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飯田赤石LCの幹事さんから今年の3月に天神坂のママさんが亡くなったことを聞きました。
私が松永モモ江さんと初めてあったのは、ライオンズクラブのスピーチに山菜の話をしにきてくれたからです。その時にその辺りの土手に生えている雑草が酒のつまみに化けるのにびっくりしたのです。
それからモモ江ちゃんに会いに飯田の天神坂詣でが始まりました。もともとは理容師さんでしたが、趣味が昂じて始めた店です。
飯田の駅から150mほど下がったところで天神坂という居酒屋をしていました。四季の田舎料理が売り物の居酒屋です。店の名前は“花筏”にしようか迷ったそうです。
カウンターが10席くらい、奥にたたみのテーブル席が10人くらいの小さな店です。
ここでマツタケ採りの師匠とも出会って知り合いになりました。前の長野県知事の田中さんも時々来ていたようです。人気のある店でいっぱいで外で並んで待っていることもありました。
スズメバチやイナゴの唐揚げもここで初めて食べました。
秋に行くとマツタケ尽くしが出ました。だいたい2カ月に1回くらい飯田まで飲みに走りました。車で乗り付けて、向こうは代行タクシー料金が安いので、インター近くの“湯眠”という温泉付きのビジネスホテルに泊まり、そこまで代行を頼みます。
天神坂は春に山菜、秋にキノコの会をしてくれました。途中から中川村の片桐リンゴ園を借りてするようになりました。山菜やキノコを採ってきて、それを料理して飲む会です。
2007年の春の山菜の会に出たら、ママさんがいないので、師匠に訊いたら脳梗塞を起こして飯田病院に入院しているというので、帰りに寄りました。左片麻痺でリハビリ中でした。復帰してくれることを望んでいたのですが、今回の悲報でした。
その前年の秋にママさんがいつも行く中川村のキノコ畑を案内してくれたのが、元気な姿の最後でした。この時に糖尿病からくる網膜症で片目の視力が殆どないと言って見えました。
モモ江ちゃんの書いた本は残っていますし、私もいろいろな山菜料理やキノコの下処理の仕方など教わって実践しています。
モモ江ちゃんのご冥福をお祈りします。