カテゴリ:そばの雑学
昨日はそばをエライ!と褒めたまではよかったのですが、ついつい調子に乗って自分のことまで褒めちゃった。
今日読み返してみて・・・まづ赤面、そのあと顔面蒼白、冷や汗たら~り・・。 今日は違った意味でのそばのエラさについて話題にしましょう。 つくづくたいそうエライなぁ~と思うのであります。 その前に皆さんは、忌み言葉ということをご存知でしょうか。 私も、井沢元彦さんの逆説の日本史を読んではじめて知ったことですが、日本人は無意識のうちにこの忌み言葉の文化にどっぷりはまっているというのです。 分かりやすい例を挙げれば、歴代の天皇のことを当時の人はどのように呼んだのか? その答えは、声に発するのさえ恐れ多くて○○天皇などとは決して呼ばなかったと言うのであります。呼ぶことさえ忌み嫌うべきことであったのです。 後に書物などで○○天皇と著してあるのは、必ずその天皇が崩御してからのことであったと井沢さんは言っておられます。 ・・・ナルホド!NHK大河ドラマなどを見ると、ごくごくお側の者だけが「お上」と袖で口をふさぐように発し、それに対して、「みは~であるぞ」などと自分のことを「み」と言わせているのは、時代考証に合致したものなのかなと思います。 前書きが長くなりました。 「蕎麦考」(永友 大著)よりそばと忌み言葉に関連することをご紹介しましょう。 かって宮中では「そば」も忌み言葉であったと言ったら、読者の皆さんは、さぞかし驚かれることでしょう。 その理由は、そばの実の形にあります。そばの実はエジプトのピラミッドを目一杯に小さくした形、そう三角錐の形状をしているのです。 その三稜をもった三角(みかど)が帝(みかど)に通じるために、 「今宵の夕餉はそば粥なぞを・・・」 などと女官が言おうものなら一大事で、神社仏閣に帝の安泰を願って祈祷をしなくてはならない・・ってなことにきっとなるんでしょう。 では、どう呼んだか? 幸いそばの葉の形が葵のそれに似ていることから、「そば」を「あおい」と呼んだというのですから、エライというかナントいうか・・・!! ひょっとすると、葵の紋(徳川幕府)を食べちゃうと言う隠れた意味もあるのかなと思ったりもするのです。 さて、果たして本当に”お上”は、 「みは葵粥を所望じゃ・・・」 などとおっしゃたのでしょうか? 一方今のようにそばを細く切って食べるようになったのは、江戸時代の初めといいますから、江戸は公方様の街、町人は誰にはばかることなく気軽に 「おぉ~ぅ!そば食ってきなっ!!」 なんて言ったんでしょうね。 下々の身の上といたしましては、江戸の庶民に軍配を挙げたくなるのは、仕方のないところでありましょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月03日 22時42分51秒
|
|