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カテゴリ:歴史
この歳になるまで知りませんでした。戦争にはそれほど興味もなく、「京都は古都 であり、豊富な文化財があるため爆撃対象から外された」という伝説を疑いもせず そのまま信じてきたわけです。 しかしNHKの「原爆投下/いかされなかった極秘情報」以来、原爆投下に関する 情報をずっと探して来ていろいろ勉強させてもらいましたが、その中でこの話が出 てきたわけです。 アメリカが原爆の候補地としたのは原爆の威力が確認しやすい地形の大型都市。 だから平たい盆地の京都は、広島と並んで最適候補地のAA。それが決定したのが ヒロシマ投下の3か月前の5月。投下目標は京都駅の西側、梅小路機関車庫。 空から視認し易い扇状の構造だったからだそうです。 しかし6月にスチムソン陸軍長官の進言により京都は対象から外されます。彼は のちに京都は広島以上に最適地であったと述べていますが、戦後の統治のための 政治的な配慮で京都を外すよう提案し、大統領に受け入れられます。しかしその後 も京都を対象にすべきだとの声は続き、再度候補に上がったりしてます。 最終の原爆投下目標が7月24日に広島、小倉、新潟、長崎と決まった後も、京都 を押す声は続いていたそうです。 だから京都はかろうじて原爆を免れたと言えます。また空襲も比較的少なかった ため、「京都は文化財のおかげで守られた」という伝説が生まれました。しかし 戦争にはそんな綺麗ごとは通じません。空襲が少なかったのは、原爆目標地には 大規模な空襲が禁止されていたからです。つまり言い換えれば原爆のおかげで 京都はほぼ無傷で終戦を迎えることができたという、皮肉な結果となりました。 それにしても、もしスチムソンの反対がなかったなら、もしくはその提言が却下 されていたなら、私は今ここにいなかったでしょう。 今になってそれを思うと、背筋が寒くなります。 *上記の地図はアメリカ軍が制作した投下予定図で、立命館国際平和ミュージアム に展示されているそうです。全滅する範囲半径1.5マイル(2.4Km)に円が描かれて ますが、私の母の実家は赤印のところにありました。 ------------------------------------------------------------ *参考までに広島と京都との比較をあげておきます。狭い地形の広島に比べて京都は...。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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