始まってすぐ携帯用スプレー容器を買ったが、噴霧量が少なすぎて誰も使わないまま玄関に放ってある。
主催者挨拶では、デモの許可や公園の使用許可をもらうときにソーシャルディスタンスを守って行うように強く念押しされたとので協力願いたいという話があった。しばらくはコールはなしで、メッセージは録音したものを流し、これまでは3列で歩くデモは2列で行うということになった。
フリートークでは、6月14日開催の「女川原発2号機再稼働を止めよう!作戦会議」の案内があった。5月中旬にコロナウィルス感染の非常事態宣言が解除された宮城県では女川原発2号機再稼働の「地元同意」手続きに動き出すことが考えられるため、県内で原発問題に取り組む諸団体が集まって今後の運動方針について話し合うというのである。
そのため、定員130人の会議室を準備したが、50人ほどに参加者を限定して、それ以外の方には、「ZOOM」を用いてインターネットを通じて参加してほしいということだった。
15分という短い集会が終わって、40人の参加者はまだまだ明るい仙台の繁華街に向けて出発した。
一番町。(2020/6/12 18:39~18:52)
ここ3カ月ほどは、コロナウィルス関連のニュースがメディアに溢れていて、原発関連のニュースはあまり目立たなかった。目立たないからといって、重大な動きがなかったわけではない。
最も気になったニュースは、「福島原発の避難指示、未除染でも解除へ 国の責務に例外」(6月3日付け朝日新聞DEGITAL)という記事だった。
東電福島第一原発事故による放射能汚染地域に次々と避難指示解除を発して、原発事故をなかったかのようにしたい自公政府は、このままでは避難指示解除ができない高濃度汚染区域について除染をしていないままでも避難指示を解除できるようにする方向で最終調整に入ったとニュースである。
もともと政府が定めた放射性物質汚染対処特措法は、汚染地域を除染することを国の責務と定めている。そのうえ、避難指示解除の要件は、①線量が年20mSv以下に低下する、②水道などのインフラ整備や除染が十分進む、③地元と十分な協議をする、というのが自公政権の方針として決められている。
年間20mSvという被ばく線量自体が、事故後に急ごしらえで作った無茶な被ばく量なのだが、それすら放棄しそうな勢いなのである。たしかに、将来人が住む見通しがないなどの条件を満たした地域を除染しないということらしいが、それでも帰還する人たちは高濃度汚染地域と隣接しながら暮らさなければならないのである。
このニュースに接して、かつて人が立ち入らない森林の除染を政府が放棄したとき、社会学者の赤坂憲雄さんが「山野河海(さんやかかい)を返せ」と主張したことを思い出した(2016年1月17日付け福島民報)。ほんとうに切実に思い出した。このブログで引用させてもらったが、もう一度引用しておく。
わたしは民俗学者である。だから、見過ごすことができない。生活圏とはいったい何か。人の暮らしは、居住する家屋から20メートルの範囲内で完結しているのか。もし、そうであるならば、民俗学などという学問は誕生することはなかった。都会ではない、山野河海[さんやかかい]を背にしたムラの暮らしにとって、生活圏とは何か、という問いかけこそが必要だ。
〔中略〕
除染のためにイグネが伐採された。森林の除染は行われない、という。くりかえすが、生活圏とは家屋から20メートルの範囲内を指すわけではない。人々は山野河海のすべてを生活圏として、この土地に暮らしを営んできたのだ。汚れた里山のかたわらに「帰還」して、どのような生活を再建せよと言うのか。山や川や海を返してほしい、と呟[つぶや]く声が聞こえる。
そのうえ、卑怯きわまりないことに「除染後に解除する従来方式と除染なしの新方式のどちらを選ぶかは、地元自治体の判断に委ねる」というのだ。故郷を捨てがたい思いにかられる人々に判断責任を押し付けるというのだ。自分たちは手を汚さず、被災住民が自分たちの責任で除染しない高濃度汚染地域に帰還することを期待しているのだ。
もう一つ、「やっぱりメルトダウンだった…東電幹部が「隠蔽」認める」(5月31日付け日刊ゲンダイDEGITAL)というニュースもあった。
東電福島第1原発事故が「炉心溶融」(メルトダウン)」という原発事故としては最悪の事故だったにもかかわらず、東電はその事実を認めることはなかった。そのことについて、東電の姉川尚史原子力・立地本部長が30日の会見で「炉心溶融に決まっているのに『溶融』という言葉を使わないのは隠蔽だと思う」と発言し、東電は炉心溶融であることを知っていたにもかかわらず隠蔽し続けていたことを事実上認めたというのである。
事故当初から、「メルトダウン」が起きているに違いないと多くの専門家は判断していたし、そう主張する人もいた。ごく少数の御用学者が「メルトダウン」は起きていないと主張していたが、まもなく「メルトダウン」は周知の事実となった。にもかかわらず、長い間東電はその事実を隠蔽し続けたのは、自公政府(通産官僚)との協働作業あってのことである。安倍政権の本質だが、科学的事実、法的正当性を権力によって暴力的に無視してきたのである。
東電はなぜ今頃になって「隠蔽だった」と公然と語り出したのか。事故から9年も経過して、責任意識が薄れ、あたかも〈時効〉によってすべてが免責された気分が彼らに蔓延しているのではなかろうか。自公政府が高濃度汚染地域の除染を放棄したいという意識を明らかにしたのも、いっさいの責任がチャラになる〈時効〉気分に浸っているためではないか。そんなふうに疑ってみる。
しかし、日本で起きた歴史上最悪の原発事故の責任に〈時効〉などありうるはずがない。まだ多く避難者が苦しんでいるのに〈時効〉など赦されるわけがない。多くの子どもたちが甲状腺癌に苛まれているのに〈時効〉などと思うことすら許されない。この原発事故で大きく揺らぎ傷ついた日本の科学・技術、いや世界の科学・技術はその歴史に深く事故の記憶を刻み込んだ。科学・技術に〈時効〉はない。
青葉通り。(2020/6/12 18:54~19:05)
デモの40人という人数はコアの人数(おそらく20~25人)よりは多いうえに、2列でソーシャルディスタンスを維持するのでデモの列は意外に長くなった。その列の最後まで写真を撮って、また列の先頭まで急ぎ足ときどき小走りで戻るのは意外と歩きがいがあるのだった。
明るい時間に元鍛冶丁公園を出発したデモが青葉通りの流れ解散地点にさしかかるころにはしっかりと夕闇に包まれていた。ときどき吹く風が涼しい。
コロナ禍の自粛で十分な休息だったはずなのに、じつのところ、この数日は疲労気味なのである。自粛のホームスティというのはそこそこ忙しいのだった。みんなで分担するはずの仕事を、会合自粛のため私一人で片付けなければならないという事態になっている。何もできないのだが、何もできないことを説明する文書が必要になる。3月以降は書類作成量が数倍に跳ね上がった。
夕闇の中を急ぎ足で帰り、明日の朝まで作成する約束の書類に取りかかるのである。疲れ気味だったはずなのに、意外に足取りは軽い。