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つれづれ

2017年07月19日
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カテゴリ:つれづれ

ハロハロ~

みなさま、今年の夏はいかがお過ごしかしら?

 

光陰矢の如し

前回の日記からもう20日も経ったなんて

信じられないです。

 

ニューヨークもここ1週間ほど、夏らしく暑くなってきました。

とはいえ、夜は涼しくなるので、それほどでもないですが

私の好きなマルガリータやサングリアが美味しい季節は嬉しいハート(手書き)


この1週間、おさむは、マトリックス・エナジェティクスのリチャード博士の講座

HO:LO-SET を受けるために、マイアミに行っていて、今日の夜に帰ってきます。

私もこの講座に興味はあったのですが

この講座の日程に、セッションの予約がずっと入っていたので

タイミングではないか、私には必要ではないかだなあと行かなかったのですが

この1週間、セッションや生活の中で、また新たな気づきもあり 

やっぱりベストのタイミングになっているなあと。 

 

1週間、おさむが家にいないという経験は、これまでほとんどなかったので

昔の一人暮らしの時を思い出して、ちょっと新鮮でした。

昨日は、久々に料理をして

(と言っても、食材を買いに行く暇がなかったので、

残り物整理になりましたが)

ちょうど、たまたま、日本からセッションを受けに来られていたクライアントさんと

一緒に頂いて、楽しい時間を過ごしたのですが

こんなことも、おさむがいたら、きっとやらなかっただろうなあと。

(なんで、俺のためには料理しないのだ〜と突っ込まれそうですがあっかんべー )

 

さて、毎日、おさむとフェイスタイムで話していますが

クラスは何やらプロセスがとても難しいとのことで

おさむの説明を聞いても、一体、どんなものなのかさっぱりわからないのですが

帰ってきてから、やってもらうのが楽しみです。


そのおさむとの話の中で、リチャード博士は相変わらず

エネルギーが軽くて、抜けていたという話をしていたのですが

この抜ける、というのは何から抜けているかというと

いわば『人生は大変という意識』から

抜けているんだよね、ということで、これについて書いてみようかと。

 

この「人生は大変(困難)プログラム」と私が名付けているものは

ほとんどの人が多かれすくなかれ持っている意識で

実際に今が大変な状況にいなくても、それが根底の意識にあれば

変化やチャレンジが苦手になるわけです。

また、何かのことで成功している人たちも

『困難を乗り越えて」成功した、と思っていれば

常に人生に困難がやってくるわけですね。


多くの人たちは、この困難を乗り越えて成功する、何かを達成するというのが好きなので

まずは、潜在意識(マインド)としては、困難が必要となるわけですが

実は、困難の中にい続けることで

本当に自分の人生に必要な変化はやってこない仕組みになっているわけです。


この潜在意識レベルでの

「人生は大変なもの、そう甘くはない、厳しいものだ」という

いわば脳が作り出した幻想から、どこまで抜けるかが

私たちが無限の可能性と喜びと自由な人生を生きるための

キーであるのですが

クライアントさんのセッションで気づくのは

この「人生は大変」プログラムの中に真っ只中にいるのに

そのことを認識して’いない

つまり、自分が今感じているストレスを認識できない人、というのが

ものすごく多いということです。

つまり、今、実際に(潜在意識が)持っているストレスは認識できないのに

まだ起こっていない先のことへの不安やプレッシャーには弱いのです。


例えば「今の仕事に喜びを感じているわけではない

だけど、お金が必要だし、今はやめることはできない(と感じている)が

いつかは、自分の喜びとなる仕事をやりたい」

という状態がずっと続いている。。


などというのは、まさにこの「人生は大変プログラム」の中にいながら

そのことを認識できていない状態と言えるわけです。

今、この瞬間に喜びとなることをやっていない、という感覚(ストレス)は

(潜在意識下ではストレスになっていても)

頭では、それほど大きなストレスとして認識されておらず

「人生は大変」なものという前提なので、

新たな変化によってもたらされるリスクの方が大きく感じ

「変化の先には何が起こるかわからない」ので

「変化しても大丈夫」という確信がない限りは

その状況に居続けることになります。

つまり、ずっと「満たされない今」が続くということなのです。


人によっては

「責任感」とか「将来のお金の不安」とか「今やめたら申し訳ない」

などという人生は大変プログラムの意識でいるために

身体やエネルギーが悲鳴をあげているにもかかわらず

自分にとってのストレスの状況に、居続けてしまっている方もいます。

また以前の仕事場より、今はマシだから、という比較で

今の満足しない状況にい続ける人もいるのですが

そもそも、ストレスをきちんと認識できる人は

ストレスの状況下に長く続けるようなことはないわけで

以前のストレスフルな仕事を頑張って続けていたことが

潜在意識下での「人生は大変」プログラムを助長し

前に進むことを妨げてしまっているわけです。


「いつか~~したい」

「いつか~~になったらいいな」

「昔のハードな仕事より、今の方がマシだから」

「仕事が何もないよりは、マシだから」

などという

一見、物事のいいところを見るというポジティブ思考というのは

(自分が感じている)『最悪の状態へ』変化しないために

今の自分が感じている感覚(ストレス)を抑えて

頭で納得するためのものであって

本当の意味でのポジティブな選択ではないのですね。


ストレス、いわゆる「やりたくない」とか「心地よくない」とか

「楽しくない」というネガティブな感覚を認識することができないというのは

結果的に、今、本当に何がやりたいのかもわからなくなり

いわゆる、意識が眠っている状態、と言えるわけです。

ネガティブ(闇)というのは「光が当たっていない場所」であって

意識が向けられていない場所、なのですが

実際、潜在意識のストレスを上手く認識できない人たちは

ほとんど松果体のブロッキングを起こしているということが

最近わかってきました。


こう言った性質が

どこから来ているかも、興味深いところなのですが

これまでわかってきた中では、脳と遺伝(それに関わる前世的なエネルギー)と

これまでの人生での環境からの影響があります。


例えば、宇宙遺伝で言えば、幾つかありますが、特にシリウス系遺伝があれば

ストレス(ネガティブな感覚)をうまく認識できない性質になります。

ストレスがないわけではないのですが

それに気づくことができないので

「これは~~のために必要だから」とか

「今、これをやっておいた方が得だから」とか 

「愚痴を言っても無駄だ」などと

とすべてを頭で計算して、理屈づけて判断するため

自分がやりたいかやりたくないか、喜びか喜びでないかという感覚で

選択できないわけです。


これはある意味、ビジネスマインドとしては、悪くないのですが

幸せマインドにはならないわけで

ストレスを認識できない人たちの脳を見てみると

幸せ感、満たされ感の脳内物質であるセロトニンも圧倒的に不足していることが多いです。

 

ちなみに(宇宙遺伝の話になると止まらなくなりそうですが)

ニビル遺伝があれば、今のストレスは感じることができても

先のことへの不安や心配が強いので、ストレスの状況下にあっても

いつまでも変化できないという状況になりがちです。

よく「ストレスに弱い」のは良くないことのように思われがちですが

本当の問題は、ストレスに弱いことではなく

責任や人からの評価や期待に対するプレッシャーに弱いことであって

潜在的に感じているストレスは認識する必要があるのです。

 

また逆に「私は楽をしているわ~」という人たちの中にも

この人生大変プログラムが作動していて

実際は

「チャレンジしない(変化しない)ことが楽な状態」だと勘違いしている

ことがあります。

「物事はそう甘くはない」「人生は大変なもの」と潜在的に感じているので

チャレンジ’したり、新たなことを始めないことが潜在意識の安全となっているので

変化できないわけですね。 

本当に、意識に人生大変プログラムがなければ

いつか楽をしたい、という状態にもならないし

今は楽をしているから、という感覚もないし

常に今にいながら、変化し続ける状態になるのです。

 

ですから、今、これをやっておいた方がいいから、という目先の損得ではなく

また楽でいたいから、という(困難を避ける意味での)損得ではなく

本当に自分が生きたい人生を生きるためには

今、潜在意識が感じているストレス(ネガティブな感覚)を

きちんと認識する力と

根底にある「人生は困難なもの」という認識を変えることだなあと。

 

例えば

「自分はまだまだ不十分」という感覚も

 「〜〜の期待に添えなくて、申し訳ない」という感覚も

「友人や周りが大変なので、何とか助けてあげたい」という気持ちも

「あの人にはわかってもらえない」という感覚も

「男性には守ってもらえない」という思いも 

すべてベースには、この「人生は大変なもの」 という意識なのです。

 

そして、「ストレスを認識できない性質」も

「人生は大変プログラム」は

好むと好まざるに関わらず、無意識にある意識なので

頭や意志の力で変えることができるようなものではないんですよね〜。


かくゆう私自身も、そこは完全にそこから抜けたとは言えない状態で

自己ヒーリングを行うと

いまだに「まだ「人生は大変」が(無意識レベルに)あるよ~」

と身体が伝えてくるわけです。


もちろん、自分の無意識がすべての現実を作っている

ということを充分にわかっているので

もし私自身に何が大変だと感じることがやってきたとしても

自分の内の声を聞けばその現実(のように見えるもの)はなくなっていくわけで

いつもは「人生は大変なもの」とは感じていないわけです。

(あ、今年のハワイでのクンダリーニ症候群の直後は、まさに

私のこれまでの人生の中で、最も「人生は大変」と感じることになったわけですが)

 

でも 例えば、セッションで「人生は困難なもの」という幻想に

どっぷり浸かってしまっている(その意識が困難な現実を作っている)

クライアントさんのエネルギーに触れると

「あ~、この方が、この幻想から抜けるのは、時間がかかりそうだなあ」

と、その幻想から抜けることができない大変な人々=人生は大変プログラムが

無意識に作動していたんですよね。


そこを紐解いていくと

今生でのサバイバルプログラムみたいなものは、もう出てこないのですが

神に捧げた前世だとか、指導者としての責任を負った前世だとか

遺伝的に受け継いだ性質などが出てくるので

これはそれは、多分、まだ残っているプレアデス遺伝からのものではないかなあと。

ということで、今月中には、その調整を行う予定なのですが

どうなることやら。 

 

と、その前に、明後日から、夏のバケーションでおさむと5日間のショートトリップで

メイン州にドライブに行ってきます~。

メイン州はロブスターなどが有名ですが、まだ行ったことがないので楽しみ。


みなさまどうぞ素敵な夏をお過ごしくださいね晴れ









最終更新日  2017年07月20日 05時48分30秒
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2017年04月30日
カテゴリ:つれづれ

以前、大和田菜穂さんのことを書いた時もそうだったけど

自分の感覚や感想を率直に伝えたいという思いに素直になっていくと

それが、何かへの批判やジャッジになってしまうのではないか?と

いう恐れが出てくることがあって、そうなると何も書けなくなってしまうので

ええ~~い、例え、そうなったとしてもいいや~っと、勢いでアップするか

いつの間にか、スルーしてしまうかになるわけです。


どちらにしても、すべてのことは、幻想と言えるわけで

私が感じていることも、これを読んだ方が感じていることも

実態のないイリュージョンと言えるわけですから

そういう観点では、何を書いてもいいわけですけどね。


とはいえ、別の次元で見れば、

ブログという不特定多数の人が読む性質上

基本的に個人名は出せないし、内容も事柄によっては書けないこともあるわけで

そのあたりを上手くスルーしつつ、伝える必要も出てくるのですが

昨日、まさにその辺の私の潜在的な恐れが夢に出てきました。

夢の中で、私は闇の世界を知って、それをみんなに知らせようとしていて

その闇の勢力のある人から

「このことをブログにアップしたら、明日にはあなたの身体は川に浮かんでいるだろう」

という、まるで火曜サスペンスのセリフのような脅しの言葉を言われて

「ひゃ~やっぱり、もう書けない~」とおののきながら、目が覚めました。


いや〜〜何を書いたとしても、川に流されることはないだろうとは思いますが泣き笑い

意外にそんな恐れがあったのね~と、我ながら笑えました。

昔はよく、肝が座っていると言われていましたが

ここ近年、父の性質である臆病さと、母の性質である達観癖が

両極端に出てくるのを感じていて、今後のテーマになりそうです。


さて、今回のハワイで、最も私が感じたのは

他の人に全く左右されず、自分の感覚を受け取ることというのは

難しいことだなあということでした。


私のこれまでの人生では、あまりそういう風に感じたことはなくて

誰がなんと言おうと、やりたくないことはやらない

というのは私にとっての人生の鉄則だったし

自分がどう感じているのか?は、常に意識してきたこともあって

それがよくわからない人の感覚の方が、よくわからなかったわけです。


でも、先日お話ししたように

リーダーとしての責任、ということに関わると

自然と自分の本来の感覚や女性性を抑圧していたり

また、尊敬する人が話している内容やエネルギーに

影響されて、自分本来の感覚を失っていたことに気づいてきたわけです。


それに気づくプロセスは、今回は決して楽ではなくて

一旦は、逆にわけが分からなくなる、というプロセスだったわけです。

これは、聖なる植物の影響なのか、それともクンダリーニ症候群なのか

どちらにしても、グラウンディング力が極端に落ちていたところに

その直後に行った3人へのセッションから(おさむを含めて)

いろんなエネルギーの影響を受けてしまっていて

DNAまでも変化してしまったことが

カラニリトリートに入る前には、筋反射でわかっていました。

ですから、その調整が終わるまでの期間は、自分が何を感じているのか

よくわからなかったのです。

例えば、宇宙人DNAで、シリウスやグレイなど

これまでの私は持っていなかったDNAまで、クンダリーニ症候群の後の

自己ヒーリングで出てきて、ショックを受けたわけです。


これまで自己ヒーリングは、不十分感からではなく

能力や可能性を高めたり、さらに自由に解放してためであったのに

今回は、問題の修復のために、自己ヒーリングをすることとなり

その期間は楽しんでやっていたというより、不十分感で一杯で

とにかく一刻も早く元に回復するのが第一でした。


例えて言うなら、あるスポーツをやっている選手が

それまでは、能力や感覚を高めるために、練習を続けてきたのに

ある時に、交通事故に遭って、足が不自由になったことがきっかけで

これからは、能力を高めるためではなく

元の状態に戻すために、リハビリや練習をしなければならなくなったかのような

気持ちになったと言えるかもしれません。


それで、気づいたのは、ここでショックを受けるということ自体、

私の中の「いつも前進、成長しなければ」という意識の表れなのだなあと。

そこに気づいてからは、焦ることなく

自己ヒーリングの’調整ができるようになったのですが

今回、こういったエネルギーを受けたことで

これまで感じなかった感覚を感じることにもなったのでした。


例えば、グレイのエネルギーがあると

被害者意識や人への不信感になり、傷つきやすくなるのですが

私も、今回、おさむに対する不信感や被害者意識が出てきて、さらなる怒りへとつながり

また、シリウス系のエネルギーは、自分の感覚の抑圧になるので

自分が何を感じているのかよくわからず

私は大丈夫、と達観してしまうのです。


こういう状態では、自分で自分のことは

本当にわかりづらいものなのだということが、よくわかったわけです。

だから、このクラスの参加者の中で

何人かの人が「のりこさんが弱っている~」

「のりこさん、大丈夫ですか?」と

と声をかけてくださったことが

「やっぱり大丈夫じゃないよね~」という自分の感覚を再確認する上で

大きな助けになりました。


私がクラスの最初の頃に、自分の感覚を封印して

オーガナイザーとしての役目を果たさなければとしていた時も

何人かの人に

「のりこさんが無理して(オーガナイズ役をやって)いるのが、ミエミエでした~」

と言われたり

また、クラスの間、修との摩擦が大きくなった時も

「のりこさん、修さんと何かあったのですね?」とすぐに声をかけてくれたり

すごい、みんな!何も言わなくても、私の状態や感じていることが

そのまま伝わるのね~、と感動でした。

(って、単に見た目に分かりやすい人なのかもですが泣き笑い )

 

ほとんどが私のキネシオロジーのクラスを受けられた方たちでしたが

そういった参加者の方々のおかげもあって

あの状態から、ここまで回復できたのだなあと。

みんな私の生徒だけど、同時に私の先生だったということが

これまでのキネシのクラスでもそうでしたが

今回はさらに感じたのでした。


さて、前回のお話は、アマテラスのことで終わりましたが

私はロンからアマテラスやアトランティスの話を聞くのは

今回で4回目でした。


1回目は2011年のATIH

2回目は2012年のフィボナッチのクラス

そして、3回目が去年のハワイのクラスです。


最初の2回は、とにかく感動でワクワクして聞いていました。

私たちの魂のルーツ、アトランティスのこと、ロンとアマテラスとの関わり

宇宙とのつながり、ユニティ、ワンネス、リメンバリング(思い出すこと)

ロンの話している、すべての話が、私にとって心を揺さぶられるものでした。


でも、今回のクラスでは、同じように感動している部分と

全く違う角度から聞いている部分の二つが共存しているのを感じていました。


アトランティスに関しては、私は昔から強烈に惹かれていたし

またクライアントさんのセッションでも、よく過去世として出てくることもあって

そういったことは信頼しているのですが

一方で、アトランティスだけが私たちの魂のルーツではなく

一つのエネルギーにしか過ぎないということも

ここ1、2年のワークを通じて、ひしひしと感じていたからです。


ヒーリングは「本来の自分を思い出すプロセス」であることは間違いないですが

「本来」というのが、一体何を指すか?によって

全く違うものになり得ます。


例えば、本来を赤ちゃんの頃の自分と設定したならば

胎児でお母さんのお腹にいる時にストレスを受けて

生まれてくる前に、原始反射や脳の問題があっても

それは本来の自分になってしまい、変えれないものとなります。


また、過去世の自分が、本来の自分だと設定したなら

そこからの要因や問題は、変えれないものとなるのです。


私にとっての「本来の自分」というのは

赤ちゃんや胎児の頃の自分ではなく、過去世の自分でもなく

そういったことを超えたところにあると感じていたし

(それが何かということは、言葉では言えないのだけど)

私がこれまでのセッションでやってきた中で

フィボナッチは、アトランティス云々とは関係なく

多くの人にとって、有効なものであると感じていたこともあって

すべてをアトランティスやレムリアという過去生に結びつけることに

少しずつ違和感を感じ始めていたのでした。


と言っても、ロンはホワイトブラザーフッドのエネルギーと

繋がっていることは感じるし

アトランティスは、彼にとって最も大切なことであることも

よくわかるのです。

ホワイトブラザーフッドというのは

いわゆるアセンテッドマスターのグループ的なエネルギーですが

ロンは18歳の頃から、ブラザーフッド・オブ・ホワイトテンプルという

学校で学んできた人なのです。

これは、モーリス・ドリールという人が設立したもので

今回のクラス1でロンは、ドリールことを話していましたが

エジプトからトートが書いたアトランティス語で書かれた

エメラルドタブレットを持ち返って翻訳し出版したという

とても実在の人とは思えないような人で

そんな人の元でずっと学んでいたわけですから

ロンにとって、アトランティスがすべての根源であるのも納得で

そこは打算でも何でもないわけです。


そして、このクラスの参加者のほとんどが

このアトランティスとの関わりを深く感じていたと思うのですが

今回、クラス3では、去年クラス1を受けた方々が参加されていて

改めてわかったのが

その多くの人が、このクラスを心から待ち望んでいて

ここをホームだと感じている、ということでした。

そして、このレベル3のクラスに来るまでの日本での生活が苦しかった、と言われる方が

何人もいたことに、改めて驚いたのでした。


それで、だんだんと気づいたのが、このロンが求めていた

「一体感」ということの意味だったわけです。

ロンは、このクラスの最後にも

「私たちはチームです」と言われていたのですが

つまりは、アトランティスから転生してきた魂が

今生では、人々の意識を高め、ユニティへと戻っていくプロセスのために

ここに集い、一緒にワークしてゆく、ということでした。


これは、フィボナッチのクラスを受けたことがない、あるサイキックの方が

「フィボナッチは個人プレーではなく、集団的にやっていくものですね」

と言われていたのですが、まさにそういう意味でのチームだったわけです。


そして、だからこそ、去年のクラスでも

みんながこのクラスで「一体感」を感じていたわけですが

一方で、クラスが終わって、日本やそれぞれの場所に戻ると

実際の生活では、アトランティスやレムリアとの深い関わりを感じている人ばかりが

周りにいるわけではないわけですし

そうなると逆に周りとの分離感になっていく可能性があるのだなあと。

家庭や仕事場の中で、周りの人々と一体感を感じることができていれば

何があったとしても苦しくはならないし、常に幸せの中にいることができるからです。


私の場合は、これまでは、いつもおさむと一緒にクラスを受けてきたので

そんな風には感じたことは一度もなかったのですが

今回、クラス2であるATIHは、ちょうど、私の父の四十九日と重なってしまったことで

そのクラスの期間は、日本に戻ったため

私はATIHのクラスは受けず、おさむだけ受けたことがきっかけで

この気づきにつながったのでした。

今回のハワイの旅の間、私とおさむの心が最も離れてしまったのは

おさむがATIHを受けた直後だったからです。


ATIH自体は、私もロンから受けて、素晴らしいプログラムであることには

間違いないと感じていますが

今回のクラスの直後、おさむはそこでの一体感に浸っていて

それが、逆に今回、それを体験しなかった私との分離感を生み出し

彼が言葉で上手く伝えれないこともあって

彼にとって「のりこにはわかってもらえない感」になっていました。

また、私は私で、おさむからケアされていない

という寂しさや悲しさにつながっていて

私がその寂しいという感覚を伝えた時に

おさむから「俺には感じられないんだから、仕方ない」と言われ

さらに虚しい感覚になったわけです。 

ハートを開くためのクラスであるATIHを受けたのに

なぜ、そんなことになったのか、その時は全くわかりませんでした。

 

もちろん、これらのクラスの中での一体感を感じつつも

家に戻って、家族や友人との深い一体感も

同時に感じることができる人もいるでしょうが

逆に周りとの分離感へとつながることもあるのだなあということが

あとから、気づいたのでした。

今回、私の父の四十九日が、ATIH と重なったというのも

今から思うと、ここに気づくために、必然だったのかもなあと。

 

こうして、先日、説明した五行の怒りの感情が終わってからは

次は、虚しさや分離感となり

最後は悲しみというプロセスを辿って行ったのですが

これまたシンクロなのか、その悲しみの中にいた最後の日に

参加者の中で、質疑応答の時間に、自分が感じたことをシェアするということで

性的な虐待について、話された方がいました。

彼女は、この人生で虐待された経験などなかったそうですが

この惑星クラスの間にそういうエネルギーを感じたとのことでした。


そして、私がクンダリーニ症候群の直後に感じたエネルギーが

まさにこの虐待されたという感覚だったわけです。

私自身も、虐待なんて、これまでの人生での経験はなかったですが

なぜかそういうエネルギーとつながり、

それをクラスの間にシェアする間、ポロポロと涙が止まらなくなり

一方の私は「何がそんなに悲しいのかしら」とも思っているのですが

一方は、男性には決して理解してもらえないという深い悲しみを

ひしひしと感じていたのでした。


こんな風にこのクラスは、フィボナッチやアトランティスということを超えて

深いエネルギーのシェアの場になり

それぞれが自分の感覚を率直に伝えていて

そのことに対して、ロンもとても感動していました。


今回のクラスが終わって、改めて気づいたのですが

私はこれまでは、ヒーリングをやるのが、とにかく楽しくて

これをやったら、どうなるのかもっと知りたいという好奇心だけで

どんどんやってきたのに、ふと気づくと

いつの間にか、地球救済軍に入って働いていた、みたいな感覚でした。


そして、今回でオーガナイズをやめるということが

その地球救済軍を抜ける、みたいな感覚にもなったのですが

ちょっと辛かったのが、今回、参加された方々は

本当に素晴らしい感性の人たちで

このクラスを通じて、深いつながりを感じたこともあって

来年もまたここで会いたい、という気持ちになったことでした。

はっきりと言えるのは、たとえ、アトランティスの過去生など全く関係なかったとしても

繋がっていたいと感じる方たちでした。


でも、私は地球救済軍も面白そうだけれど、やはり個人レベルで動いていきたいなあと。

セッションやクラスを通じて、それぞれが

自分の家族や友人や仕事場での深いつながりを感じたり

病気や身体の不調を癒したり 

また、お金や豊かさを高めたり

やりたいことだけを自由にやっていったり

それぞれの才能を開花させたり、

そんな個人レベルでの解放と発展を通じて

結果的に、それが地球全体の意識を変化させることにつながれば嬉しいし

たとえ、すぐには繋がらなくても、それはそれでいいなあと感じるのです。

 

もちろん、これからもフィボナッチは、セッションで使っていくでしょうが

これからは、これを広めることよりも、もっと多くの人々が

キネシオロジーの自己ヒーリングや家族や他の人へのヒーリングが

できるように、私のクラスにフォーカスして行こうと

ようやくすっきりと決心ができたのです。 


クラス3の時に、ロンにあのアマテラスの怒りに関して、どう捉えているのか

質問してみたのですが

ロンからの答えは、

「アマテラスは、もう弱い存在ではなく、パワフルなのだということを伝えてきた。

そして、それをみんなに私から伝えなければならなかったのに

「こんなことを日本のアマテラスに詳しいみんなに伝えてもいいのだろうか」

という私のエゴで伝えなかったために、アマテラスが怒ったのです。

あれは適切な怒りでした」という捉え方でした。


それは、私があの時に受け取ったメッセージとは違っていたのですが

それはそれでいいなあと。


「アマテラスを超えてゆけ」が

ロンにとってはどういう意味を持ったのかは、もう私にはどうでもよくて

それぞれにとってのメッセージが大切なのであって

私にとっては、そのメッセージは

「アトランティスを超えてゆけ」でもあったし

また「ロンを超えてゆけ」でもあったのだなあと。

ある意味では「ユニティを超えてゆけ」とも言えるのかもしれません。


ユニティのために何かをやって行く

のではなく、それぞれが自由に解放されていった結果

ユニティへとつながってゆくというか。

どちらにしても、私たちは深いレベルで繋がっているのですから。

 

今回のクラスの中での深いつながり感だけではなく 

先日、日本で家族とのつながりも深く感じたし

また、日本を発つ前に、30年来の友人と成田で話しをしたのですが

彼女とも魂レベルのつながりを感じたし

また、ニューヨークでの飲み仲間や友人とも

また、キネシオロジーのクラスやセッションを受けに来られる方々とも

またブログを読んで、共感してくれている方々とも、感じるのです。

それは、私たちの魂がどこから来たか?なんてことには

全く関係なく、ただつながっているという感覚です。

 

そして、不思議なことに、クンダリーニ症候群の後の自己ヒーリングでは

アトランティスの過去世が全く上がってこなくなったのでした。

それまでは、アトランティスの過去世は、毎回のように

自己ヒーリングでも、おさむから受けるセッションでも上がってきていて

これは、一生出てくるんじゃないか、というぐらいでした。

もしかして、ようやくここを抜けたのか

それとも今のところだけ出て来ないのかは、わかりませんが。


ということで、クラスの間、感じていたことを、ざっとまとめてみたのですが

(これで短くまとめたつもりなのあっかんべー )

こう長いと途中で挫折するよね。

ここまで、読んでくださった方、ありがとうございますどきどきハート


 

さて、私とおさむは明日、ニューヨークに戻るので

今日は1日は、ニックさんの家で、荷物の整理などをやっています。

(って、途中でやめて、こうしてブログアップしているけど)


きっとニューヨークは、これからの季節、春の訪れで心地よいことでしょう。

これからのセッションも楽しみだし、みんなと飲みに行くのも楽しみだし

また家の植物を新たに買いに行ったりするのも楽しみ。

(毎回、ハワイに行く度に、家の植物を人にあげてしまうので)


ちなみに、ダーリンは、ここしばらくずっと私のケアをしてくれて

とても優しいです。


マイダーリンは、私のエネルギーが変化すれば

それに合わせて、すぐに変化してしまうという単細胞生物なのであっかんべー

私が大変な時に支える強さや安定感はないものの

先日、惑星のチャートを読んでもらった占星術では

「秘書としては最適な人」な人なんだそう。

確かに、今回のクラスでも、みんなの送り迎えの手配から何から

細かくケアできていたし

結構、そういったことを楽しんでやれる人なんだなあと。’ 


ふふ、これからも当分は、私が引っ張ってゆくのです~ウィンク

ロンのいうとおり、女性はパワフルなのですから。


ということで、キネシオロジーのクラスへのモチベーションが

ものすごく高まっています。

詳細はまたアップしますね~。

 

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                                                                                 Photo by Kazumi Sakurai 







最終更新日  2017年05月01日 12時51分37秒
コメント(6) | コメントを書く
2017年04月24日
カテゴリ:つれづれ

さて、ブログでロンのこと直接知らない人たちに話すのは

いろんな誤解を生むなあということは、百も承知なんですが

それでもわかる人にはきっと伝わるし

今の私の感じていることを記しておきますが

これは後から変化するかもしれませんから、話半分に聞いておいてねウィンク


今回、クラス3の参加者の中で、占星術に詳しい人がいらっしゃって

クラス全員の鑑定をしてくれたのですが

私も最後の近い日に、クラスが終わった後、見てもらいました。

占星術の鑑定や惑星音叉の仕事としてもされているYさんと

アロマテラピーと音叉のお仕事をされているMさんという二人が

同時にチャートを読んでくれたのですが

これが本当に素晴らしかった。

私の性質や性格はもちろん、人間関係やこれからの方向性なども

細かく見てくれて、それを聞くたびに

「そうそうそうなの、すごい、こんなことまでわかるのね~」と

感動だったでした。


それで、二人に言われたのが、

私は開拓者であって、常に何かを新しく始めていく人であるということ

直感力があり、サイキック的な力もあるので

それをさらに生かしていくのがいいが

これからは、社会的な成功というところにフォーカスした方がよく

例えば、本を書くなどやっていくのがいいということ。


正直、私は自分が好きなヒーリングさえできていればそれでよかったわけで

そういった意味では、十分に成功していると感じていたこともあって

社会的な成功というのは、どこかで避けていたことでした。 

サイキック力に関しては、自分ではずっと私はサイキックではないと

否定してきたことですが、今回、ドロシーとのことで

そこに関わっていた過去世を手放すことにもなったことも、一つのメッセージとも言えるし

星のチャートにも出ているというのは、やはり受け入れることが必要ということなのか。

社会的な成功にしても、サイキックにしても、共通してあるのは

もしそうなれば「自由でなくなってしまう」という感覚なのです。

こんな風に好きなことを自由に書いたり、言ったりできなくなってしまうのが

怖いのかもしれません。

  

また伝えてもらったのは、私の星的なことで言えば

何か新しいことを始めるのは得意でも

それを長く続けることができない性質であるので

土の要素を持つ人と組んだ方がいいということ。


そして、人間関係に関して、言われたのが、乙女座の人との関係では

ちゃぶ台をひっくり返すようなことになる、ということ。


ひゃ~~、ロンは乙女座で、おさむも乙女座なのです。。。。ショック

こういう内容でブログを書いていること自体

ちゃぶ台を引っくり返していることになるのか。。。


そして、あなたは表裏が全くない人なので

打算的なものを受けいれられないということ。


あ~~打算的なものがダメだということ。

実は、今回、もっともロンに対して受け入れられなかったのは

この「打算的なこと」だったのでした。


今から、考えてみると人間なのだから

時には打算的になってもいいわけで、それが嫌だということ自体

いい悪いの二元的だということだなあと。


そして問題が複雑になるは(実際は問題ではないとも言えるけど)

彼の打算は、決して、ロンの個人的な欲やエゴ

例えば、お金とか地位とかを求めるが故のものではない

ということなのです。

これは、クラスでロンの話を聞いていても伝わってくることだし

私がこれまで、ロンとあれこれをやってきた中でも

「あ~この人にとって、本当にお金なんてどうでもいいだなあ」と感じることは

何度もありました。

(だからといって、お金を求めることが悪いということではなく)

だから、彼の打算的なものを感じた時に、逆に混乱したというか

私の中での抵抗が起こったわけですが

それでは、何のための打算なのか?


そのことをお話しする前に、クラスの中でのことを。


クラス1がスタートしてからというもの

先日、お話ししたように

私はここにいない感や不安感や恐れの中にいたのですが

そういう時というのは、自分自身が何を感じているのかはよくわからないのに

相手のエネルギーに対しては、敏感になっていたりするわけです。

そして、去年とは全く違うロンのエネルギーに

一体、何が起こっているのかよくわからず

それは、さらに私を落ち込ませました。

でも、これは、私の感じ方の問題だから、と言い聞かせていたわけです。


ところが、今回、クラス1に参加した方の中で、5、6人から


「のりこさん、私が想像していたロンとは違いました」とか


「エリンを見ていると、ハートが開いてきて、涙が出てくるのですが

ロンにはハートが開く感じにならないのは、私の問題でしょうか』とか


『なんだかロンがこのクラスにいないという感じがしてしまうんです」

などの言葉を次々に言われました。


あ~、これを感じているのは私だけではないのだなあと。

そして、クラス1の人たちは、今回、初めてロンと会ったのに

そんな風に感じるなんて、なんという鋭い感性、というか

逆に言えば、敏感すぎるというか、エンパスなので

相手のエネルギーに同化してしまうということでもあるわけです。


なぜ、ロンがそうなのかは、私にはわかりませんでしたが

一つだけ言えるのは、ロンは、このクラスに意識を集中するより

これを次のクラスにつなげようと、焦っている感じがするということでした。

クラスの中で、ほぼ毎日のように、次のレベル2、3はいかに素晴らしいか

またATIHを受けたら、どんなに素晴らしいことが起こるかを伝えていたし

私は今回、早い段階で、次のクラスのオーガナイズはやらないことを

彼に伝えていたこともあって、次のオーガナイザーになる人が

この中からいないか、また他に知らないかどうかを参加者に尋ねていました。


私にとっては、必要とあれば、自然にオーガナザーは現れるだろうし

次のクラスの宣伝をしなくても、参加者の人たちが、クラスの中での実践や

それぞれ日本やニューヨークに戻ってから、このヒーリングを使ってみて

その素晴らしさを実感したら、今後、さらに深めたいと思うのは自然なことですから

なぜ、ロンほどのすごい叡智と力を持った人が

そこまで必死になって次に繋げようとするのか、レットゴーできないのか

最初は理解できませんでした。

(とはいえ、何となくはわかっていたのですが)


そして、クラスの中でのみんなからの質問に関するロンの答えというのが

何とも的を得ないことが多かったこともありました。

例えば、アトランティスやアマテラスの話などに関するものだったら

質問者が求めていた答えを話してくれるのですが

臨床的なことや症例などの質問になると

答えが全く質問者の求めているものとは、違った方向になってゆくのです。


例えば、私がクンダリーニ症候群に対して、もし具体的な対応の仕方などあれば

教えてください、とクラス1で質問した時のロンの答えは


「この世にボランティアでやってきた魂の中には

自らが症例になって辛い経験をすることで

結果的に、人々をヘルプしていくというお役目を

買って出た人たちがいます。

(つまりは、私がクンダリーニ症候群を体験したことで

そういう体験をする人たちをヘルプするということ)

それは、本当に素晴らしいことなのですが、私なら

ヘルプするのはいいけど、もう少し、お手柔らかに、と伝えるでしょう。

一つのところに向かうのに、もっと楽しく進むこともできるのです)


という答えでした。

いや、確かに私自身は楽に生きようと思っていても

そうはならないこともいろいろあったし

(だからこそ、このオーガナイズもやることになったわけで)

そのおかげで、人に対してのヒーリングも深くなったわけで

そういう意味で、それは私のハイヤーセルフなんだか

魂レベルでの導きとも言えるけれど

もういい加減「お手柔らかに」と言いたいというのは

もっともなことで、とても納得するわけです。

で、その場はそうだよなあと納得して終わったのですが

いや、待てよ、私がここで聞きたかったことは、そこじゃなかったんだけど。。。


と、そんな感じで、こういったロンの傾向は、去年もあったものの

今年はさらにそれが大きく出ていました。


おさむに言わせれば、

「ロンは、創始者だけど、ヒーラーとしての臨床経験が多いわけではないし

先生だから質問されたら、何か答えなきゃいけないと思って

自分が答えることができることを、適当に答えているだけなんじゃない?」

というのですが


いや~、それは違うんじゃない、ロンはわからないことはわからないという人だし

そんな単純なものじゃないと思うんだけど~


と思っていたら、他の人たちは

これに関して、それぞれ違った見解を持っていました。

例えば、ある人は

「あれは禅問答みたいなもので、私が質問したことの答えは得られないのだけど

 ロンの答えを聞いているうちに、自分が質問したかったことが何だったかも

 わからなくなって、いつの間にか、ロンの答えに

 ああ、これが聞きたかったのだ、と納得してしまうのです」


またある人は

「偉大なるマスターは、答えを言わずにヒントだけを与えて

相手が自分で答えを見つけるようにしたり

それを聞く人たちが、もっと聞きたいという思いを抱かせたりするのよ」

と言い、なるほどなあと。


で、私はどう感じたのかというと

ロンが何のために打算的になっているのか?ということを

感じていった時に、ハッとわかったのは

ロンと私たちが捉えているヒーリングというものに対する捉え方が

全く違うのだということに気づきました。


ロンにとっては、症例とか、これにどう対応するか、とか

さらに言えば、病気やいろんな問題を癒すとか

そういった個人的な幸せや喜びは、どうだっていいのだ、ということでした。

いや、どうだっていいというのが語弊がありますが

少なくとも、彼がこのフィボナッチやATIHやアーキュトニックを広げようとしている

メインの意図ではないというということです。


そして、そのメインの意図のためにロンが(無意識的に)使っていたもの

その一つがアマテラスの存在だったのではないかということでした。


さて、このクラスには、サイキック力のある人が何人かいたのですが

(いや、潜在的なサイキック力という意味で言えば、ほぼみんなそうでしたが)

クラス1に参加された方の中で、上からのメッセージを

チャネリングする方(Nさん)がいました。


彼女とは、お会いするのは、これで3回目でしたが

2回目は、前回の東京初級クラスに参加されて

私との過去世を覚えていた方です。


正直なところ、このチャネリングというのは

私はそこまで信じておらず、というのも

そのチャネリングしている人、いわゆる媒体になっている人の

エネルギーに左右されることが大きいので

その媒体になる人によっては、高次の意識にチャネリングしているようでいて

実は違っていた、なんてことも起こりえるからです。

これまで、そこまで完全なピュアなエネルギーの状態でいるチャネラーには

ほとんど出会ったことはなかったし

それぞれに偏ったものになってしまうのも、仕方ないなあと感じていました。


さて、そのNさんがロンに対して何らかの納得できない

感情を持っていることは

初日の自己紹介の時にも彼女がみんなの前で伝えたこともあり

わかっていましたが、それは彼女の個人的な問題から来ているものなのだろう

と思っていました。

彼女の問題として、一度、チャネリングが始めると

それを自分の意思では、止めることができなくなる、ということと

そして、降ろしてきたメッセージについて

彼女自身が全ての意味を理解できないので、相手にきちんとそれが伝わらない

ということがありました。


そして、クラス1の最終日のこと。


質疑応答の時だったか、何の時だったかもう忘れてしまったのですが

突然、Nさんが「もう抑えられない」と言い出し

いきなり、チャネリングがスタートしました。


それは、私は全く聞いたことがない言語で、彼女はそれを

明らかに怒りに満ちた激しい口調で語りながら

ロンに近づき、ロンに対して、激しく迫りました。

そして、ロンの前の机にあった細胞の模型やグラスなどをつかみ

周りに投げ捨て、激しい怒りをあらわにしたのでした。


それをロンは落ち着いて、静かにそれを聞きて

受け取り、頭を下げていました。


クラスの中で、何人かがすすり泣いていて

その時、みんなが、どういう思いだったのかはわかりませんでしたが

私は「あ~やっぱり来たなあ」と

この事態になることをどこかで知っていたように感じて

全く驚きませんでした。

むしろ意識のどこかに「ロンは怒られて当然」

みたいな感覚があったのに、後から気付きました。

ただ、Nさんに対して、こんな思いをするのはさぞ大変だろうなあと

彼女の心が癒されることを祈っていました。


Nさんは最後に

「アマテラスを超えてゆけ!」

と日本語でのメッセージを伝えると

全てのチャネリングが終わり、すっかりいつもの自分を取り戻し

ロンに対して謝っていました。


全てが収まった後、ロンはみんなに

「今の言葉は、たぶん、マウリ語です。

マウリは、レムリアとの深い関わりを持っている民族です。

マウリの人たちは、最初に出会う人に怒りを見せて、

相手に自分を見せろ、と伝えるのです。

それに対して、恐れたり、怒ったりすることなく

自分を見せたら、マウリの人たちは受け入れてくれるのです」


と話してくれました。

そして、そのクラスの後、ロンが話してくれたのは

「最初は私もどうしたらいいか、わからなかった。でも気づいたのだ。

ああ、彼女は、本当にアマテラスのエネルギーのチャネリングをしているということを。

あの日の朝、私はアマテラスからのコンタクトがあったのです。

そして、それをどうみんなに伝えていいのか、わからないでいました。

そして、そのエネルギーとリンクしていたのです」


その時は、私自身はあのエネルギーをどう捉えていいのか

よくわからず、最後に彼女の言った言葉

「アマテラスを超えてゆく」ということの意味も

どういうことなのか、わかりませんでした。


それでも、直接、そのことについて彼女と話すチャンスはなく

クラス1が終了し、その次の日、私は

父の四十九日のためにカラニを出発して、日本に向かいました。


私は参加者の中で二人と同じ飛行機だったので

おさむに送ってもらって、ハワイのヒロ空港で、おさむと別れ

そのあと、空港で3人で話しながら、

搭乗時間までの時間を過ごしていました。


そして、あと10分で搭乗が始まるという時でした。


Nさんが後ろから駆け込んできたのでした。

彼女は次の飛行機だったのですが

少し早く空港に着いたとのこと。


そして私と会話しているうちに

また何かが降りてきたと、幾つかのメッセージを伝えてくれて

「のりこさん、もっともっと正直になって」

と伝えてくれました。

「いや、もう私があれこれと言うことではないから」

といった時に彼女は私の手を取って

「みんなあなたを信頼しているから、ここまで来た。

あなたが正直にならなければ、違った方向に行ってしまう」

と言いました。

私は、彼女の目を見つめた途端、ど~~っと涙が溢れてきました。

 

「ああ、そうだったのだ」と改めて気付いたのでした。

 そうして、私は、あの時、なぜアマテラスが怒っていたのか

彼女の目を見ていて、やっと理解できたのでした。


「私は正直になりたいから、今回でこのオーガナイズをやめるの」


と彼女に伝えました。


実は、こういったロンとのやり取りを含め

これはあくまでも私の見方であり感じ方でしかないので

私の胸のうちにしまっておこうと思っていたのですが

彼女に言われたことで、私はより正直に生きる勇気を頂いたのです。

(ちゃぶ台、引っくり返すことになってしまうかもだけど泣き笑い )


これまでのアマテラスとロンとの深い関係に関しては

嘘はありませんでした。

だからこそ、今回、アマテラスの怒りがあったのでしょうから。

ただ、もうアマテラスを使うのはやめて

ロン自身で勝負しろ、というメッセージだったのではないかと。

それが、アマテラスを超えてゆけ、という言葉に現れたのではないかと。

 

物語は続きます~~。

 








最終更新日  2017年04月25日 16時58分45秒
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2017年04月22日
カテゴリ:つれづれ

今回のカポホの一軒家は広くて

周りには家もなく、ただ緑が広がっています。

この静けさと安らぎの中にいると、先日までのことが、まるで嘘みたいに感じられます。

 

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ここに着いた直後に引いたマップカードは

「のんびり、ゆっくりと進みなさい」というメッセージで

「そうだよね~、しばらくの間、のんびり過ごそう」と

この2日間はブログをアップした他は、ボーっとしたり

自己ヒーリングしたり、おさむにセッションをやったりしていましたが

(のんびりしていても、結局セッションをやってるのも、笑えるけどウィンク )

今朝は、何だかアクティブな気持ちになってきたので

試しに再び、カードを引いてみたら出てきたのが


「今は新しいアイデアを生み出したり、新しい人間関係や

仕事を開始したり、あらゆる冒険に出かけるのに最適な時期です」


展開、早っ!目


ということで、早速、10月にニューヨークと東京で行う予定の

キネシオロジー初級クラス、中級クラスについての

アイデアや企画をおさむと話しつつ、そのための行動をスタートしてみたら

あ~やっぱり、ワクワクする~ダブルハート


思えば、このフィボナッチやアーキュトニックのクラスのオーガナイズは

このわくわく感ではなく

これが私のお役目なのだから、と割り切って、やってきたのだなあと。

もちろん、ここでの体験によって、いろんな人たちと深いレベルで繋がることができたし

また、私自身の深いレベルでの解放につながったので

結果的にはすべてよかったのですが

これからは、結果論やお役目ではなく

プロセスそのものを楽しめるものにフォーカスしていこうと。

ということで、今後は、フィボナッチやアーキュトニックのオーガナイズをするのは

今回で終わることに決めたわけです。


さて、怒りの話の途中でしたが、今は、すっかり怒りがなくなってしまった後

それについて思い出して書くのは、例えて言うなら

覚醒体験をした後に、その時の感覚について伝えるようなもので

個人的な体験だし、伝えなくてもいいかなあという

気持ちに何度もなったのですが

その度に「きちんと自分の思いを伝えること」という身体からの

メッセージがあり、これをアップするモチベーションになっています。


怒りというのは、その時は、

誰かに対して向けられているようで

実際は、自分自身が持っている何かに対しての感情なのですよね。

例えば、先日、書いたように、表面的にはおさむに対して、怒っていても

それを紐解いていくと、私自身が女性性を抑圧してきたことに対する怒りだった

というように、今回、ロンに対して感じた怒りも、ロンが問題ではなく

あくまでも私の問題であり、私自身に対する怒りなのです。


今回、私が最も受け入れられなかったことは

ロンはいつもハートにいる人ではなかった

ということでした。

そんなことは私もそうだし、人間なのだから、誰でも当たり前のことなのですが

ロンに関しては、常にハートスペースにいる人なのだ

と、これまで私は感じていて、つまり、それはある意味で

彼を神格化してしまっていたわけで

そこに気づいた時、自分自身への怒りがわき上がってきたわけです。


ロンに対しては、2011年に受けたATIHのクラスの時のロンの印象が

強烈だったので、その印象が強く残っていたこともありました。

人はいろんな側面を持っているのが自然だし

またどんどんと変化していくわけで、出会う時期によって

また出会う場所や状況によって

全く違った印象を受けるものだなあと。


そのことに少しずつ気づき始めたのは

去年のフィボナッチのクラスが終わってから

ロンとのメールのやり取りをやっていて

いろんな場面で何となく感じてきたことでした。 


今となっては、その経緯自体は、全くどうでもいいことなのですが

それを説明しないと、伝わりづらいかもしれないので書きますが

これは、あくまでも私から見たものや感じたことであって

いわば私の幻想のストーリーとも言えるので、真実とは違うことを

念のためにお伝えしておきます。

真実は、個人の経験や感覚の中にはないものですから。


さて、最初の年は、ロンとのメールのやり取りだけで、いろんな気づきがあったり

オーガナイズのプロセスも、全てがスムーズに動いていったのですが

今回は、様々なことがタイミングが悪かったり

ロンとの認識の違いから来る行き違いが起こっていて

これはどういうことだろうと感じ始めていました。

特に大きかったのは、アーキュトニックのレベル3で行う

あるプログラムに関してのやり取りを行った時のことでした。


それは、参加者が一人一人、音楽や音に関するパフォーマンスを

クラス内で行うというもので、それは正規のアーキュトニックの

プログラムではないとのことですが

ロンは前回のカナダでとてもそれを気にいっていて

今回のハワイでも、ぜひそれをやりたいので、クラスのみんなにその旨を伝えて欲しいと

ある日、私にメールで伝えてきました。


私はカナダでロンと話していて、カナダのクラスでは

実践の時間が少なかったので、今回のハワイのクラスでは、もっと実践を増やして欲しいこと

また、惑星音叉を使った放射線除去や松果体の活性化

自己ヒーリングなどのプロトコルを加えて欲しいこと

ということを伝えていました。

去年のフィボナッチのクラスでも、実践をもっとやりたかったという声が

あったこともあるし、クラスの中での実践が少ないと、クラスが終わって戻ってから

いざやろうとしても、なかなかピンと来なかったりするからです。

ロンは、それは快く了承してくれて、ぜひやろうと言ってくれたのですが

そのためには、これまでのクラスの中で、何かの時間を削る必要がありました。

 

カナダでは、たった6人の参加者でしたが、音のパフォーマンスだけに

半日間を費やしたので、今回のハワイではレベル3の参加者は16人だし

もし、これを行えば丸1日かかってしまって

実践はほとんどできなくなってしまうことは、目に見えていたこともあり

その実践を削ってでも、このパフォーマンスが必要なプログラムであるとは

私とおさむには、どうしても思えなかったのです。

また、今回の参加者の中には、人前でのパフォーマンスに

ストレスを感じている人たちが何人かいたこともあり

私は、日本からクラスの参加者たちが何を求めているのか?といったことも含めて

ロンに伝え、音のパフォーマンスは、今回のプログラムからは外して欲しい

ということを伝えたのでした。


ところが、ロンは、例え、参加者にとってストレスになったとしても

必要なものはやる、と伝えてきました。

そういったロンの強い意思表示は、これまでも何度かあり

私は、結果的には、ほとんどロンの意向に従ってきたので

今度も、そこまでロンがやりたいのなら、まあいいか、と思ったのですが

今回は、何かが私の中で引っかかったので、筋反射で身体に聞いてみると

「自分の意見を主張することが必要」と出てきました。


それで、参加者の人たちにメールを送り

このパフォーマンスに関してどう思うか?のアンケートをとってみると

16人のうち、やりたいという人は2名で、どちらでもいいという人が4、5名

あとはやりたくない、中にはそれを考えただけでも大きなストレスになる

という人もいました。

それで、この結果をロンに伝えたわけですが

ロンから「人前でのパフォーマンスが

そこまでのストレスになるということが、私には理解できない」ということや

「オーガナイザーは、先生の意向に従い

先生の意向を生徒に伝え、クラスを円滑にするために存在するのであって

先生に対して、指示をするものではない」

というような、ちょっと厳しいエネルギーのメールを受け取ったのでした。


あ~、だからオーガナイズの役なんて、私には無理だったのだ

ということを改めて思い知らされたわけです。

去年のハワイで、私がロンに伝えた言葉は

「ロンに対する忠誠心があるゆえに

私は自分の自由感を失ってしまうし、それが嫌だから

オーガナイズをやりたくないと躊躇したけれど

その忠誠心を手放す調整を行ったので

これからは、自由感を持ってオーガナイズすることにします」

ということで引き受けて、ロンもそれをとても喜んでくれたのですが

結局、私は自由感を失うことになったのだなあと。


それでロンに対して

「私の英語力の欠如ゆえに、そういう風に聞こえたかもしれないし

そうだったら申し訳ないけれど、もちろんこれは指示ではなく

オーガナイザーとしての要望で、もしできるなら

何らかの妥協案(希望者だけパフォーマンスを行うことなど)を提示してもらえたら嬉しい」

というメールを送ったのですが

その後、ロンから、そのことに対する返事はありませんでした。

 

おさむはと言えは、そのロンからのメールを読んで

「このエネルギーに俺はもう耐えれない」

とすっかりクラスを行うことへモチベーションを失ってしまっていました。


ですが、それから、私たちのハワイでのリトリートがスタートし

父が亡くなったり、なんだかんだで、そのメールのことも私の意識から吹っ飛んでしまったのですが

そのあと、しばらくして私は

『ロンは、大きな視点で物事を見ている人だから

あのパフォーマンスを行うことが、プログラムや学びよりも

高次のレベルで、参加者みんなにとって必要なことだったのかもしれない。

それなのに、私は自分の経験や直感だけで

それを阻止したことになってしまったのかもしれない」

という罪悪感や迷いのようなものが出てきました。


でも、もうクラスまでの日程も迫っていて

今更、そのプログラムを実行するには遅すぎたこともあって

もうこの流れを受け入れるしかなかったし

きっとこういった私の思いも、実際にロンにあったら

すべて解消するのだろうと思っていたのです。

メールというのは、言葉だけで、相手のエネルギーは直接感じれないので

お互いに誤解を招きやすいものだし

きっと会って話せば、ロンのハートに触れられるのだろうなあと。

 

ところが、今回、ロンとカラニで出会った瞬間に

ロンのエネルギーが去年とは全く違うことを感じて

「ああ、やっぱり」という失望感と

「なぜ、私はこのクラスをオーガナイズしているのだろう」と’いう

自己否定や虚しさが出てきたのですが

その直後に受けたドロシーのセッションから数日は

すっかり自分自身ではなくなってしまっていたので

自分がどう感じているのかも、わからなくなっていました。

 それで、クラスが始まる前日に、おさむに対して

 

「私たちは、参加者のみんなが、ここに来て本当によかった~と

喜んでもらうために、このクラスを開いているのよ。

だから、私たちの個人的な思いや感情は、ここにいる間は封印して

オーガナイザーとしての仕事を最後までちゃんとやろうよ」


などと伝えたわけです。


は~、結果的には、私は何も封印できなかったし

オーガナイザーとしての役目という意味でも失格でしたが

(こう言う事をここで書いていること自体、完全に失格だし泣き笑い )

それでも、参加者のほとんどは、ここに参加できて本当によかった~と

本当に喜んでくれました。

考えてみれば、魂の導きによって、それぞれ来られているのだから

私が妙な責任感を持つ必要なんて、全くなかったのだなあと。


そして、また結果的には、今回のクラスのプログラムは

東洋医学に深く精通しているエリンの存在もあり

よりさらに充実していて、実践やプロトコルも多く

これまでのクラスの中でも最高のものとなったのでした。


最終日に、ロンに

「私はここに来る前は、あなたの意向に従うことをしなかったから

ギルティ感があったのだけれど

今はこれで良かったとホッとしています」


と伝えたら、ロンは


「いや、どちらにしてもあのパフォーマンスを行う時間はなかったよ。

(あの~、そのことをずっと伝えてきたつもりだったんですけど~~泣き笑い )

あれは、音のパフォーマンスが大事ということより

あれをやると、一人ひとりが自分のことを語り、表現することになるから

やりたかったのだよ。でも、このクラスの参加者は

みんな自分を表現できる人たちだったので

あのプログラムがなくても良かったよ」


という爽やかな答えが返ってきました。


それを聞いて

なぜロンがそこまで、音のパフォーマンスをやりたかったのか?が

ようやく納得できたわけです。

ロンが求めていたのは、クラスの参加者たちとの一体感だったのだなあと。

ロンにとっては、プログラムより何より、一体感の方が大事なことだったのです。


私自身は、例えば私のクラスで、参加者が結果的に

一体感を感じることができれば、もちろん嬉しいことだけれど

たとえ、分離感を感じていたとしても、それはそれで必要なプロセスや気づきに繋がるわけで

クラスの中での、それぞれの自己表現や一体感を大切だと感じたことはなかったこともあって

ロンの意図に全く気づかなかったのでした。

そして、なぜロンがそこまで一体感を求めていたのかも

このクラス全体を通じて観えてきました。


こういった認識の違いから来る行き違いに関しては

怒りは感じなかったし、むしろ私自身の不十分感の方が大きかったのですが

今回、私が感じた怒りの感情は

ロンとアマテラスとの関係から、表に出てきたのでした。


ということで、物語の続きはまた~~ひよこ








最終更新日  2017年04月24日 02時48分05秒
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2017年04月20日
カテゴリ:つれづれ

アロハ~~晴れ


みなさま、いかがお過ごしですか~?


先日、アーキュトニックのすべてのクラスが終了し

私とおさむは、昨日、カラニリトリートを出て

パホアの村から車で15分ぐらい走ったところにある

閑静な森の中の広い一軒家に移って

愛と平穏と官能の日々を送っております。

(ふふ、官能っていうのが、ミソねウィンク )


って、前回のブログと180度違うエネルギーに

「一体、どうなってんの?』と思われる方もいるかもしれません。

前回のアップの後「ハラハラしています」とメールをくださったり

その時の私の感覚と深く共感してくださった方もいて

本当に遠く離れていても、繋がっているのだなあと感じています。

ありがとうございますハート(手書き)


いや~、いつもそうだけど、またまた濃~い日々でした。


今回、私が感じたことに関しては、何からお話しすれば、上手く伝わるのかよくわからないし

実際、これは、いろんな角度から捉えることができるので

どの視点からお伝えするかによって、全く違ったように表現されるわけで

言葉でお伝えするのは難しいところなのですが

それでも、こうして言葉にすることで、私の中で

またさらに理解も深まってゆくかなあと。

ですから、お伝えする言葉そのものではなく

その奥にあるものを感じてくださったら嬉しいです。


さて、まずは、感情という観点からお話しようと思いますが

今回、去年と引き続きロンとアーキュトニックのクラスの先生として参加してくれたエリンは

セラピストであると同時に、東洋医学や惑星に関しての素晴らしい研究者であり

彼女がクラスの中で、奇経八脈のことを話してくれた時に

彼女自身が歩んできたプロセスを話してくれたのですが

今から思うのは、私が今回、体験したのは

まさに、そういったプロセスの一つだったのだなあということでした。


東洋医学での陰陽五行というのは、多くの方がご存知のことだと思いますが

いわゆる、木火土金水(もっかどごんすい)

で、それらは、私たちの様々な側面に現れているわけです。


簡単に説明すると

例えば、感情という面で五行をみてみると、それぞれの要素は


木ー怒り

火ー喜び(がない)

土ー心配、不安

金ー悲しみ、罪悪感

水ー恐れ


といったものと結びついています。

一方、奇経八脈はすべての根源ともいうべき「大いなる空」からの流れなので

この陰陽五行を超えたところにあるものというわけです。

エリンは、それぞれの感情に関して、深いレベルで受け入れ、それぞれを感じきり

奇経八脈との関わりを感覚的に見つけ、その後、理論的に証明していくという

プロセスをやってきたそうで

そこから得た気づきや洞察は、何千年の東洋医学の叡智を統合し

されにそれを超えたところにあって

クラスの間中、エリンの発していた愛のエネルギーや人知を超えた洞察力は

参加者のみんなを感動の渦へとに巻き込んでいました。


私のキネシオロジーのセッションでも、クライアントさんによく出てくるのが

「恐れを感じることの恐れ」があるのですが

恐れを感じないようにを排除しようとすればするほど

その感情や感覚はさらに抑圧され、奥の方にとどまって大きくなり

抜けることができずに、大いなる空の意識への道が閉ざされるわけです。

エリンは、例えば「恐れ」という感情と向かいあうのに

何ヶ月もかけて、徹底的に感じきってきたそうで

だからこそ、すべてを受け入れ

それを超えたところが観えているのだなあと。


で、その話は、去年にもエリンは話してくれたので

ある程度、知ってはいたのですが

今回、私がクンダリーニ症候群になった後に

この五行の感情を徹底的に見せられ

それらを受け入れるというプロセスになっていたことに

今さらながら、気づいたわけです。


例えば

 

木ー大事にされなかった、守られていないという怒り(特におさむを含めた男性全体に対して)

火ー喜びがないという虚無感、虚しさ

土ーいつになったら元の私に戻ることができるのか?という不安感

金ー女性性が抑圧されたことへの深い悲しみやこんな私はダメだという罪悪感

水ー見捨てられることへの恐れ


思えば、私のこれまでの人生の中で

怒りや悲しみという感情は十分に感じきってきたと思うのですが

恐れや不安や虚無感といった感覚や感情は、ほとんど感じたことがなかったということに

今回、改めて気づきました。

これまで私は自分を、そして自分の人生を信頼してきたし

何が起こっても絶対に大丈夫だという感覚は、いつもどこかにあったので

恐れや虚無感というのは、私の中で、あまり感じれない感覚だったのです。

だからこそ、今回、それらを全て深いレベルで感じることができたたことは

本当に大きな宝の体験だったのだなあと。


もちろん、それらの感情や感覚が起こっている最中は

「わ~恐れがやってきた。嬉しいな~」なんてことにはならないわけで

ドーンとその感覚の中に入っているわけなんですが

一方で、「いや~、こんな感覚が私の中にあるなんて~。すごい」

と感動もしていたのですよね。


さて、カラニリトリートに移ってからも

私はこの感覚や感情を、また別の形で体験することになり

それらを駆け抜けた感じでした。


ちょうど、前回のブログのアップした時は、木火土金水の中で、金の感情である

抑圧された女性性と、男女がわかりあえないことへ悲しみを感じていた時期の

最後の日であって、次の日、そこから一気に抜けて

今は一通りのプロセスが終わった感じです。


ということで、まずは最初から説明すると

今回、カラニに入って、私が最初に感じたのは

五行で言えば、水の要素である「恐れ」でした。


これまで、私は子供の頃から、人が怖いと感じたことはあまりないし

例えば、私の父はとても厳しい人でしたが、それでも怖いという感覚はなかったのですが

今回、人に対して怖いという感覚を、生まれて始めて、まともに感じたかもしれません。

しかも、決して嫌いではなく、むしろ大好きな人に対して

怖いという感覚を感じていました。


そして、そのきっかけとなったのが、ロンのパートナーであるドロシーの存在でした。


ドロシーは、私やおさむから見ると、およそ一般的なアメリカ人らしくないというか

多くのアメリカ人にありがちな自己主張やプライドの強さがなく

謙虚で、献身的で、感受性が強く、人情深く、とてもキュートな女性で

私はすぐに彼女が好きになりました。

でも、一方で、彼女の大きな目だけは、そう言った性質とは違って

魔女の目というのか、いわゆるサイキックであることは

エネルギーにある程度、敏感な人ならすぐにわかるだろうなあと思います。

実際、彼女はそのサイキック力を生かして、セッションを行っているわけで

それ自体は、とても素晴らしい才能です。


そして、少し前のブログにアップしたようにクラス1がスタートする前日

ドロシーのセッションを受けた私は、家系の問題を奥深くまで探り

癒していくという素晴らしい経験をしたのですが

その直後に私はひどい頭痛に見舞われました。


部屋に戻って、筋反射で見てみると

出てきたのは、魔女系エネルギーというのか

いわゆる、呪いやサイキックアタックといったエネルギーでした。

ちなみに、呪いやサイキックアタックなどのエネルギーは

特に珍しいものではなく、サイキック的な力があったり

ヒーリングに深いレベルで関わっている方の多くは

魔女狩りやそういった過去世と繋がっていることが多いし

私もこれまで何度か出てきたことがあります。

むしろ、サイキックでそういった過去世と、一度も繋がったことがない人の方が

珍しいかもしれません。 

私の身体が伝えてきたのは、ドロシーのセッションを受けている中で

私の過去世とドロシーの持っている何らかのエネルギーがリンクして

私のエネルギーフィールドに入ってきた

もしくは私の奥深くから出てきたということでした。


もちろん、これはドロシーの問題ではなく、私の問題であるわけで

それらの過去世とエネルギーを解放すると、すぐに頭痛は治まったのですが

それから数日間、ドロシーの目を合わせるのが怖いという感覚が

自分の中にあるのに気付きました。

彼女の目は、まっすぐに私の奥に入ってくるのですが

その目をまともに見ると、何らかのエネルギーが入ってくる感覚があり

フラフラしてきて、目が見えなくなるのです。 

恐れがあれば、エネルギーを受けるということはよくわかっていましたが

だからといって、恐れを感じないようにしても意味はないこともわかっていたので

クラス1がスタートしてからの3日間は

それを受け入れながら、夜になると

私のエネルギーフィールドにあるものを浄化していく

ということをやっていました。 


この間の私の感覚は、人に対する恐れだけではなく

何とも言えない「ここにいない感」や「不安感」の中にいて

自分が何者なのか、何を感じているのかもよくわからないのです。

まるで、泥の中に首まではまって、どこから抜け出せばいいのか

わからなくなってしまった感じでした。

 

その間、私は何も言わなったですが、参加者の数人から

「こんなに弱っているのりこさん、初めて見ました」

「わざと気配を消しているのかと思って、話しかけられませんでした」とか

「いつもと違って、あまりにも存在感が薄くなっているのにびっくりしました」

などという声をかけてくれて

あ~わかる人にはちゃんとわかるんだなあと。

(肝心のおさむは、わかっていなかったのだけどね泣き笑い )


で、日々、少しずつキネシで自己ヒーリングをやっていたのですが

クラスがスタートして3日目の夜に

「どんなにセッションが長くなっても

今夜中にはここから抜けよう」と決めて

夕食の後、部屋で自己ヒーリングをしました。


私の身体は「第6チャクラを調整しなさい」と伝えてきたので

一応、チャクラ活性率を見てみると、いつもは第6チャクラは

最低でも90%以上の活性率なのに

なんと20%代まで落ちていたことがわかり

あ~だから暗闇の中にいるような感覚でいたし

存在感もなくなっていたはずだよなあと

気づいたわけです。


例えば、とても美人なのに、存在感がないなあというような人は

第6チャクラが閉じていることがほとんどで

第6チャクラの開き具合は、その人の存在感に出てくるのです。

(ちなみに、 チャクラの活性率はそれを測る人によって変わってくるので

例えば、私自身が私を見て90%以上であっても

もし私より第6チャクラが活性化している人から見れば

数値は下がりますから、あくまでも相対的な数値です)


それで、なぜここまで第6チャクラが封印されているのかを見ていって

出てきた要因がやはり、呪い系、特にマインドコントロールや

洗脳的なエネルギーでした。

最初そのエネルギーがどこから来ているのか、わからなかったのですが

筋反射で、だんだんそれが解き明かされてきて(ここでは説明できないのだけど)

それらのエネルギーを解除していくにつれて

第6チャクラは、どんどん開いて行き、その日のうちに、90%代に戻りました。

それらが抜けた時の解放感は、もう例えようもなく

その日、真夜中の1時を過ぎて、調整が終わった時には

「あ~やった~抜けた~」という喜びに満ち溢れていました。


そして次の日の朝、やはり私が何も言わないうちに、

数人の参加者が私を見て

「わ〜、のりこさんが戻ってきた~」

「元気になって、良かったですね~」と言われました。

とにかく、今回のクラスの参加者は、素晴らしい感性の持ち主が多く

私は、みんなに救われた感じでした。

 

それからは、ドロシーの目を見ても、恐れを感じることはなくなりました。

その後、通訳のナツコさんに相談して

彼女の勧めもあって、ドロシーに私がセッション後に感じたことを伝えました。

日本語でも上手く伝えられるかわからない内容だし

ナツコさんにサポートしてもらいながら、伝えたのですが

ドロシーは、真摯に受け止めてくれて、

彼女自身の家系の問題や男性から抑圧された体験やシャーマニックなワークのこと

など語ってくれた後

「だから、のりこと何らかの形でリンクしたのも無理はないわ、

シェアしてくれてありがとう」と私に言ってくれました。

私と彼女が、ヒーリングやエネルギーにおいて見ている観点が違うのは

当然なので、彼女がどう捉えても良かったし、私は彼女に伝えたことで

すでに満足していました。


ただ、私がもう一つ、恐れていたことがあって

それは、参加者の中で、私のように彼女のエネルギーとリンクして

大変になってしまう人がいるのではないか?ということでした。

ドロシーは、クラス2のATIHの先生であって

クラス1は教えなかったので、クラス1の最初の頃にロンから

「クラスが終わった後、ドロシーは個人セッションを受け付けるから

クラスのみんなにドロシーを紹介してほしい」と言われ

私はみんなの前で、ドロシーのセッションの素晴らしい体験を話し、紹介したものの

その後に私が感じたことに関しては、当然、話せなかったのです。

私の中には、大好きなドロシーのためにセッションを紹介したいという思いと

もし、誰かドロシーのエネルギーとリンクして大変になったら

セッションを勧めた私の責任だ

という罪悪感にも近い感覚がありました。


エリン曰く、恐れは、極性で言えば「信頼」の対局にあるものだということを話していましたが

それも信頼の欠如から来ている恐れでした。

私自身は、あの地獄のようなクンダリーニ症候群の最中にあっても

自己ヒーリングできることはわかっているので

そこは信頼できているのですが

他の人の力は、まだ完全に信頼できていなかったのだなあと。


結局、クラス1で5、6人の人が、ドロシーの個人セッションを受けましたが

それぞれ、素晴らしい体験をしたようで

その後も具合が悪くなった人はいませんでした。

ただ、クラス3では、数名が、ドロシーとエネルギー的なリンクをして

エネルギーが上がってきているのを感じたのですが

それもまたそれが必要な時期に、解放されていくのだろうと。

今は、すべては完璧なプロセスの中にいることを信頼しています。


ということで、恐れが終わった直後から、私が感じることになったのは

「怒り」でした。

恐れの中にいる間は、感じなかった怒りの感情が

恐れから抜けた後、わき上がってきました。


まずは、ドロシーのセッションの後、一旦は収まった

おさむへの怒りが再び出てきました。


ドロシーのセッション直後に私が自分自身を完全に見失っている時期にも

おさむは私の感覚に、あまり気づいておらず

この期間、夜、毎日、自己調整していた私に対して

「いつもいつもよくやるね~」ぐらいの感じで

何も言わず、さっさと眠ってしまっていました。 

3日目の夜に、私が抜けた後も

みんなは私が何も言わなくてもすぐに気づいたのに

おさむは私が伝えなければわからないわけです。


女性性と男性性の違いは、ここまでもよくわかっていましたが

本当に男は感じれない生き物なのだなあと。

私がそれを伝えても

「じゃあ、俺にどうしろというのだ」ということになって

要求されている、責められていると受け取ってしまったり

今度は逆に腫れ物扱いになったりしてしまうので

女性が求めているケアは得られくなるのですよね。


女性にとっては、共感してくれること、寄り添ってくれることが大切なことで

「今、どんな感じ?大丈夫?」と声をかけてくれたり

「今は大変だけど、大丈夫だからね』とハグしてくれたり、共感してくれれば

それで十分なのですが、男性にとっては

女性が何を今、感じているのかがわからないわけですから

寄り添いたくても、できないのですよね。

 

もちろん、そう言ったことは、これまでもよくわかっていたわけで

これまでは、そこを私が甘えてみたり、伝えたりしてきたわけですが

今回は、そんな余裕も私にはなく

また、おさむ自身もいろいろなエネルギーの影響を受けていたので

いつもより大変になってしまったわけです。

(あ、ちなみに今は、怒りも悲しみもなく、笑いになっていますがウィンク )

 

そして、おさむへの怒りとは別に

私が感じた怒りは、ロンに対してでした。


あ~またまた長い。長すぎる。。


ということで、続きはまた~~


マハロ~~カクテル








最終更新日  2017年04月29日 11時53分23秒
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2017年04月13日
カテゴリ:つれづれ

さて、話は前後しますが、私がクンダリーニ症候群になった経緯を説明する前に

Sacred Plants(聖なる植物)のお話を。


以前、よくブログに書いてきたように、古くから先住民やネイティブたちは

大地とのつながりや祖先への敬意、意識の覚醒などのために

様々な植物をセレモニーで使ってきました。

その中でも最も有名な植物として

ペルーや南米で使われているアヤワスカがありますが、

今回のクラスの中で、ロンがアヤワスカをペルーで体験した時の話をしてくれましたが

アヤワスカを採取することで、音をビジョンとして観ることができるということを

シピボ族はわかっていて、それを布やアートに表現してきたわけです。

 

私とおさむも、以前、アヤワスカやサンペドロや

その他の聖なるプラントを体験してみて

それは体験としては素晴らしかったですが

私自身は、ここ何年か、そういう体験に対して

あまり興味がなくなっていました。

というのも、そういったプラントは、セレモニーや神聖な場所で使ったり

ごくたまに体験するぐらいなら問題ないものの

もし頻繁に摂取すれば、脳やエネルギーフィールドに

様々な影響があることがわかってきたからです。


以前、カナダで出会った人で、アヤワスカのセレモニーを頻繁に行っている

シャーマンがいたのですが

ある独特のエネルギーがあって、何と説明したらいいかわかりませんが

あえて例えるなら、妖怪のようなエネルギーでした。

もちろん、それが悪いとか良いとかいうことではないし

シャーマンとして生きていくのは、それが自然かもしれませんが

私とおさむにとっては、ちょっとヘビーで近寄れない感じでした。


ちなみに、国によって法律が違うので、アヤワスカは

ペルーでは合法ですが、アメリカでは違法です。

また、例えば、カンナピズ(大麻)も古くから聖なる植物として使われてきたものですが

日本では違法ですが、アメリカは州によって法律が違って

医療大麻は、過半数の州で認可されていて

また嗜好用を認可している州もあります。


ちなみにカンナビスの愛好家たちは、依存性がないことや

身体に無害であることを主張していて

私も昔は、そういうものだと思っていたのですが

決してそうではなく、様々な影響があるのです。

例えば、アルコール中毒のように、アルコールが切れると身体が震える

というような依存でなくても、頻繁に摂取すれば、

それがないと、安心感やリラックスできない、ということになり

それは依存となります。

また、左右の脳をつないでいる脳梁や交連のつながりを弱くするので

集中力やオーガナイズ力、判断力なども弱くなり

当然、グランディングも弱くなるので

常用すれば、ある種のエンティティがついてしまうことも多いです。

 

私も、ニューヨークにやってきたばかりの20代の頃

周りの友人たちに誘われて何度かやって

例えば、音が良く聴こえたり、意識が広がるような感覚になったり

ビジョンが見えたり、体験としては良かったですが

それを取った次の日には、だるくなったり

ボーっとしたり、何もする気がしなくなってしまうので、一切やらなくなりました。

もうかれこれ、25年ぐらい前の話なので、当時は何も知りませんでしたが

今から思うと、あの頃、カンナビスを常用していた友人たちの中には

エンティティ系のエネルギーが’強い人が何人もいたなあと思います。


さて、話は戻りますが

おさむは、ハワイに来る度に、あるプラントを常用していました。

それは、ハワイのジャングルには、自然に自生しているもので

ニックさんや他の何人もの方たちは、認可を取って

合法的に栽培されているのですが

私は、おさむに、ハワイに着く前に

リトリートの前には、決して取らないように

と伝えていました。


特に、今回、私がおさむと共同でワークしたかったことの一つに

宇宙人DNAの調整があるのですが、この調整には

かなりの集中力と忍耐力を必要とするので

そういったプラントを摂取すれば、とても集中力が続かなくなるのは

わかっていたからです。


ところが、おさむはハワイに着いてすぐに、人からそれをもらって

すぐにそれを摂取していました。

それを見て、私は「あ~、ダメだこりゃ~」と思っていたのですが

「まあ、いいか」と、その時は、彼にそれほど強く言いませんでした。


ちなみに「まあ、いいか」は、女性性の抑圧に

最も有効な言葉の一つと言えるかもしれません。

「まあ、いいか」と自分の感覚を封印し、感性を鈍らせてしまうのです。

でも、おさむ自身が止めたいと思わなければ

私がとやかく言っても仕方ないと

感覚を抑えていたわけですが

思えば、その時、すでに私の中で、おさむに対しての不信感がありました。

もちろん、私たちは完璧ではないですから

浄化したつもりでいても、何か残ってしまうことはあるし

その時々によって、いろんなものが出てくるのは仕方ないことですが

セラピストとして、自分のエネルギーに責任を持つのは当たり前のことで

ほんの短い間でも自制できず、そういう状態で

人に対してセッションを行うことも許せなかったし

そして、リトリートを開催する立場としての意識や

そして、私を支えるという気持ちもないことに

ある種の失望感を感じていました。


ですから、リトリートの間中

「彼には頼れないから、私がやらなければ」

という意識でいたこともあって、さらに私の責任感は大きくなり

それぞれのセッションも長時間になりました。

実際、クラスが終わってから、具合が悪くなった人を

私とおさむでセッションする、ということになった時に

おさむにはもう集中力や持続力がなかったので

私がしっかりするしかなかったわけです。


特にリトリートの最中に、父が亡くなった直後は

私自身もぐらついていたこともあって

その時期に、精神的に彼に頼ることができなかったことは

正直、辛かったものの

ただ「責任感」で自分自身を保っていた感じでした。


こうして、カポホでのリトリートが終わってから、数日経ったある日

おさむはそのプラントを

「のりこもたまには一緒に取ろうよ」と持ってきました。


私はもうプラントはやらないと決めていたので

もしおさむだけだったら、やらなかったでしょうが 

一緒にいた他の2人もやるということもあって

「私があまり固いことばかり言っても、みんなが楽しめないな~。

後でキネシで脳の調整をすればいいか」

と、つい一口、小さなかけらを食べてしまったのでした。


そして、しばらく経って、だんだんと意識が朦朧とし始めた時に

おさむが部屋に入ってきて、メイクラブをしようと、私のあそこに触れていて

私も最初は気持ちいい感覚になっていたのですが

ある瞬間から、訳がわからなくなり、気がつくと嘔吐を繰り返していたわけです。

それがクンダリーニ症候群だったと筋反射で上がってきてわかったのが

それから2日後でした。


よくよく考えてみれば、クンダリーニは、性エネルギーですから

そういう意識の覚醒に影響するプラントを取って

仙骨のアクセスや性的なアプローチを行えば

クンダリーニが活性化してもおかしくはないわけですが

その時は、一体どうしてこうなったのか、何が起こっているのか

全くわかりませんでした。


それと同時に、この仙骨にあるブロックとして

男性から守られなかった過去世のエネルギーが

浮上してきたことに加え

クンダリーニ症候群で神経系がやられていたので

周りのエネルギーに過剰に敏感となって

おさむが持っていたエンティティ系のエネルギーなどが

とても不快に感じられて

私もおさむに対する不信感はマックスとなっていたわけです。


そして、おさむのエネルギーが苦しかったので

少し私の身体の状態が落ち着いてきてから、おさむへのセッションを行いました。

すると、おさむのプラントへの依存の問題が浮上してきて

おさむの身体は、それをもう完全にやめることが必要だと伝えてきました。

今回、私がクンダリーニ症候群を起こしたのは

私自身のブロックの問題であることもわかってはいましたが

一方で、おさむがその決断をするためには、私がこの体験をする必要があったのかもしれない

などと思っていました。


ところが、私が思っていた以上に、おさむはプラントに依存状態に近い状態になっていたため

そう簡単には、やめることができませんでした。

なぜやめることができないのか、おさむの身体に聞いて出てきたのは

「つながり感」や「誇らしい気持ち」などでした。


私はそういうプラントを常用している人たちが

共通して持っているプライドやエゴがあるのを感じていました。

プラントは、意識を覚醒する作用があるので

そういう体験をすることで

まるで、自分は世界を知っているかのような錯覚をするのです。

そして、そういうものを取っている人同士のつながり感。

おさむは、そういったものに依存していたのでした。


それから、2、3度セッションを行って、おさむはそれをやめる決心をしました。

そして、先日のドロシーのセッションで彼女から

「男性の弱さをあなたが抱え込んでサポートする必要はないのよ。

おさむに『これはあなたの問題よ』と言って返すのよ」

と言われたのでした。

 

クンダリーニ症候群になってから

体調がすっかり戻った後も

私の中で、どこかで抑えていた感覚が出てきて

何かが変わり始めました。

「まあ、いいか」と達観することができなくなったのです。

これまでも達観せずに、感じてきたつもりだったけれど

いつの間にか達観して、事なかれ主義になっていたことを思い知らされました。

いかに今まで、自分の女性性を抑えてきたのかに

改めて気づいたのでした。 

 

そして、それに加えて、今回のフィボナッチのクラスでの

ロンとの関係で、私はさらにつながり感を失ってゆきました。

でも、おさむには、私の変化や感覚を受け止めることができる強さや余裕は

ありませんでした。

彼にとってもまた、今回の一連のことが、精神的に大きなストレスになっていたし

私の言葉や対応が、彼にとって負担になっていました。 


そうして、私は深い孤独感へと陥って行きました。

 

 

は~、なんというストーリーなのか。

この常夏のハワイで、どうして、こんなストーリーにはまっているのかしらん泣き笑い

そして、このストーリーは、一体、どういう結末を迎えるのかしら?

 

自分自身に正直に生きたい。

自分を偽らず、誠実でいたい。

 

その思いはどんな時も私の中にあって

その生き方に悔いはないけれど 

時として、偽っていた方が楽に生きられるのだなあと。

だから、偽って生きる人が多いのですね。

 

でも、それでも私は真摯に生きたいなあと。

 

だから、このブログもできるだけありのままにアップすることにしたわけなんですが

自分のことだけではないから、どこまで書くのかは難しいです。

 

ということで、クラスのことなど、お話の続きはまた~~








最終更新日  2017年04月16日 17時43分32秒
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2017年04月09日
カテゴリ:つれづれ

昨日、4月8日に父の四十九日が終わりました。


その話の前に、まずは、カラニリトリートに入ってすぐに受けた

ドロシーとのセッションのことをお話しようと思います。


カラニリトリートで、カナダから来られたロンとエリン

そして、イタリアから来られている通訳のなつこさんと再会し

そして、今回、ATIHの先生として来てくれている

ロンのパートナーのドロシーと初対面しました。

ドロシーは、シャーマンワークにも精通している、心理セラピストでもあります。

いかにもサイキックという鋭い大きな目で

人のエネルギーを読んでいるのが、すぐにわかりました。


夕食の時、私がクンダリーニ症候群になった経緯を二人に話すと

ロンとドロシーから、それは是非、ドロシーのワークを受けることをお勧めする言われ

次の日、参加者が到着する日の朝に、セッションを受けることになりました。

ドロシーは、家系のカルマや、その家系に代々受け継がれている問題を

ワークすることが多いそうとのこと。

深い意識状態でのワークになるので、通訳があった方がいいということで

なつこさんが、セッション中の通訳をやってくれることになりました。


まずは、私は目隠しをして、椅子に座り

ドロシーは、ヒプノセラピーのように

私がリラックス状態になるように、言葉で誘導してくれます。

私は、すぐに瞑想的なリラックス状態になりました。


ドロシーの質問に答えながら

私とドロシーのビジョンを合わせていく感じなのですが

この時、まだ言語中枢や脳梁などがダメージを受けていたこともあって

感覚と言葉が上手く繋がらず

ドロシーから質問されても、上手く答えれないことがよくありました。



ドロシー「身体のどこかにブロックしている箇所や

     気になるところがありますか?」


私  しばらく意識を身体に向けてみる。

 

   「…   仙骨」


ドロシー『その仙骨の色は、何色ですか?」


私   色を見ようするけれど、よくわからない


    「…  くすんでいて色はよく見えません」


ドロシー「そうですね。くすんでいますね。

     それではそこにあるエネルギーの大きさはどのくらいですか?」


私   大きさ?

    よくわからない


  「…  よくわかりません」


ドロシー「それでは、その仙骨に意識を下ろして行ってください」


私は意識を仙骨に向けて、下ろしていこうとすると

いきなり、深い悲しみがやってきて、ポロポロと涙が止まらなくなり

しゃくりあげ始めました。


不思議な感覚でした。


なぜそんな悲しい感覚があるのか全くわからないのですが、仙骨に意識を向けて

仙骨に近づけていくだけで、悲しみはさらに深くなってゆきました。

一方、その悲しみの中に入っている私とは別に

それを冷静に見ている私もいて

「何なの?この感覚は?どこから来るのかしら?」

と思っているのです。


ドロシーはしばらく私を泣かせてくれた後、彼女のビジョンを伝えてくれました。


ドロシー「小さな女の子が見えます。

    「その子は、弱くて一人ぼっちです」


私は、弱くて一人ぼっちの女の子を見ようとしたのですが

そこにはリンとして意思の強い子がいるだけで

弱い女の子はどこにもいませんでした。


私    「…

     その子は一人だけど、弱くはない。

     とても強い子です」


ドロシー 「弱さも感じれないほどになっているのですね。

      それでは、なぜその子は、強くある必要があるのですか?」


私    「なぜ?」

      しばらく意識をそこに向けてみる。


      「…   強くなければ、他の人が幸せでなくなる、、、」


ドロシー 「なるほど。

      では、その中でも、最も幸せでいてほしい人は誰ですか?」



私はまたしばらくの間、誰なのか見つけようとしました。

そうして、突然ふっと出てきたのが


     「お父さん」


でした。


私の口から父が出てきた時、冷静な方の私は

「は~これまで、散々、インナーチャイルドワークはやってきたのに

まだ、お父さんなのね~。

亡くなったばかりだから、出てくるのは無理もないけど」


と思っていました。


ドロシー「それでは、お父さんと手をつなぎ、お父さんの中に入って行って

     お父さんと一体化しましょう」


こうして、私は父と一つの意識に繋がりました。

もともと、父とは子供の頃から、深いつながりを感じていたし

父と一つになるのは、私にとって特に難しいことではなく

自然に感じれました。


すると、突然、ドロシーが

「あなたのおじいさんが見えます」

と言い出しました。


すぐに私の中にも祖父のエネルギーが感じられました。


ドロシー「おじいさんは、とても厳しい、強い人でした。

     おじいさんは女性性をその全く受けいれられませんでした。

     そのために、周りの人たちが犠牲になってしまった。

     彼は今、とても後悔しています」


もちろん、祖父がどんな人であるのかなんて、事前にドロシーには伝えていませんが

ドロシーは、祖父のエネルギーをよく理解していました。

私の父方の祖父とは、私は子供の頃のことを覚えていますが

確かにとても厳しい人でした。

昔、父が、子供の頃、よく祖父に、怒られて、一晩、木にくくりつけられて

過ごしたこともある、などと話してくれましたが

その当時の鹿児島の男性ですから 

本当に厳しかったのです。


冷静な方の私は

「は~、ここでおじいちゃんが現れるのね~」


と感心しているのですが、一方で、ドロシーの誘導で、私は次第に

おじいちゃんと一体化していました。


彼の深い罪悪感と後悔の念がひしひしと感じられました。

時代ゆえに、また育てられた環境ゆえに、強く厳しくならざるをえなかったこと

それがゆえに、父が抑圧され

それが受け継がれて、私の中の女性性の抑圧となっていたこと。


「本当に申し訳ない」


何度もなんども、おじいちゃんからの言葉がドロシーの口から伝えられました。

ドロシーもまた泣いていました。


その時、私は、私自身の女性性の抑圧よりも、父がかわいそうという気持ちの方が

大きく出ていました。

祖父に厳しく育てられ、自らも決して楽に生きることを許さなかった父。

それゆえに病気となり、最後まで安らぐことがなかった父の人生を思い

涙が止まりませんでした。


私は祖父そのものとなり「申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。

同時に、こんなにも後悔し、罪悪感を抱いている祖父に対しても

哀れに感じていました。


それから、ドロシーの誘導で、私は

私と父と祖父の3人で手を取り合って、静かに座っていました。

幼い私は、白い服を着て、父と祖父を優しく包み込むように

そこにいました。

それは、とても安らかで穏やかな風景でした。


これは、後からドロシーに聞いた話なのですが

私の祖父は、セッションに半ば強引に入ってきた感じで

あの時、ドロシーも、完全に私の祖父と一体化していたとのことでした。


「あの時、私はあなたの祖父と一体になっていました。

 彼は、本当に癒されることを切望していました。

 この時をずっと待っていたのです。

 あなたがそれをできることを知っていたからです。

 このセッションの中で、結局、あなたが

 父方の家系を遡っていて、すべてを癒していったのです」


セッションの間、祖父や父の感覚など、私ははっきりと感じられることが多かったのですが

時々、自分自身の感覚は、よくわからなくなることがありました。

ドロシーが「お父さんにどうして欲しかったですか?」

と尋ねた時、私自身が父に何を求めていたのか、どうして欲しかったのか

よくわかりませんでした。

しばらく感じてみても、はっきりと見えなかったので

「優しくして欲しかった」と答えましたが

言ってすぐに、自分は決して、そう感じてはいなかったこともわかっていました。

私は一体、どうして欲しかったのだろう?


それから、ドロシーは場面を変えました。


ドロシー「それでは、おさむをここに呼んでみましょう」


もちろん、実際におさむを呼ぶのではなく、私の意識の中で彼の存在を呼ぶということです。


ドロシー「それではおさむと一つになってみましょう」

     どんな感覚が湧きあがってきますか?」


私「怒りを感じます」

 

  この質問には、私は即座に答えました。

  その怒りは、私がクンダリーニ症候群になってから、大きくなったものの

  いつもどこかにある感覚でした。


ドロシー「大丈夫です。怒りを受け入れてください。

    「なぜ怒っているのか、わかりますか?」


私「…守ってくれなかったから?」

 

ドロシー「そうですね。

     あなたは、お父さんには怒りを表せなかった。

     でも、もう大人になったあなたは、安心して怒りを表せるようになったのですね」


それは、明らかに違っていました。

私は父に対して、子供の頃から、戦ってきたし、怒りもよく表していました。

私はドロシーに何も言わず、その怒りがどこからくるのか、感じようとしていました。


ドロシー「あなたの中で、受け入れられないものは何ですか』


何だろう?何を私は受け入れられないのだろう?

それもよくわからず、しばらくの間、意識を集中させていました。


そして、出てきたのが「男性性のエゴ」でした。

でも、その言葉と概念が、私の感覚を正しく言い表しているのかよくわからず

まだクリアではありませんでした。


そうしているうちに、ドロシーの誘導で次第にわかってきたのが

おさむの弱さ、でした。

ドロシーがそこを指摘して

「ああ、彼はとても弱かったから、あなたが守らなければならなかったのね」

と伝えました。

そこで、私の父と祖父の中に内在していた弱さと

すべてがつながってきました。


ドロシー「そうだったのね。

     あなたは子供の頃から、お父さんやおじいちゃんの中にあった弱さを感じていた。

     だからこそ、あなたが強くなければならなかった。

     あなたが男性たちを守らなければならなかったのです」


ドロシーの言葉がストンと、私の胸に響いてきました。


幼い頃の私にとって、父はとても厳しくて強い人でしたが

同時にどこか父の弱さや傷つきやすさを、いつも感じていました。

それは、結局、男性性の弱さであり、思考で物事を選択するものの弱さであって

だから、私は父を恐れたことは一度もなかったし、私の直感に従って動けば

それが、たとえ父への反発となり、父と戦うことになったとしても

それが父の意識を変えるために、必要であることを

いつもどこかで感じていたのだ、ということに改めて気づきました。

だからこそ、父に打たれても殴られても、私は傷つくことはなかったし

実際、父はいつも必ず、最終的には、私の選ぶ道を理解し、信頼してくれたのでした。

だから、私は父に甘えることができなかったけれど

甘えたいとも感じていなかったのだなあと。


ですから、男性に抑えられて、女性性を発揮できなかった、というより

男性を導き、守るために、自らの女性性を抑えた、というのが、最も近い表現でした。

おさむに対しては、いつもいろんな場面んで甘えているけれど

やはり、いざという時は、私が導かなければ、強くなければ

と感じてきたわけで

だからこそ、おさむから守ってもらえないという現実を生み出したのだなあと。


その時、ようやく、私の中から

「ああ、やっとわかってもらえた」

という思いが出てきました。


怒りは、おさむに対してというより

私自身が、私の女性性を抑えてきたことから出てくるの怒りでした。

でも、逆の見方をすれば、思考で判断するしかない男性を導いてゆくことこそが

本来の女性の役割とも言えるのかもしれないなあと。


その日のセッションを境に、今回、ハワイに来てからずっと抱えていた

私のおさむへの怒りはすっかり消えました。


すべては完璧でした。

父を癒し、父方の家系を癒し、そして、私自身を癒すために

父が亡くなってすぐに、このセッションを受けることができたのは

天の祝福だったなあと。


そして、なつこさんの通訳も素晴らしかった。

セッション中、ドロシーの言葉のほとんどは、理解できたものの

なつこさんの訳が入ることで、さらに深く私の中に入ってきたし

セッション中の変性意識状態では、日本語でさえ

上手く出てこない場面が多かったので

彼女がいてくれたことは、大きな安心感になりました。

そして、彼女自身の感情を入れず、淡々と通訳を行ってくれたことも

セッション中、余計なエネルギーを感じることなく

入り込めた要因でした。


しかし、一方で、もともとグラウンディングが弱っていたところに

このディープなセッションを受けたことで、さらにグラウンディングは弱くなり

セッション中に、ドロシーの持っていたエネルギーと

私の過去世とつながったこともあり

(これはセッション後にクリアになってきたことでしたが)

セッション後の丸3日間、私は完全に自分を見失ってしまいました。

そこで何が出てきたのかについては、また後ほどお伝えするとして

その次の日からクラス1(アーキュトニックのレベル1とフィボナッチのクラス)

が6日間、行われました。


そして、クラス1が終了し、父の四十九日のために

クラス2の間、私はハワイを出て

ここ福岡に戻ってきたのでした。


4月6日の夜に福岡に到着し、ご仏前の前で手を合わせて

父の位牌の前で「ただいま」の挨拶をしました。


少し前までは、ハワイから家に戻って、父の前で手を合わせたら

「ようやく戻ってくることができた」

という思いがこみ上げてくるだろう

と思っていたのですが

ドロシーのセッションで、もう十分に父の意識とつながることができたこともあって

すでに私は満たされていました。


母から、父の最後の様子や安らかに眠るように逝ったこと

最後まで、看護婦さんが冷たい足をさすってくれたこと

お葬式でいとこが素晴らしい挨拶をしたこと

お葬式には、遠くからたくさんの人が足を運んでくださったこと

など、いろんな話を聞きました。


そのいとこと父は、昔はよく議論を交わして、昔、とても頑固だった父は

彼の進路に関して「親の面倒を見なければならない」と

他の進路を選ぼうとしていた彼を説き伏せたそうで

「他人の人生を自分の考え通りに動かそうとするなんて

本当ひどい話だよね~」と母と父の悪口を言って、笑いました。


私は、昔から、決して父の言うことに従わず

自分で生きたい進路を選ぶことができたけれど

父の子供でもないのに、父に従って人生を選んだ人たちもいるのだなあと。

それも二人とも男性だったから、これは男性性の闇の一つの表れだったのか

どちらにしても、それぞれの人生で必然の流れだったのでしょう。


それにしても、さすが私の母は、すでに清々しい感じで

父の遺品もすべて処分し、父の子供の頃のアルバムなども

すべて捨ててしまったそうで

弟夫婦にも

「アルバムまで捨てることないのに~」と言われたんだそう。


みんなにそう言われても

「写真は少しだけ残しておけば、十分よ。

アルバムなんて持っていても見ることないし、いらないわよ」と

あっさりと笑っている母を見ていると

感傷的で人情深く、思い出や情に浸っていた父とは対照的で

ああ、だから私は、子供の頃から

母を通じて、女性のうちに秘めた強さを感じてきたのだなあと。

そして、私自身は、その両方を受け継いできたわけです。


母は、早速、6月には友人たちとオーストラリアに旅行するそうで

この9年間、父の介護のために、全く外に出れなかった母は

やっと自由になれたわけですから

これから、よりパワフルに生きていってほしいなあと。


そして、7日は、弟夫婦と子供が京都からやってきました。

1歳7か月の甥っ子は、去年の10月に会った時には

全くおしゃべりしていなかったのに

今回は、ペチャクチャとおしゃべりしていて、むちゃ可愛いです。


弟の話で、骨壷に入れるために、父のお骨を小さく砕かなければならなかったという

話がとても印象的でした。

父は身体はすべてボロボロだったのに、骨だけはしっかりしていたそうで

なかなか崩れなかったそう。

自分の父の骨を砕くという作業に、弟は

「自分の感情を感じないようにして行わなければならなかった」と

話し、私は弟のその時の思いが伝わってきて

弟がその辛い役をやってくれたことに、本当に感謝でした。


そして、4月8日、父の四十九日を家で行いました。

  

お坊さんがお経を唱えている間、甥っ子は楽しそうにおしゃべりしながら

走り回り、お坊さんに触りたくてたまらない様子で

その甥っ子を見ているとおかしくて

事前にイメージしていたような、静かに父への祈りを捧げるセレモニーではなく

とても賑やかな四十九日となりました。

きっと父も賑やかな四十九日を楽しんだことでしょう。

 

納骨した場所には、美しく桜が満開でした。

桜が好きだった父は、この時期に見送って欲しかったのかなあと。 

納骨した後、みんなで志賀島の和食の店に行き、懐石料理を頂いて

四十九日は終わりました。


そして、今日、4月9日は、私の誕生日。


たまたま、私の誕生日の前日が、父の四十九日にあたるなんて

これも宇宙の計らいなのか、父の魂の導きなのか。

49日を終えて、私もまた新たに生まれ変わった気持ちでいます。


今日は、こうしてブログをアップしたり、弟へのセッションを行ったりして

家族とゆっくり過ごす予定です。

(音叉を自己調整のために少しだけ持ってきたのだけど

つい目の前にいる人のセッションをしたくなってしまうのよね~ウィンク )

夜は、みんなでお祝いしてくれるのだそう。


そして、また明日の朝には、福岡を出発して、ハワイに戻り

次の日からは、アーキュトニックのクラス3のスタートします。


これから、クラス1のことや

ロンのことやドロシーのセッションの後日談など

またハワイに戻ってから、アップするつもりです。

実は、このクラス1の間、私はこれまでにはなかった感覚があり

最初は、それはどう受け止めていいのかわからなかったのですが

少しづつ、私の中の感覚もクリアになってきています。


は~久々にむちゃ長くなった~。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます~ハート(手書き)








最終更新日  2017年04月09日 13時27分02秒
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2017年02月22日
カテゴリ:つれづれ

数日前、2月19日に、私の父が他界しました。

享年82歳でした。

今から、8、9年前に脳梗塞で倒れてから、奇跡的に回復して

一時は、普通に歩いたり、食事をしたりできるようになったものの

その後、パーキンソン病を発症し

また、その薬の副作用もあり、身体のありとあらゆる器官がダメージを受け

歩くこともできなくなり、入退院を繰り返していたのですが

もう去年はずっと入院していました。

母曰く、薬の副作用で、記憶がもう曖昧になっていて

今、自分が入院していることもわかっていないとのことでしたが

去年の10月に私が病院を訪れた時は

比較的元気で、食欲もあり、私に

「仕事は順調か?』などと聞いてきて、しばらく話をすることもできました。

母の話では、こんなにまともに話をしている父を見たのは

久々とのことでした。

でも、薬の副作用で、足の皮膚が赤黒くなっていて

父が痛がるので、医者からもう薬ではどうにもならないから、切断した方がいいと勧められ

去年の年末に、足の切断の手術を受けたのですが

その手術の後、急に体力が落ちて

食べることもできなくなり、意識も朦朧としていました。

今回、ハワイに行く前に、母と電話で話をして

いよいよもうダメかもしれない、とのことで

「私は、このリトリートの最中は日本に戻るわけにはいかないけれど

3月になれば、日本に戻ることもできるし

もしも何かあったら、ニューヨークの自宅の電話に

メッセージを残しておいてくれたら

ハワイからでも聞くことができるので、すぐに電話して」

と母に伝えていました。

そして、そのお知らせを受け取ったのは

第2班のリトリートがスタートして8日目のことでした。

第1班は6泊7日のリトリートですが、この第2班は、9泊10日で

リトリート+キネシオロジーのクラスでした。

その日の前日に1日ハワイツアーも終えて、残りは3日間のクラスという時で

その日の午後は、二人一組で14筋反射の取り方の実践を行っていました。

私はみんなの実践の間、それぞれのテーブルに回って

プロセスを見守ったりアドバイスしたりしていたのですが

ひと段落したので、椅子に座って、マックを開いたら

母からの留守電メッセージが入っていることに気づいて

胸がドキンとしました。

「この日のクラスがまだ終わっていない時に

今、ここでメッセ~ジを聞かない方がいいかもしれない」

そんな思いがよぎりましたが、それでも聞かずにはいられず

マックを持って外に出て、母からの留守電へのメッセージを聞きました。

そして、その予想通り

それは父が亡くなったというお知らせでした。

ズドンと胸に突き刺さるようなショックを感じました。

母の「あなたが帰ってこれる3月まで

お父さんが持ちこたえてくれるように祈っていたのだけど」

という言葉が、こだまのように私の中で響きました。

父が逝くことは、8、9年前の脳梗塞の後からずっと覚悟はしてきたのに

私が帰ることができないシチュエーションで父が逝ってしまうことを

私は意識のどこかで、とても恐れていた

ということを改めて感じました。

修に「お父さんが亡くなった」と伝えると

「このタイミングだったのか~」と抱きしめてくれて

涙が止まらなくなりました。

でも、この日のクラスが終わるまでは、参加者には伝えないでいようと

最後までクラスを行いました。

そして、夕食の後にみんなにシェアしました。

父が亡くなったことは、とても悲しいけど、

でもこの8、9年間、ずっと病気で苦しんできた父にとっては

やっと楽になれたわけだから

むしろ、祝福してあげたい気持ちであること。

ただ、父の最後を見送りたかったという思いが

私の中で大きかったこと。

それでも、やはり、すべては完璧なタイミングで起こっている

ことを信頼していること。

話ながらも、涙がポロポロと流れてきました。

すると、参加者の一人が

「のりこさん、明日の朝、日本に戻ってください。

私たちは、もう十分やってもらったし、残りのクラスは

また次回日本でクラスを開く時にでも、参加させてもらったらいいですから」

と伝えてくれました。

すると、みんなも「そうしてください、私たちのことは大丈夫ですから」

「日本では親が亡くなったら、仕事は休むものです」

「私たちはクラスはいつでも受けれるけど、お父さんを見送るのは

もう二度とできないのですから」

と口々に言ってくれました。

このクラスのために、日本からハワイまで来てくれているのに

私のために、そう言ってくれるみんなの気持ちが本当にありがたくて

みんなの言葉を聞いているうちに

もしそれが可能なら、明日の朝、日本に立てば

お葬式には参加できるだろうし、そこで父を見送ってから

リトリート第3班が始まる前に、またここに戻ってくることができるかも

という思いが私の中に芽生えてきました。

父が亡くなったというお知らせを聞いた瞬間から、父との思い出が

走馬灯のように私の中に出てきていて

もう父のスピリットは父の肉体を去ってしまっているとしても

最後に一目、父を見たいという思いが湧いていました。

でも、同時に、今、ここで日本に戻ったら、それはそれで

後悔を残すような気もしていました。

もし父なら、こういう時どういうだろう?と思ったら

責任感の塊のような父のことだから

「そんな仕事をほっといて帰ってくるな。俺のことはいいから

そこで自分の仕事をしなさい」

というのだろうなあと。

みんなは「のりこさんがやりたいようにやってください」

と言ってくれたものの

お葬式に出て、父にお別れを言って、見送りたい

という思いと

このリトリートでみんなと最後まで一緒にいたい

という思いの両方が私の中にあり

この時、どうしたらいいのか、全くわかりませんでした。

感情が高ぶっていたし、とてもその時の私では決断することができず

修が「それならカードを引いてみたら」と言って

マップカードを持ってきました。

そして、引いた1枚目のカードは

「今は自立を求められている。甘えることなく

自分がやるべきことをやること」という内容で

どう見ても、これはみんなの言葉に甘えるのではなく

ここに残るという意味に捉えられました。

でも、まだそれを受け入れられず、さらにモヤモヤしたので

2枚目のカードを引くと

ゴーストランドというカードで

「追憶の中に生きるのをやめて、今を生きなければなりません」

という内容で、これもどう見ても、ここに残るという選択を

示唆する内容でした。

参加者の一人が

「ゆうきちゃん、これはどう読む?」

とゆうきちゃんのカードのリーディングを聞きました。

しばらくの間、黙って、そのカードを見ていたゆうきちゃんは

言いにくいことを言う時の面持ちで

「私は自分のお父さんが亡くなった時に

ずっとそばにいることができたし

のりこさんにも戻って欲しいと思うのだけど。

でも、このカードはここに残れと言っている。

どうして?

どうしてのりこさんは、残らなければいけないの?」

とポロポロ泣いていました。

「でも、このカードは、どこにいてもつながっているから大丈夫と言っている」

ということも伝えてくれました。

ゆうきちゃんのカードリーディングを聞いたことで

私の中にあった感覚もクリアになってきました。

みんなの申し出はとても嬉しかったし、葬儀に出たい気持ちも大きいけれど

やはり、最初に私が決めていたように

このリトリートが終わるまでは日本に帰らないという

決断をすることができました。

ここに残ることが、今の私には必要なことで

そして、これは単に「仕事の責任感」というようなことだけではなく

私の本質が、魂が求めていることだということを強く感じていました。

それから、お酒が好きだった父のために一杯飲みたいという私の思いに応えて

みんながワインを一杯ずつ付き合ってくれました。

一方で、決断はしたものの、今度は私の中に

母に対して、こんな時にそばにいてあげることができないことへの

罪悪感や不十分感が生まれて、ズドンと落ちて行きました。

もう身体も精神も限界で

とても次の日、クラスをやれそうになかったこともあり

この日の夜に修がキネシオロジーのセッションをやってくれました。

父の逝去のお知らせを受けた時のショックで、エネルギー的な統合率は

一気に70%まで下がっていて

グラウンディングが下がったところに、みんなのエネルギーと共鳴して

さらに悲しみや無力感が強くなっていました。

セッションの中で、もう父には生きて会えなくなったのだという寂しさや

最後のお別れも言えなかったという無念さや

母への罪悪感、無力感のような感情が

一気に出てきて、ワンワン泣きました。

修は静かに抱きしめてくれた後

サウンドヒーリングでそれらの感情や思いをリリースしてくれました。

ヒーリングが終了した後、すっきりして

いつもの自分を取り戻すことができました。 

そうしているうちに、弟の奥さんからのメールで

お通夜は、次の日、そしてまたその次の日がお葬式になったことが連絡があり

その後、母と電話がつながり、母と弟と話しをすることができました。

今回、弟夫婦が母のサポートをしてくれていることが

何よりも私の心の大きな支えでした。

父の最後は、苦しむこともなく、眠るように安らかに

亡くなったとのことでした。

母が「あなたはこれまで、もう十分にやってくれたからね。

今、戻ってこれなくても

お父さんに、あなたの気持ちは届いているから」

と言ってくれました。

そして、3枚目のカードを引いたのですが、選ばれたたカードは

「悲しい抱擁」というカードで

内容は「損失は人生の一部です。癒すための時間を取ってください。

失望は感じ方の一つの形式です。

もし期待と合わなかったのであれば、悲しみと悲観とともに

損失感が生まれます。その感情を表して下さい。

涙は命を復活させる癒しの雨です」

という内容でした。

お葬式やお通夜は、故人の為というより

残された人たちが、故人と感情的、精神的にお別れをするためのものなのだ

ということをこの時ほど思ったことはありませんでした。

でも、その希望が叶わなくても、私はここで父とお別れをすることができるのだと

いうこともわかっていました。

その日はボロボロ泣きながら眠って

次の日の朝、起きた瞬間からポロポロと泣いて

私の目はすっかり腫れ上がってしまいました。

でも、気持ちはかなりすっきりしていて

その朝の弟の奥さんからの

「お母さんと、私たち3人(弟夫婦と子供)で

お父さんをしっかり見送ってきますからね」

という暖かなメールを読みながら

私は今、ここでのクラスとみんなに全力を向けよう

という気持ちになっていました。

親が亡くなることは、誰でも経験することであって

時間とともに癒されていくのは自然なことですが

ヒーリングはそのプロセスを一気に早めるなあと。

そして、次の日のクラスの内容は

インナーチャイルドヒーリングでした。

このクラスの参加者は、全員、超エンパスだったこともあり

私のエネルギーに共鳴して、それぞれの不十分感が罪悪感が強く出ていました。

そのことが、逆にみんなのインナーチャイルドへのアクセスを高めることになり

クラスの実践の中で、大きな解放が起こっていました。

クラスの後、参加者の一人でサイキック的な力がある人が

「解放の最中に、のりこさんのお父さんと会いました。

こんな風にお世話になっています、とお礼を言っておきました」

と伝えてくれました。

そして、この日のクラスを行いながら

本当に全ては完璧なのだ、ということをひしひしと感じていました。

そして、昨日、2月21日に父の葬儀が終了しました。

母曰く、思っていたより多くの人がお通夜とお葬式に来てくれて

とてもいいお通夜とお葬式だったとのこと。

私のいとこが、お通夜の後

「僕はおじさん(私の父)とここで一晩、焼酎を飲みたいので

皆さんは家に戻ってください」と言ってくれて

お通夜の後は、母は家に戻って眠ることができたとのことでした。

父がみんなに温かく見送ってもらうことができて、本当に良かった。

私は、このリトリートが終わった次の日、3月3日に

一度、日本に戻ろうと思っていたのですが

その後、母と電話で話をしたら、3月よりも

四十九日法要の納骨の時に戻ってきてほしいということでした。

4月はカラニリトリートでのロンのクラスの最中ですが

オーガナイザーと言っても、実際のクラスが始まれば

特にやるべき仕事はないので

修もいるし、私が1週間ぐらい、いないのは問題ないし

4月に入ってから1週間ほど、福岡に戻ることに決めました。

私は仏教のいうところの、四十九日目に故人が天国と地獄に分かれて旅立つ

という話は信じていないですが

そういうセレモニーを通じて、改めて父とお別れができるような

気がしています。

こうして激動の第2班リトリートが昨日、終了し

明日には、リトリート第3班を迎えます。

父のことだけでなく、本当に色々なことがあった第2班リトリートでしたが

みんなと喜びも悲しみも分かち合うことができて

深いつながり感を持つことができたなあと。

お父さん、これまでありがとう。

お父さんの娘として、生まれて来ることができてよかった。

どうか安らかに天に召されてくださいね。

読んでくださって、ありがとうございます。







最終更新日  2017年02月23日 09時01分43秒
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2017年01月10日
カテゴリ:つれづれ

先日、クライアントさんから

「貧困意識について、また今度~とブログに書かれてありましたが

あれはどうなったんですか?』と聞かれたので

ああ、そう言えば、それについて書こうと思っていたのだった、と思い出し

今日は、貧困意識について、アップしてみますね。

ちなみに、私の記憶力は非常に偏っているというのか、都合のいいようにできているというのか

例えば、セッションで上がってきた脳の情報などは

大量であっても、メモなしでほぼ記憶しているのに、私がセッション中に

クライアントさんに伝えたことや、ブログに何気なくアップしたことに関しては

ほとんどすぐに忘れているんですよねあっかんべー

先日も、飲み会で「のりこさん、先日~~と言われていましたが、それどういう意味ですか?』

と聞かれて「へ~そんなこと言ったの、私?

う~ん、その時、どういう意味で言ったんだろうね~」

と私もよくわからなかったりしたわけですショック

特にセッション中は、クライアントさんの意識と同化して

その人の身体からの声を、そのエネルギーのまま伝えていることもあって

私自身が個人的に~~に対して、どう思っているか?ということに関しては

ほぼ意識してないということもありますが

メールやブログで書いたことなども、すっかり忘れているところを見ると

とにかく、私の記憶というのは、かなりアテにならないのは確かです。

メールでのお返事も、私は考えて返事を出す、ということはしなくて

読んだ時にそのまま会話と同じ 感覚で答えているので

後から読み直すと、ひゃ~こんなこと書いてるし、、、雫 ということも多いです。

それで失敗したとしても、その失敗からまた気づきがあったりするわけで

まあいいか~と。

(私の辞書には、後悔という概念はないのか)

 

ということで、メールでもブログでも

もし何か私が忘れていたら、リマインドしてくださいませ。

さて、今日の本題に戻って、貧困意識。

これは、実際にその人が貧困ということではないですし

その人がどれだけ貯金があったり、今、お金を稼いでいるか?

などということとも関係ない意識です。

まず、ほとんどすべての人にとって、魂レベルで望んでいることの一つに

「自由に生きること」ということがあります。

一体、何が本当の自由なのか?ということは

様々なレベルを含んでいるので、一概には言えないのですが

クライアントさんの潜在意識の声を聞いていると

多くの人の中に「お金」というのが、自由に生きるための一つの要因になっています。

つまり「お金がないと自由に生きられない」という意識があるということです。

この意識があるということは、お金に縛られているということであり

お金によって、自由や幸せが左右されることであって

それを私は豊かさの意識の反意語として、貧困意識と呼んでいます。

貧困意識であれば

「やりたいことをやるため(自由になるため)にはお金が必要」

「(だから)今、やりたくないことをやってお金を得る」という

魂の本質からずれたことになってしまうわけですね。

しかも、やりたくないことをやれば、エネルギーは必ず枯渇しますから

ほぼ永遠にやりたいことには向かわないわけです。

将来のお金に対する不安がある、という方は、もちろん貧困意識ですが

楽してお金を得てはいけない、とか

好きなことだけやっていれば、生きていけない、など

中には、未だに

「お金持ちは自分勝手で傲慢な人が多い」などの清貧思想を持っている方もいます。

先日、お越しになったクライアントさんで

「楽して(一生懸命働かずして)お金を得るなんて、いつかバチが当たる、って思っています」

と言われた方がいたので、思わず笑ってしまったのですが

実は、楽してお金を得てない状況(を作り出している意識)こそが

バチが当たっている状態と言えるんですよね~。

バチと言っても、罰という意味ではなく

自分の無意識レベルでの恐れやそこからの信念が

そのままの現実として表れているということです。

例えば、一昨年、去年に、おさむが何度か急に仕事がぱったり入ってこない時期があって

お金の問題が出てきたことがありました。

彼はヒーラーとしての力はあるし 

これは仕事やお金の潜在的なブロックだなあと

セッションを行ったのですが、やはり、貧困や奴隷としての過去世がたくさん出てきたのと

彼の場合は、人に与えることができなかった過去世や

人を抑圧してきたカルマなどもあったので

それを解除したら、その次の日から

また前に戻って、バンバン仕事が入ってくるということが、何度かありました。

もちろん、彼の意向や顕在意識に関係なく起こっている無意識レベルでの問題なんですが

それを変化させると、本当、不思議なぐらい

すぐにそれを現実として見せてくれるんですよね~。

さて、貧困意識は

例えば「今、安売りだから、ついでに買っておこう」とか

「せっかく、ここに行くのだから、ここにもついでに行ってみよう」とか

「今は使ってないけど、将来使うかもしれないから、とりあえず、捨てずに取っておこう」

などというのも貧困意識から生まれる思考パターンです。

「一つ買えば20ドルだけど、二つ買えば34ドル」

「今だけ、特別キャンペーンで、料金割引」などというのは

この多くの人が持っている貧困意識を煽るビジネスのやり方ですね。

でも、貧困意識から生み出されるものは、やはり貧困意識なので

最初は得したつもりでいても、本当は一つしか必要なかったので

結果的に無駄なことになってしまったり

また、そういうビジネスを提供している方も

料金を安くした時だけしか購入してもらえない、などという現実が生まれ

豊かさのサイクルを生み出さなくなってしまうのです。

また、物を購入する時に、それに関するあらゆるものを比較検討してからでしか

決めれない、というのも貧困意識です。

貧困意識の根底にあるのは「自分は不十分」「足りない」という意識なので

損をするのがとても恐いわけです。

ですから、貧困意識だと、目先の損得勘定に走って

選択してしまいます。

そして、目先の損得勘定で動くと、ほとんどの場合、自分の人生にとって

本当の得にはならず、結果的に損をする、ということになるのです。

例えば、わかりやすい例を取って言えば

少しでも安くて気に入った物を買おうと、比較検討しながら

あちこち人混みの中、歩き回って、結果的に身体が疲れてしまい

(この場合、憑かれていることも多いですが^^ウィンク )

しばらくの間、やりたいことができなかった、とか

また例えば、アルバイトをしていて、それがやりたい仕事でなくても

何もやらないよりマシだ、と必要以上に、臨時で仕事を入れたり、残業したりして

それでストレスが溜まり、ストレス発散のために、無駄な物を購入したり

食べ過ぎたりしてしまった、とか。

お金は、自分を豊かさにするエネルギーの一つにしか過ぎないわけですが

お金のために、自分の心地よさや喜びを犠牲にしているという

主従が逆になっている状態なわけですね。

物を買っても買っても、すぐに他のものが欲しくなる、とか

他の人が持っていたら、欲しくなる、というのも貧困意識です。

また、例えば、何か興味のあることを学びたいと思っていても

そのクラスをとって、それがすぐに役に立つかどうか

クラス料金の元を取れるかどうか?などという目先の損得で考えると

なかなかクラスを受ける気にならず

いつまでも変化できなかったり、何も生み出さなかったり。

貧困意識の人は、決断力がなく、行動が遅い方が多いのは

喜びのための選択ではなく、目先の損得で考えてしまうからです。

さて、今、お金が不十分だと思っている人は、ほとんど貧困意識ですが

今、お金が十分にある人が、貧困意識ではないかというと

必ずしもそうではないんですよね~。

私は資産と言えるようなものは、何も持っていませんが

(資産は、音叉ぐらいだな~。いや、それより私自身が資産なのだ~~)⇨なんて言ってみたあっかんべー

私のクライアントさんには、ビルなど不動産を何件も持っているとか

レストランを何件も経営している、とか株を多く持っているとか

いわゆる、資産家も何人もいらっしゃるのですが

案外、セッションの中で、貧困の過去世などが、上がってきたりします。

そうすると、やはり、お金があっても、やりたくない仕事をやって稼いでいて

なかなかやりたいことには踏み出せないでいるとか

入ってくるお金も大きいけど、出て行くお金はさらに大きく不安定とか 

新たなビジネスを展開したいのに、リスクを負うのが怖くて進めない

などという、今の現実が生まれているんですよね。

いくら、たくさんお金を持っていたって、やりたくないことをやっていたのでは

何のためのお金なの?という話なのですが

貧困意識があれば、失うことの恐れは常にどこかにあるわけですから

どうしてもそうなってしまうのです。

ですから、人生が上手くいっていると感じている人のほとんどは

実際にその人がお金をどれだけ持っているか?ということに関係なく

豊かさの意識ということになるんですね。

貧困意識であれば

「何を持っているか?」に常に意識があるため

人が持っているものを羨ましいと感じたり

いくら自分もいろいろ持っていたとしても、人と比較すると

自分は、まだまだ不十分である感覚になります。

先日も、クライアントさんで

「友人が成功していると素直に喜べなくて

逆に嫌な気持ちになるんですよね」と言われていた方がいましたが

貧困意識であれば、例え喜んであげたいと思ったとしてても

「自分は不十分」なので、妬ましく感じてしまうわけです。

人の成功や幸せを喜べないのは、とても苦しいことだと思うし

幸せ感や喜びの人生とはかけ離れて行きます。

「清貧」ー清く貧しくーというのは実際にはないわけで

本当は「清豊」ー清く豊かーだなあと。

また、貧困意識は、分離意識とも言えるかもしれません。

無限の豊かさ=ソースから分離しているわけですから。

貧しいと、助け合って生きるというイメージがありますが

案外、貧困意識の人は、人に迷惑をかけてはいけない

という思いで、甘えられない、頼れない人が多いんですよね。

お金を持っていなくても、旅先でいろんな人と繋がりながら

そこにステイして、世界中をあちこち旅しているケントくんみたいな人を見ると

お金と自由さは関係ないなあと、つくづく感じます。

さて、私はキネシオロジーを始めてから

いや、正確には、自分の経験からだけではない深い意識レベルに目を

向けるようになってから、自分の中(とも言えないけど)の貧困意識にも気づいて

その度に解放しつつ、年々、さらに豊かさの意識は高まっているなあと感じていますが

基本的に、若い頃から、周りの友人や知りあいが

お金持ちや豊かな人が多かったこともあり

また、私自身が「人のお金は自分のお金、自分のお金は人のお金」

みたいな意識でいたこともあって

自分がお金を持っていなくても、意識はなぜかお金持ちの感覚でいたのが

つくづくラッキーだったなあと。

(まあ、いわば勘違いでもあるわけですけどねあっかんべー )

20代、30代は、実際にお金はなかったですが

いつもやりたいことはすべてやれてきたのも

その意識でいたからなんですね。

もしかすると、この話も何度も書いたかもしれないけど

私が、初めてニューヨークに来た時も、貯金はゼロ。

というより、むしろマイナスで

当時、楽器などカードのローンもたくさんある状態だったわけですが

友人や知りあいの人たちから、寄付してもらって

誰も知っている人がいなかった、このニューヨークに

一人で移住してきたわけです。

そして、着いて生活必需品を買うと

全財産500ドルだけだったことを覚えていますが
思い出す限り、不安というものはなかったのは

意識のどこかで、人と繋がっている感でいたからなのかなあと。

(ま、その頃、どう感じていたのか、記憶は確かではないですがウィンク

実際に、ニューヨークに暮らしてしばらくしてから

楽器が欲しいな~と思い始めた頃、知り合った友人が

使わないシンセサイザーと録音機材を貸してくれたり

レコーディングしたいな~と思えば、無料でスタジオを貸してくれる人が

現れたり、3万ドル必要な時には、投資してくれる人が現れたり。

もちろん、友人に食事をおごってもらうなんてことは

ほぼ日常のことでした。

(当時は、まだ役立たずゲーム真っ最中だったしね)

これまでの人生で、お金だけに限らず、たくさんの人にお世話になったのですが

お金は循環するエネルギーだというのは、10代後半から知っていたので

感謝はあっても、申し訳ないという気持ちは持ってなかったなあと。

だって、受け取ることも喜びであり、与えることも喜びであるのですから。

受け取ることは、相手に与える喜びを与えていること、なんですよね。

先日「甘えることを学ぶために、勇気を出して

クラスのお金を寄付してくれるようにFBで呼びかけたい」という方が

いらっしゃったんですが

その方の呼びかけ文では、ヒーリングを学んで人を助けたいから、そのために

クラスを受ける必要がある、という「お金を受け取る理由」を書かれていました。
(結果的にアップはされなかったのですが)
「人を助けるために必要なお金」として大義名分を掲げている限り

全く、甘える学びにはなっていないんですね。

甘えることができる人は、何も受け取る理由がなくても
また、勇気を出して告知しなくても

周りの人たちから、いろんな形で受け取ることができるのです。

日本人は世界一、貯金する国だそうですが

私は全く先のことを計画できない母の影響なのか

若い頃から、貯金しなければ、という発想は、ほぼゼロでした。・

というより、どちらかといえば

貯金をしたら、エネルギーが’滞るのであまりよくない

という感覚でいたのが長かったなあと。

お金に対する感覚は、その人の本質的な意識と関わっているので

同じような感覚の人とつながるんですよね。

もう20年以上前ですが、幾つかのサロンを経営しているオーナーで、親しくしていた友人が

「お金は油断をすると、すぐに貯まって(溜まって)しまうから気をつけないと」

と言われていて「おぉ、その感覚、好きだなあ」と思ったことを

今でもよく覚えていますが

私の場合、当時、入ってくるものも少なかったので

貯まらないように気をつける必要もなかったのですが

将来のために、今、やりたいことを抑えて貯金する、いう人の感覚は

全く理解できませんでした。

だから、昔から、友人や周りに

お金の不安を持っている人は、ほとんどいなかったのだなあと。

とはいえ、実は、この「お金が貯まるのが怖い」という感覚も

探っていくと、貧困意識の裏返しだったりするのですけどね。

私の場合は、成功して妬まれたという前世的、集合無意識的なエネルギーと

かなり多く繋がっていたこともあって

意識のどこかで、お金を多く持つことなく、循環している状態でいたい
というのが無意識にあったわけですが

このあたりは、ここ最近になって、ようやく解放できたところかもしれません。

(まだどこかに残っているかも、だけど)

私の貧困意識は

お金に困っている人に同情する
ということに出ていたので、以前、何度かそういう人に無料でとか

安くしてセッションをやってしまったりしたことがあリました。

同情やギルティ感からではなく、ただサポートするのが喜びだからやっていることは

問題ではないのですが、同情するということは

その人のお金を生み出す潜在的な力を信頼していないということであって

逆にその現実(のように見えるもの)を生み出してしまうわけです。

そういう過去世や集合無意識と繋がっていると、時々

感情的にどうしてもやらずにはいられなくなったりするわけですね。

 

与える喜びは、与える側に、同情やギルチィ感や義務感がないからこそ

純粋に感じることができるし、そして相手も

申し訳ないという気持ちからではなく、受け取る喜びとなり

豊かさのサイクルとなるのです。

私の場合、貧困の過去世もありましたが、過酷な労働をやった過去世が

かなり多くて、一時期、自己ヒーリングで毎回のように上がってきていました。

特にヒーラーとしての使命を持った過酷な労働の過去世は、一体どんだけ~と

ほとほと呆れるほど。

いくら好きなこととは言え、過酷な労働であれば

寿命を縮めますからね~ウィンク

先月、予約を取らないことに決めることができたのも

そのあたりの過去世が解除できたからかな~と、思っているのですが。

ということで、2017年は

私と出会う人、つながる人の全てが、さらなる豊かさの意識で

自由に生きてゆくことができる世界をクリエイトするために

さらに私も豊かさの意識を高めて参りたいと思います~ワイングラスカクテル 







最終更新日  2017年01月11日 14時25分08秒
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2016年12月20日
カテゴリ:つれづれ

昨日、小さな決断をしたので、そのお話を。

少し前に、自己ヒーリングを行った時に

「今はもう必要のないものを手放す」というのが情報として出てきて

それは物ではない、事柄だと身体から伝えてくるのですが

今、やりたくないことなんて、何もやってないしな~と何も思いつかず

その時は、それが何を示すのか、よくわからないでいました。

一方、少し前に来年8月の予約が終了し、9月もあっという間に埋まっていって

この数日で一気に9月前半までの予約枠がすべて終了してしまいました。

2~4月はハワイに滞在するし

9月後半から、10月末までは、キネシのクラスや日本滞在のために

通常のセッションはお休みなので、その他の月の予約枠はすぐに埋まってゆくわけですが

次の予約を取るとしたら、来年11月からになってしまいます。

そこで昨日の朝、起きがけにふっと湧いてきた選択が

「今後、これ以上は、もうセッションの予約を取らないでおく」

ということでした。

この決断をする前にも、もう今の予約システムが機能していないことを

伝えるメッセージはいくつもありました。

例えば、先日、予約を忘れてしまって、セッションをミスされた

クライアントさんが数人、続けていらしたこともそうでした。

中には、時間を無駄にさせて、申し訳ないからキャンセル料を支払います、などと

言ってくださった方もいましたが、随分前に予約されていて

私もリマインドのメールは送っていないので

忘れてしまうのも自然なことですし

家がサロンなのですから、待っている時間を無駄しているわけではないので

私としては、忘れられても特に問題はないため、キャンセル料などは頂かないでいます。

でも、とても楽しみにしていて残念だから、他の日に振替えられないでしょうか?

と言われると、私の休みの日以外は、もう他には当分、空いていないので

入れることができないケースもあり

長い間待っていてくださったのになあと、すっきりしない感が残るのです。

また、例えば、新規の方のセッションをした後

その方が、病気や身体の不調などの問題を抱えていて

すぐにまた別のセッションを受けたいと言われることも多く

私も何回か続けて行えば、体調が改善されることがわかっていることもあって
そういう方には、セッションをすぐにやりたい気持ちで一杯になるのですが

次の予約は10か月後、というのも

何だかな~とすっきりしない感じがありました。

  

すっきりしない、ということは

何らかの変更が必要、ということなんですが

それでも、先の予約を取っていたのは

定期的にセッションを受けたい人たちがいること

そして、日本から来られる方たちが、前もって

予約を入れておかなければ、ずっと受けれないことになってしまうこと

というのがあったからでした。

そして、私自身、セッションをすることは喜びであるので

予約が先まで入っていること自体は

それほどストレスにはなっていなかったこともありました。

でも、それがいよいよ変更の時期に来たのだなあと。

今が12月で、来年11月までの予定が決まっている状況は

やはり自由さを失ってしまっているわけですし

結果的にクライアントさんへの対応もフレキシブルには

出来なくなってしまっているわけですから。

その決断をした後、この選択にわくわくしている自分を感じています。

来年11月から自分が何をしたいと感じるのか、それも楽しみなのです。

やっぱり、もっとセッションをやりたいとなれば

クライアントさんに一斉メールを送って、1か月ごとぐらいの予約を取るのもいいし

どこかに長期で旅をするのもいいし

音楽制作をしばらく集中的にやるのもいいし

日本滞在を伸ばして、キネシオロジーのクラスをニューヨークや
東京だけでなく、福岡など他の土地でやってみるのもよさそうだし、、

その時になって決める、という自由さを味わってみようと。

その決断をした後、この決断に関して引いてみたマップカードが

「Wishing well 」の正位置。

「願望は人生を生み出していくために、最も重要な衝動です。

今、あなたは願望とひらめきの関係を見て、新しい人生の開始を予感し

真実の瞬間を感じているでしょう。

このカードは、新しいことが始まる目に見えない力の存在について

あなたを目覚めさせます。

あなたの意図を形づくり、願望の井戸にコインを落として

行動を起こしてください。

驚かされることを覚悟しておいてください」

わ~いハート(手書き) どんな驚きが待っているのかしら。

ということで、当分の間、セッションのご予約は受け付けないことに

なりましたので、どうぞよろしくお願いいたします~。

(今、入っている分は大丈夫です)

あ、もちろん、おさむの方は予約をいつでも受け付けていますので

ぜひおさむのセッションを受けられてくださいね。

 

さて、明日は冬至。 

 

冬至は、身体のデトックス、人間関係のデトックス、物の処分

エネルギー的な浄化などデトックスには最適の時期です。

例え、以前は必要だったものでも、今は不要になったものや事柄を手放して

新たな年を迎えましょうねワイングラス

 







最終更新日  2016年12月21日 02時04分03秒
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