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2024.05.02
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カテゴリ:光圀の諸国への旅
 柏から電車で松戸に戻った途中に新松戸を降りて自宅へ歩行でゴー。



 途中に松戸市でかなり有名な萬満寺へ参拝。臨済宗大徳寺派の寺院で、山号が法王山。山門と鐘楼堂はかなり綺麗。



 仁王門。左右にある木造金剛力士立像は鎌倉時代の作品だという。寺伝に平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した仏師である運慶作というが、実際の作者は不明であると思われる。関東地方に残る仁王像としてはもっとも古くかつ優れた像の一つである。1916年、当時の古社寺保存法に基づき旧国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定された。春秋の例大祭や年始には仁王像の股の下をくぐって無病を祈願する「仁王の股くぐり」が行われるという直接に国の指定文化財を触れることができるため、参拝客が多いようだ。



 本堂。御本尊は阿弥陀如来。建長8年(1256年) 下総国守護千葉頼胤が忍性を招聘して、真言宗大日寺(現在千葉市稲毛区轟町)として創建。室町時代に入ると、千葉満胤が臨済宗の寺院として再興した。室町幕府第3代将軍足利義満、あるいは鎌倉公方足利氏満の満をもらい、万満寺へ改名したとも言われる。明治41年(1908年)、大火により伽藍のほとんどを焼失してしまったが、昭和62年(1987年)、新本堂が完成した。ただいま本堂の整備工事が行われるようだ。



 本堂前にある水掛不動尊と浄行菩薩像。



 義真弁財天。二つの説があるが、寺の看板は、「享保の頃(1716~35年)に萬満寺に弟子入りした義真という子が13才の時にいたずらが過ぎて寺を追われ、義真のことを恨んでいる2人の寺男に捕えられて、米俵につめられて川に投げ込まれてしまって亡くなった。義真は「この恨みは必ず子孫にたたってやる」と叫んで死んだ。義真は古ヶ崎村に流れ着き、円勝寺住職によってねんごろに葬られたが、その後に、古ヶ崎の村人の夢枕に義真が立ち、「弁天にまつり供養せよ」と告げた。そのため、坂川のほとりに祠を建てて祀り、「小僧弁天」と呼ばれるようになった。義真を殺した2人の寺男は7日間熱病に苦しんで悶え死に、子孫にも災難が続いた」という説を用いた。







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最終更新日  2024.05.26 00:04:59
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