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テーマ:あんな日常、こんな日常(228)
カテゴリ:横浜ぶらぶら
横浜というと、
みなとみらいのイメージが 強いかもしれない。 ランドマークタワーに赤レンガ倉庫、 カラフルな観覧車、堂々と浮かぶ日本丸。 山下公園には氷川丸だし、 中華街も美味しくて大人気。 でも、文明開化の町横浜は きらびやかな表の世界の裏に、 当然のごとく そうではない世界も隠し持っている。 先日書いたけれど、 つい最近まで青線地帯だったという 黄金町をきっかけに 松影町や寿町など、 少し違う横浜に興味を持ち始めた。 思い出した話もちらほらある。 かれこれ15年くらい前のこと。 職場に ばんからでおおらかな職員さんがいた。 明るく元気な女性だった。 年の頃、50代半ばとみた。 自宅は寿町だという。 「あら、素敵な所ですね。 縁起が良くてお目出度い感じが いいですね(^O^)」 と私が言うと、 彼女がハテナ? という表情をした。 そして、 『とんでもない! 朝早く家の外に出たら、 死んだ人が道端に転がってるよ。』 という。 「えっ、………………」 と、私は絶句。 『横浜の寿町って言ったら、 ガラの悪い所で有名なんだよ。』 「…………そうですか。……」 寿町界隈では お家の無い人たちがどうにか命を繋いでいるらしい。 その話をしてくれた彼女は、 個人経営の会社を営んでいる方の奥さま。 つまり、社長婦人だった。 年末に、 不動産屋さんの従業員の男の子と 話す機会があり、 松影町のことを聞いてみた。 ちょっと車で連れてってよ。 と、頼んでもみた。 『あそこは、行かない方がいいですよ。 行っても、車から降りちゃダメですよ。 どうしてもというなら ちょっと寄ってあげますが、 異様な雰囲気で 僕だって車から降りたくないんですよ。』 という。 JR石川町駅から徒歩4分くらいのその場所。 元町というハイソな商店街や フェリス女学院音楽部 など横浜を代表するお洒落な場所と 隣り合っているのに。 それって……。 行ってみると、 昼間から所在なげな 男性高齢者ばかり。 実際には50代、60代なのかもしれないが。 女性は一人も見かけず。 ラフな服装のオジサンタチが うろうろしていた。 お酒の瓶を片手に…… という光景は あとから頭に浮かんだイメージか。 1泊1,500円くらいの簡易宿泊所に 住んでいる人も多いそうだ。 たまに 地方から出て来た若い男性が、 知らずに その辺りのマンションに入ったりするという。 石川町駅から近いんだもんね。 それで40,000円ほどのマンションなら 住みたくなるだろう。 他にも、遊郭があった保土ヶ谷付近や あちこち。 福富町・末吉町・日の出町 曙町・初音町 などなど。 赤線だったら、 永楽町・真金町 にもあったとか。 目出度い名前の町ほど 少しいわく付きだったりしそう。 だからって、 住所にその町の名前がついていると そこはいかがわしいのかというと、 それは違うはず。 今の時代だもの すっかり様変わりして、 マンション群になっている所も多い。 現在、横浜公園のある場所に 「岩亀楼」 があったことも つい最近知ったばかり。 横浜の遊郭は、 幕末からあったらしい。 横浜は、気取っているだけじゃない。 懐が深いというのか、 たくさんの物語を抱えている。 そう言えば! と、メリーさんの話も思い出した。 伊勢佐木町の森永ラブには かつてメリーさんの指定席があったそうだ。 (今は、森永ラブもないですよね。) メリーさん、お金は持っていないけど 町の人たちが親切にしてあげたらしい。 毎回無料で髪を切ってあげていた 美容院もあるそうだ。 戦時中? 戦後すぐ? アメリカ人相手の娼婦だったメリーさんは ある将校の現地妻だったという人もいる。 顔を歌舞伎役者のように白粉で真っ白にして、 白いヒラヒラのドレスで 町を歩いていたそうだ。 アメリカの軍人さんたちが 国に帰ってしまってからの生活は とても厳しいものだったとか。 どうやって食べつないでいたのか……。 でも、メリーさんにはメリーさんなりの プライドがあったようだ。 もともと、とても綺麗な方だったのだろう。 一時は、 人も羨む豪華な生活をしていたに 違いない。 だから、老婆になっても 自分なりのお洒落を 貫き通したのだろうと思う。 メリーさんを何度も見かけたという人も 私のまわりにいるのです。 世紀が変わり2,000年になったばかりの頃は まだメリーさんは伊勢佐木町を 歩いていたのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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