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三国志ファンなら「諸葛孔明」と書いてあれば見過ごすことはできませんね。 ウエブトピックスより 作ってみました…蜀・諸葛孔明の「木牛流馬」=四川の職人さん 牛の形をした木工細工にまたがって満足そうな表情をしている人が、製作者の木工職人の何多現さんなのでしょう。 「木牛流馬」については、諸葛孔明が考え出したということも含めて、初めて知りました。本来ならすこぶる感動ものなのでしょうが、少々怪しい気配が漂ってきませんか? おそらく残っている文献をたよりに作ったのでしょう。5ヶ月もかかって完成させた執念は、認めるとしても、次の記述がいかにも大雑把というか中国人らしいというか。 「長さ2.08メートルで高さは1.4メートル、重さは230キログラム。胴体の中には420-450キログラムの穀物が入れられる。後足は折り曲げることができ、手で押したり、綱で引くなどで、多少の凹凸がある道でも通行可能」 長さと高さはいいとして、重さが230キロというのはいささか重すぎやしないか?目方まで牛に似せて作ったというのだろうか? 本物の牛なら牛歩の歩みとはいえど自分で歩きますが、この「木牛流馬」は、自ら歩いてはくれませんぞ。それこそ馬か牛に引かせるというのか? ましてや体内に450キロもの穀物を入れたら、総重量680キロにもなるじゃないか。まさか川に浮かべて運んだというのでもあるまい。水運なら考えられないこともないが、わざわざ牛の形状にしなくてもごく普通に舟で間に合います。 陸上じゃ牛一頭に引かせるのもかわいそうなくらいの厄介なお荷物になってしまうから、戦場への物資補給にはとても使える代物ではないことぐらい素人でもすぐ察しがつきます。 かの軍略に優れた諸葛孔明が、そんなお粗末な物資運搬道具を考え出すはずもないと思うのですがね。 荷物は小分けして、馬・驢馬・駱駝などの家畜の背に積むか、荷車や大八車に積んで牛馬に引かせたのじゃないかなと思ったりするのです。 まあ、当時は現地調達(略奪)が一般的だったことを思えば、大掛かりな運搬道具は必要としなかったのかも知れません。 三国志や十八史略などを垣間見ても、英雄豪傑の活躍はあふれていますが、物資補給や輜重輸卒の記述がないような気がします。 なぞの「木牛流馬」、果たしてかの諸葛孔明はどんな物資調達・補給戦略を立てていたのでしょうか? にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年09月20日 11時50分07秒
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