株式市場の先見性を侮るなかれ、上海総合指数の3000割れと敗戦直前の日本の船舶株・映画株などの値上がり
アメリカの長期金利上昇で、当のアメリカはもとより日本を含む世界中の株式市場が軟調だ。◎矢継ぎ早の株式市場てこ入れ策も効果無し スターリニスト中国の株式市場の指数である上海総合指数が20日、年初来安値を更新したばかりか、昨年11月1日以来のほぼ1年ぶりの3000割れとなった(終値は2983)。 スターリニスト中国の株式市場の場合、その安値は世界の金利高よりも、むしろスターリニスト中国固有の要因が多い。深刻化する一方の不動産不況に加え、成長率の鈍化、人口減、高齢化の進展など、どれ1つ明るい要因はない。 スターリニスト中国政府と共産党も、矢継ぎ早のてこ入れ策を講じているが、全く反応しないのは、上記の構造要因があるからだ。例えば7月24日、共産党政治局が資本市場の活性化の必要性を指摘し、株式市場への口先介入を行い、8月18日には株式市場の取引時間延長検討と上場企業の配当や自社株買いの推奨が公表され、さらに同27日には株式取引時の印紙税の半減、新規株式公開の段階的抑制、企業の大株主による株式売却の制限の措置が執られ、10月11日には政府系ファンドによる銀行株の買い増しというPKOも発動、さらに同16日には国有企業が相次ぎ自社株買いを行った(写真=上海株式取引所)。◎3000割れは将来の中国経済の混乱を予見か それでも、効果なく3000割れ、となった。 このような株式市場の動きこそ、将来のスターリニスト中国の経済混乱を先取り、予見する動きのように思える。 多数の投資家が、それぞれの将来の経済予測を基に参加する株式市場は、実際に驚くべき先見性を持つ。◎ポツダム宣言公表の日、日本郵船株が暴騰 例えば僕が最も印象深いのは、敗戦直前の株式市場の動きである。都市がほとんど焼け野原になり、国民が食うや食わずの敗戦直前なのに、株式市場は開いていて、しかも表裏たった2ページ建ての新聞でも約150社の株価一覧表を載せていた。陸軍の狂信ぶりからして、株式市場などはとっくに閉鎖されていたと考えるのが普通なのに、そうではなかったのだ。 それを上回るサプライズは、ポツダム宣言が連合国側から公表された1945年(昭和20年)7月27日の朝、政府はわざわざ宣言を「黙殺する」と発表したのに、日本郵船の株価が跳ね上がったのだ。この日は、90銭高、翌日28日は2円30銭高の暴騰だったという。戦中のことだから株価始値は、10円とか20円のレベルだっただろう。 ◎連合国に沈められて船はないも同然だったのに ポツダム宣言発表後の8月に入って、広島の原爆投下、ソ連参戦、長崎の原爆投下と続いて、ついに政府もポツダム宣言受諾、無条件降伏に追い込まれるのだが、この3週間足らずの間も、軍部はもちろん、言論界も世論もなお徹底抗戦一色だった。 この頃、海軍軍艦はもちろん、日本の商船隊も、アメリカ軍の攻撃で壊滅状態だった。連合国の攻撃で撃沈させられた船は、軍艦が651隻、商船は軍徴用船も含めて2934隻にも達していた。海運は、まさに「無いも同然」だったのだ(写真=1944年にルソン島沖で撃沈された大阪商船の「瑞穂丸」)。◎非国民のそしりを覚悟で市場で郵船株買いした勇気ある投資家たち そんなに、マーケットはいち早く敗戦よる戦争終結とその後の復興を予見し、織り込みにかかったのである。 この暴騰を演出した無名の投資家たちは、時勢に逆らうというリスキーな投資を行っていたことになる。軍部や国民から「非国民」と誹られ、特高から逮捕される可能性も無いわけではなかった。それでも海運株を買いに入った投資家は、平和到来と復興に賭けたのである。そして、実際にそのとおりとなった。◎敗戦直前には映画株も人気化 さらに話は続く。ポツダム宣言の3カ月以上前、45年4月中旬、焦土の中で船株、財閥株、繊維株など平和産業株が一斉高し始めていた。 そして戦争の最終局面に入った8月初旬、日本郵船は戻り新高値をつけ、そればかりか当局から白眼視されていた松竹、東宝などの映画産業株まで大人気に沸騰した。 当然にセメント株や商社株も高くなっていた。 株式市場の動きを冷静に見ていた観測筋は、日本のポツダム宣言受諾=終戦を確信したに違いない。昨年の今日の日記:「イランからドローンを買ってウクライナ都市インフラなどを攻撃するロシア、ダム爆破計画も」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202210230000/