カテゴリ:ひとり言
子供のころより周りを田んぼに囲まれた田舎に育った者にとって、季節の移ろいは米作りの農作業の風景とともにありました。 田起こし、しろかき、苗代、田植え、草取り、農薬散布、稲刈り、はさ掛け、脱穀・・・。 秋になり田んぼの稲穂が黄金色に色づくころ、大人からよく言って聞かされたものでした。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 字もろくに読めぬ幼いころから、毎年一回は必ず聞かされていたのが、この諺ではなかったか。 イネも年々品種改良され、美味しくて、病気に強く、手間暇がかからず、収量の大きいお米が出回るようになったようです。 そのイネですが、実っても頭を垂れぬ「立穂型のイネ」という専門用語、初めて聞きました。 垂れた稲穂に下葉が隠れないことから、光合成の効率が上がり、大きな収量が期待できる優れた新品種だということです。 光合成の効率が大きいということは、炭酸ガスの吸収も大きいということだから、温室効果ガス削減にも大きく寄与しますね。 食糧の大部分を海外からの輸入に頼っているわが国にとって、食料輸入が止まった時に口にできるのは、自国で採れる米だけですから、「食糧」安保の観点からも注目されることになるのかもしれません。しかし、平時の米あまりには、今まで以上に頭を悩ますことになりますけれど・・・。 さらに困るのは・・・、黄金色に実った稲穂を指して、大人は子供にどう言って増長を戒めたらいいのだろうか? 「実れども頭を垂れぬ稲穂かな」では、高慢を奨励するようなものでしょ。 いっそのこと「実るほど直立不動の稲穂かな」にして、人というものは得意な時でも姿勢を正して己を厳しく律するものですと説くのは、どう?・・・ダメか。(爆笑! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年11月15日 11時50分07秒
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