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カテゴリ:都内散歩
散歩途中の寺 昨日のブログで昔の小川を暗渠にした遊歩道の散歩を記した その遊歩道をたどってゆくと妙生寺公園という小さな公園に着いた そこには池があってかって小川はここに流れ込んでいたらしい 公園の隣には妙生寺という寺があった。公園の名はこの寺に由来する なかなか格式のある寺と思えたので寺門の縁起書を読むと日蓮宗の寺 徳川家光の鷹狩に尽くし、御朱印寺たなり三つ葉葵の紋所を許されている 本堂前には左右に一対の見事なしだれ桜の大木がある 桜の季節にまた訪れその写真を撮ることにしよう 上の写真の瀟洒な横門を出て観泉寺という寺に向かう 環状八号線をクロスして杉並区今川町に入る 左右に長い土塀を巡らした広い寺域である。どうも都市計画により 寺域が2分され道路が引かれたことが明白である 右には神仏混合時代の名残の小さなミニ社が二つ、そして観音堂 馬頭観音、弓矢と農具をもち祈りを捧げる像の下に見ざる聞かざる話さざる の三匹 を描いた石仏。これは土着の農民信仰を表すものであろう 左側には今川家累代墓の石碑が見える 山門を越えると白梅を配した立派な鐘楼がある正面には立派な本堂が見える 本堂前を左に曲がると石塀で囲まれた一角があり、今川家墓所の立て札 ここはあの信長に桶狭間でまさかの不覚を取った駿府今川藩の墓所 戦国の武将一族の墓所としては質素なものだがやはり戦は勝たなければ ならないのだ。観泉寺は義元を継いだ氏真を開基とする禅宗菩提寺であるが いつ訪れても薄暗く苔むして哀れを催す風情である 家康が幼少時今川家の人質として暮らしていた。待遇は悪くなかったのであろう そんなよしみで徳川幕府は今川家を武蔵野のこの地に封じて幕府官職 を与えた。この地の町名は今も杉並区今川である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.16 20:49:51
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