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2016年09月12日
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先月24日に旧長崎街道、山家宿(やまえしゅく)を散策しました。

(アップするのがずいぶん遅れ、今さらですが大笑い

 

 




 

筑豊本線(原田線・はるだせん)  筑前山家駅 

なんともレトロ過ぎる無人駅電車

 

 

駅前広場の片隅には、

古い西鉄福岡市内電車と西鉄バスが星

放置されてるのかと思ったら、静態保存なのだそうですびっくり

 






昔の街道は道幅がずいぶん狭いです。


 


西構口


構口(かまえぐち)とは、宿場の出入り口に設けられた門塀のことで、

構口のある宿場は、長崎街道上のいわゆる筑前六宿、

原田(はるだ)・山家・内野、飯塚・木屋瀬(こやのせ)・黒崎に

限られていたようですが、残っているのは山家と木屋瀬だけです。

特に山家の西構口は、道の両側とも石垣の上に土塀、

瓦ぶきの昔のままの姿を残していて、とても貴重なのだそうです。






桐山丹波は初代代官で、黒田二十四騎のひとり。



原采蘋(さいひん)私塾跡

采蘋(さいひん)は、筑前秋月藩の儒学者原古処の娘で、女流漢詩人。

生涯男装をしていたらしいですほえー



下代屋敷跡


下代(げだい)とは、代官の下で諸事務をおこなった宿場役人の事



お茶屋本陣跡


現在は道路の拡張や住宅地となっているため、往時の姿は見る影もありません



お茶屋と言っても時代劇に出てくるような茶店ではなく、

特権階級の人が利用するところでした。

上の想像図のように、立派でかなりの敷地を占めていたようです。



代官所跡



中茶屋跡


中茶屋や下茶屋は一般人の宿泊所で、特に下茶屋(薩摩屋)は、
大阪の浪花講の指定旅館に使われました。


郡屋跡


郡屋跡入り口

この建物は旧郡屋守宅で、現在もどなたか住んでいるようです




穀蔵


アップにしてみると下矢印









稲家の建物はなく、標木だけ





裏門と灰屋


灰屋とは、堆肥を置く小屋のことだそうびっくり

昭和時代かもっと古い時代に

使われていたらしい農機具が置かれてました。




土蔵


土蔵は、柱は使わず、建物全体が赤土ににがりを混ぜ合わせた

土壁で築かれていて、壁の厚さは約50 cm、内部は13.6×5.1m。

この建築構造は珍しく、郡屋土蔵が筑前六宿内で、

唯一現存しているのは、ここだけ。

 

 


大庄屋役宅跡



問屋場跡


問屋とは、通行人の荷物輸送に駕籠や馬を提供していたところ







つづく




 






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Last updated  2016年09月12日 23時40分57秒
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