カテゴリ:ひとり言
現代の我われは、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦を使用しているのはご承知のとおりですが、日本で太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されたのは明治5年(1872年)の11月のこと。 永年にわたって生活の一部となって来た太陰暦は、地球の衛星である月が地球の周りをまわる周期を基に作られています。 時の明治新政府が太陰暦から太陽暦へ改暦したのは、財政の已むに已まれぬ事情があったというのは有名な話ですね。鉄道の施設や教育改革、徴兵生制度など矢継ぎ早の政策実施により、明治政府の財政は枯渇。破綻一歩手前の危機をなんとしても回避するために、時の参議大蔵卿であった大隈重信があみ出した妙案であったと。 太陰暦では翌年の明治6年は閏月(閏月を加えて1年を13か月とする)のある年。明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日にすることによって、旧暦12月と閏月の1か月、都合2か月間の人件費をはじめとする政府の諸経費を節約できると大隈重信は考えた。 ・・・なるほど妙案ですね。 現代に戻って、ロシアによる隣国ウクライナへの軍事進行によってもたらされた世界的な食糧危機、エネルギー危機は、わが国の物価をかってないほどに押し上げて、国民は生活にあえいでいます。岸田首相、鈴木財務大臣には、ぜひ大隈重信並みの妙案をあみ出してもらいたいものですな。 さて再び明治の御代に戻ります。突然の改暦により、時の新政府の財政危機は少しは回避できたのでしょうが、それまで慣れ親しんできた暦がガラッと変わるのですから、庶民の戸惑いは財政危機以上のものがあったと。 太陰暦では月の満ち欠けを基準にしていますから、毎月の朔日(1日)は新月、15日は満月と決まっていた。今日が暦の上で何日か月の満ち欠けを見ればわかったとしたものです。それが新暦では叶いませんから、庶民は「晦日(みそか)に月の出れば、卵の四角もあるべし」と嘆いたということです。 今日3月8日(当然のことながら新暦です)。スマホの記録によれば、5時54分とあります。西の空かなり高いところに満月が青白く輝いていました。 ![]() なるほど、「晦日(みそか)に月の出れば、卵の四角もあるべし」とはこのことを言ったわけですね。 それこそ天地がひっくり返るほどといっても言い過ぎではない明治の維新が成って5年。現代の我われが想像する以上の大変な苦しみを味わったであろう当時の人々は、それでも四角い卵があっても驚かないぞと洒落てみせた。 さて、太陽暦が時を刻む現代の我われは、なんと言って洒落たらいいものやら・・・。 ![]() ![]() にほんブログ村 ![]() FC2ブログランキング ![]() 人気ブログランキング ![]() PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年03月08日 11時50分06秒
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