|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ように見せる手法でもあります。また酒の熟成や工業製品の暖機運転にもこの 言葉が使われています。 で、人間にとってみれば当節流行の「アンチ・エイジング」の言葉に代表される ようにあまり歓迎しない言葉とされています。 だけんど、私は昔からじいさんやばあさんが好きで、その風貌がかっこいいと思う こともあります。だから、周りの人が若く見えることを自慢し、老けた人を馬鹿にする 冗談に素直に笑えない自分でした。 でもそれは決して異常でもヘンタイでもないと最近感じ始めました。 だってつい100年ほど前までは年寄りはカッコよく、たよりにされていたのですから。 篤姫のドラマには「天璋院付き老女でございます」と誇らしげに名乗る幾島や、 「大奥筆頭年寄」の滝山が出てきます。 「老中、年寄り」というのは当時の権力ある役職で、年を経るからエライとされて いたのです。 年寄りは知識、経験があり、重要な判断も出来る人を意味したのです。 つまり当時は高齢者が情報を豊富に持っていたからでしょう。 ところが現代のように誰でも好きなだけ情報をネットで取れたり、価値あるものが コロコロ変わる時代では、年寄りの意見は頼りにならなくなったということです。 だから加齢に憧れるどころか、臭い、汚いと嫌がる時代になってしまいました。 高齢者自身もそう言われて加齢を恥と思い始めています。困ったことです。 しかし歳をとることで得た、ものの考え方や広い見識の面では若い人よりリードしている ハズですからこれを大事にしなくちゃなりません。 だから歳だからと人生を投げ出さず、 エイジングの風格を持った人間としての誇りをもって逝きたい、いや生きたいものですね。 (逝っちゃダメだ。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|