忘れたころに、お別れを。
ああ……お月様がまん丸。きれいだけど、きれいだけど………。お願い、まだ満ちないで。もう少し待って、お願いだから。そんなこと考えながら見上げていた月が、新月を経てまた少しずつ、次の満月へと近づいていく。仕事帰りに目の合った二日目お月さんが、とってもきれいだったな。年度末のじたばたと年度初めのじたばたとに追い回されながら、それでも静かに過ぎていく、だいすきな神父様のいない日々……。感づいたのは1月の下旬。神父様の、何気ない一言だった。そのときなさっていたちょっと大掛かりなお仕事、3月までには終わりますから、と、他の方におっしゃっていた、そのおっしゃり方がなぜか引っかかった。神父様にも異動はある。私が今の教会にお世話になっているのは十数年だけれど、その間でも、もう何度神父様が変わっただろう。…でも、今の神父様はここに骨をうずめると、何度もおっしゃっていたから、安心してた。あと30年くらい先になさってくださいまし、なんて思ってたもんだ、昭和1桁生まれのお方を捕まえて。安心(油断?)していたからそれまで気付いてなかったけれど、あちこちに、神父様が近々ここを離れておしまいになるという兆候が出てた。いつの間にかがらがらになっていた執務室の本棚1つにしても。ほんの小さな違和感は、あっという間に確信になった。神父様がいなくなってしまう。想像しただけで泣けてきて困った。…思い違いだったらお間抜けだよ、はっきりしてもいないうちから泣きなさんな、なんて自分で苦笑しつつ。神父様にあからさまな鎌かけをしてみても、当然ながら教えてはくださらなかったけれども。(その辺りで語るに落ちるともいう)今日、教区の来年度のことを決める会議があります、と朝のごミサの始めに神父様がおっしゃった2月初旬のある日、主の祈りの『みこころが天に行われるとおり地にも行われますように』のところでてきめんに喉詰まって声が途切れて、我ながら正直なことだと苦笑しちゃったっけな。それから数日、正式に辞令が届いた日、教えてくださった。もちろん私は驚かなかった。でも……。…あの日から、いや、その半月前から何度泣いたんだろう。神父様の前でこそしれっとしていた(つもりでいる)けれども、神父様の同居人のわんこが汚した司祭館の床掃除しながらしゃくりあげてたり、信徒ホールの隅っこで、壁に向かって目をごしごししてたり。復活祭がきたら、神父様はいなくなってしまう。今年の四旬節(復活祭の準備期間)は、そんなわけでずいぶん複雑だった。しかも、今年の復活祭はやたらと早い。春分後の最初の満月の後の日曜だから毎年日が変わるけど、今年は春分の日が満月直前なんだよなぁ……。ふつうなら復活祭は大変おめでたいし待ち遠しいものだけれども、今回ばかりは四旬節が40日じゃなく40年続いたって文句言わない、なんて無茶苦茶なことをいいたくなっていたくらい。…もっとも、だからこそかもしれない、毎日がとてもありがたくて、悲しくてたまらないのに、この上なく幸せな日々だった。なんだかもう、本当に、とっても豊かに養ってもらった日々だったと思う。教会学校のお手伝いをさせていただいていたおかげで日曜日以外にも神父様と関わることができたし、夏からは毎朝のごミサにもお邪魔させていただいていたから、朝ごとに短いけれどわかりやすいお話を聞かせていただいて、一緒にお祈りして、ご聖体をいただいて、祝福で送り出していただいて。私の場合は文字通り養っていただいたりもした。ごミサのときに聖体拝領があるけれど、その1時間前からはお水や薬以外は口に入れないことになっているので、当然ながら朝に弱い私はご飯食べずに朝のごミサに行っていた。神父様もその辺りはお見通しで(^^;)、どうせ食べてきてないでしょ、朝ごはん食べていきなさい、と、何度も声をかけていただいては、ちゃっかりお相伴したもんだ。とはいっても神父様はもとより私もお料理はしないので(^^;)、他の方が神父様とその方のために作ってくださってるご飯を私が横取りしちゃうという、とんでもない事態だったんだけど。神父様にご飯やおかずを作って持っていった人は多かっただろうけれど、神父様のご飯横取りして食べさせてもらったのは私くらいに違いない(^^;)冬の間はごミサが少し遅い時間になるので食事をする時間はないけれど、いただきものだというおいしいもののおすそ分けに与ったり、わんこのお見舞いに、時計片手に執務室までお邪魔して、ギリギリまでわんこなでてて職場にすっ飛んで行ったり…。思い返すだけで、どうしても涙が出てきちゃう。本当に本当に、とってもありがたくて幸せな時間だった。神父様にはご迷惑なときも多かったんじゃないかと思うけれど……。どんなにたくさんのものをいただいたか、言い尽くせない。お別れするのはとても悲しい。どんなに泣いても泣き足りないくらい。…でも。どんなに悲しくても、今はお別れを言うときだ。教会のことじゃなかったら人事権者にごねるどころか反対運動でもやりかねないと、他の信者さんたちも口々に言うくらい、あまりに急で悲しいお別れだけど。でも、それやっちゃったら、神父様がここで何をしてくださったのか、何を教えてくださったのか、わかんないぞ、ってことになるのも違いなくて。…きっと、この先に大切なものがある。神父様にも、私たちにも。まだ見えないけれど。でも、それは信じることができる。きっとそれが、神父様が私たちにくださったものだと思う。…きっと、切り替えの超苦手な私は、散々じたばたするだろうけどなー。……神父様。本当に、ありがとうございました。どうか、転勤先でもお元気で。…本当に、どうか御身おいといくださいね、もーっ、ご自分のことは思いっきりほったらかしになさるんですからーっ。幸いにも、転勤なさる先も私の行動圏内なので。また、たまにお邪魔させてくださいまし。