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カテゴリ:鉄道
今年の3月から季刊で発刊され始めた
「ノスタルジック・トレイン」という鉄道雑誌があります。 古き良き昭和の時代の鉄道情景を誌面で蘇らせようという試みで、 鉄道好き、ルーツ探索好きの僕にとっては垂涎の雑誌。 最新刊のVol.2は、昭和45年の大阪万博を特集しています。 国民の2人に1人は入場したという大阪万博。 全国各地から大阪に向けて、数々の長距離列車が来場者を運びました。 誌面を繰るにつれ、懐かしさがこみ上げてきました。 当時小学校に入ったばかりの僕でしたが、 地元民と言うこともあって、 2回ほど万博会場に足を運んだ記憶があります。 キタのターミナル・梅田から電車で会場入りするには、 地下鉄と阪急の2ルートがありました。 地下鉄の方は御堂筋線。新大阪を越えた終点の江坂から 第3セクターの北大阪急行に乗り入れ、 万博会場の前まで運んでくれました。 現在の北大阪急行は、終点・千里中央駅に進入する手前で、 それまで外を走っていた電車が地下に入りますが、 当時はそのトンネルが未完成であり、 トンネル入口付近で線路は大きく右カーブを描いて、 なんと今の中国自動車道の敷地に伸びていました。 (下の地図の赤枠部分) カーブを曲がりきったところに千里中央仮駅があり、 そのまま線路は東へとまっすぐ進み、 左手に太陽の塔、右手にエキスポランドが見えてくると「万博中央口駅」。 (下の地図の青枠部分) ちなみに阪急は、千里線・山田駅から北大阪急行をオーバークロスし、 万博会場の西側に接していたところに「万博西口」という 期間限定の駅が設けられていた記憶があります。 (下の地図の緑枠部分) 万博が終幕すると、直ちに 万博中央口へ向かっていた北大阪急行の線路は 剥がされるとともに整地されてアスファルト舗装され、 今の中国自動車道ができあがりました。 右カーブしていた部分の線路はまっすぐに付け替えられ、 新たに掘られた地下トンネルへ直進し、 正式な千里中央駅が開業しました。 鉄道のような大がかりな施設は一度作ったら永遠に存在するもの、 と子供心に思っていたので、 半年後に線路や駅を撤去する、という光景は にわかに信じがたかった記憶があります。 今、乗用車やバス・トラックが行き交う高速道路に、 約40年前、わずか半年間とはいえ地下鉄が走っていた、 という事実を、どれだけの人が覚えているでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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