テーマ:ニュース(99437)
カテゴリ:ニュース
アメリカ政府は、オバマ大統領が日本で開催される主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)を終えた後に広島を訪問すると公式に発表しました。一方で70年前の原爆投下への謝罪とみられることを懸念する声が根強いアメリカ世論にも配慮し、あくまでは「核兵器のない世界の平和と安全の追求」に向けた米国の取り組みを強調するもで、原爆を使用したことを再考するためでも謝罪の意志を表明するためでもないと、強調することも忘れていません。 ウエブニュースより オバマ氏広島訪問、謝罪でないと強調 米政府 アメリカの世論がいかように主張しようが、またオバマ氏が原爆を投下した国の大統領であろうとなかろうと、一個の人として原爆慰霊碑の前に額ずき深く頭を垂れる姿を日本人は好感を持って見こそすれ、大統領に謝罪の言葉を求める者はいない(いてはならない)と私は考えます。 そもそも大統領の広島訪問と謝罪の問題については、アメリカ人には日本人が無意識のうちに持つ「けがれ」を忌み嫌う文化を理解するのが難しいということが根底にあるのではないか。 日本人はその長い歴史の中で、人は本人が望まぬ理不尽で非業な死を遂げた場合に、残された者たちがその魂を鎮めなければその魂が後々まで祟り、残された人々に好からぬことが起きると信じて来たのです。そういう「鎮魂の文化」を育んで来た民族であるということをまず知ってほしい。 何が起きたのかもわからぬまま灼熱の熱線と爆風により命を奪われた20万人の人々にとっては、これ以上理不尽な蛮業はないに違いありません。しかし、残された我々の祖父母も父母も理不尽な思いをこころの隅に抱きながらも、ただただみ霊の前に頭を垂れその安らかんことを願って来たのではなかったか。 ならば同じことをしようというアメリカの大統領を私は静かに受け入れたいと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年05月11日 13時02分51秒
[ニュース] カテゴリの最新記事
|
|