カテゴリ:遊遊漢字学が楽しみ♪
日本人なら「琴」と聞けば、いかなる楽器かすぐ想像できますね。では「箏(そう)」ってどんな楽器かと問われると、・・・はて? と首を傾げてしまわれるのではないか。 確かに「琴」の楽曲のことを筝曲(そうきょく)と言いますから、そしたら「箏」なる楽器も「琴」のことを指すのでしょうか? 毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。 今週阿辻先生はその「琴」と「箏」の違いについて取り上げておられます。 調べてみると、「琴」と「箏」の大きな違いは2か所。「箏」には玄の下に音程を調節する琴柱を立てますが、「箏」にはこれがなく玄を指で押さえて音程を調節する。 次に玄の数。「琴」の7弦に対して、「箏」は最初は5弦、唐代には12弦と13弦の2種類があって、13弦の「箏」が日本に伝わり、現代の「琴」になっていったとありました。 阿辻先生も、現代の日本でいう「琴」は、もともと「箏」という楽器で、どちらも奈良時代に中国より伝来したものが、その後「琴」は使われることもなく消えてしまって、漢字の「琴」だけが残った。一方「箏」はその後も日本で弾かれ続けたが、戦後になって当用漢字表から「箏」が抜けてしまった。そこで「箏」の代わりに「琴」という字を当てて使うようになったと説明なさっています。 ・・・罪つくりな「当用漢字表」ですな。でも「筝曲」ということばは堂々と残っいるのは、いかなる理由からなのでしょうか? 冒頭阿辻先生は、この「琴」が出て来る李白の詩を紹介しておられます。 山中與幽人對酌 (山中にて幽人と対酌す) 兩人對酌山花開 (両人対酌すれば山花開く) 一杯一杯復一杯 (一杯一杯また一杯) 我醉欲眠卿且去 (我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ) 明朝有意抱琴來 (明朝意あらば琴を抱いて来たれ) ここで出て来る「琴」は、現代の我々が認識している「琴」ではなく、中国の古典に出て来るところの「琴」で、「箏」よりもっと小型の楽器のことであると。ただ小型としても、長さ約1.7メートル、幅20センチの「琴」は決して小さくはない大きさ。しかし、李白と飲めるのだったら、がんばって持っていけるくらいの大きさだとはいえるだろうとも。 ・・・う~む、私なら、「且く去ってくれ」と言われても、「そうおっしゃらずに、もう一杯、また一杯。今日はとことんやろうではありませんか」などと居座ってしまいそう。きっと李白は眉をひそめたでしょうね。(笑! もっとも、李白が対酌している「幽人」って世を捨てて仙人のようにあらんとする人のことだから、都を去ってより隠遁生活を送っている李白自身のことを指しているとも解釈できます。すなわち李白は一人孤独を肴に独酌していたのではないか。 なにしろ李白は、酒の飲み方においても仙人だと称されていますからね。 そういった「幽人」であっても、「酒」と「琴」の力なくしては、隠遁生活もままならなかったということがこの詩から垣間見れて、興味深いものがあります。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月24日 11時47分28秒
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