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テーマ:地震(287)
カテゴリ:防災・天気・防犯・事件
1月17日--。
16年前に関西に在住していた者にとっては、 今日は鎮魂の日です。 あの日の明け方、ひと揺れで一挙に数千人の命が奪われました。 あの揺れは、体験した人間でしかわからない、形容しがたいもの。 震源から60km離れた僕ですら、パニックになったくらいですから、 震源のほぼ真上にいた阪神間の人たちは、 助かった人もその大多数が自分の「死」を 瞬間的に覚悟したのではないかと思います。 16年前のあの日も週の初めでした。 厳密には火曜日だったのですが、 前日の16日は「成人の日」の振り替え休日。 (あの頃の「成人の日」は1月15日に固定されていたんですね) ですから、事実上の1週間の始まりでした。 今でこそ5時半には起床している僕ですが、 当時は若かったせいもあって、地震発生時は深い眠りの中。 その瞬間。 いきなり自分の身体が何かによって強烈に揺り動かされ、 一気に布団の中で眠りから覚めたものの、 まだ寝ぼけまなこで何が起きたのかわからない。 隣で寝ていたヨメさんの「地震やっ!!」 という叫び声で、ようやくこの揺れが地震によるもの、 と知覚できた次第。 この間、わずか2~3秒だったと思います。 そして揺れが続いたのは10秒ほど。 この10秒間が1分や2分はあったのではないか? というくらい、とても長く感じたのを覚えています。 僕が住んでいた河内長野という地は、 震源地から直線で大阪湾を隔てて60kmも離れた場所なので、 揺れは相当減衰されていて、 実際には震度4程度だったと思います。 それでも10数秒の長さは強烈でした。 関東に移り住んでからも震度4を体験したことはありますが、 その時は「グラッ」とホントにひと揺れ。 同じ揺れが10秒間も続くとなると、 その恐ろしさは何倍にも跳ね上がります。 二度と味わいたくないシーンです。 でも日本は「地震国」。 阪神・淡路大震災後も全国各地で大地震が起きていますし、 今後も当然発生するでしょう。 特に関東圏に在住していると、東海地震だとか東京直下型だとか、 いつ来てもおかしくない状況が現実にあります。 本来なら、阪神・淡路で直に体験したことが活かせればよいのですが、 しかし同じ揺れが自分の目の前で起きたとき、 本当に冷静でいられるかどうかは、 やっぱりその時になってみないとわかりません。
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