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カテゴリ:感動した本・映画・音楽
14日土曜日、赤坂ACTシアターで倉本聰作『歸國』を観てきました。
その日はとても暑く、空は底抜けに青く、ところどころに白い雲がふわふわと漂っていました。まるでキャンパスの絵を見ているようです。 昭和20年8月15日も暑かったと聞きますが空の色は青かったでしょうか。 池袋から丸ノ内線に乗り換え「国会議事堂前」で降りて千代田線に乗り換え一駅の「赤坂」で降ります。 東京メトロは都内をくまなく巡り駅名も地域密着していて駅名を聞くだけで当時の歴史が思い出されます。 田舎もんの私には駅名を覚えるだけで感激でした。 地下階段の長いトンネルを上ると目の前にTBSの大きなビルが目に飛び込んできます。 劇場前の赤坂サカスTBS広場では、何かイベントが行われているようで大勢の観客に向かって案内人がマイクにむかって叫んでおりました。 赤坂ACTシアターの入り口では、開場までにはまだ少し時間がありましたが暑い中みなさん静かに待っておりました。 当日券を購入する箇所だけは長い列を作っています。 観客の皆さんはやはり高齢者が多く、また男性の観劇者もかなり来ています。 いつも観ているミュージカルと違い、出演者のポスターや衣装等の展示もなく華やかさはありませんでしたが、エントランスには沢山の生花が並べられ、有名な俳優さんや歌手の方の名前を見ていると今日の出演者なのかと間違えるほどでした。 倉本さんの交友の広さを感じさせます。 出演者たちは富良野塾の卒塾生で、私の知っている方は出ておりませんでした。 久しぶりのストレ-トプレイ観劇なので最後まで緊張感を保てるか心配でしたが、そんなことを心配することもなくテンポよく舞台が進行していきました。 秋吉部隊長が訓辞を始めました。「只今は、昭和85年8月15日。今から65年前の本日正午、我等が祖国日本は、畏れ多くも天皇陛下の大詔を拝し、萬斛の涙をのんで無条件降伏を余儀なくされた」 そうか今年は昭和85年なのだと。 東京大空襲の時の爆撃音が劇場いっぱいに広がり本当に頭上から焼夷弾が降ってくるようでした。 逃げ惑う群衆。叫び声も言葉にならずただ走り回り。防空壕は何の役にも立っていなかったのだと。 「終戦記念日の8月15日深夜の東京駅に、幻の軍用列車が到着、戦争で「玉砕」したはずの兵士の「英霊」たちが降りたった。」とTBSはアナウンスしていました。 「玉砕」とは「生きて虜囚の辱めを受けず」と,降伏することは許されない状態で、死ぬまで戦い抜いたことを伝えた言葉なのです。 大本営から見放されたことも知らずに戦い抜いたアッツ攻防戦。日本軍守備隊のほぼ全員の2600名が戦死して「全滅」していました。 いわゆる「バンザイアタック」と言われています。 大本営は全滅の責任を回避するために「玉の如くに清く砕け散った」と「玉砕」と喧伝しました。 これからあらゆるところで「玉砕戦」が続くのです。 「玉砕」「英霊」とは英語ではどのように訳すか私は知りません。 TBSが前宣伝でこの言葉を使っていました。 「日本は確かに豊になりました。しかし日本人はどんどん貧しくなっています。」と倉本さんは台詞に書きました。 この貧しさとは 何でしょうか お金ではなく「心の貧しさ」「知識の貧しさ」それとも「愛の貧しさ」でしょうか。 豊かさの象徴であるテレビを見続けて「考える」ことを忘れてしまった日本人でしょうか。 先日ニュースから100歳以上の高齢者の行方不明者が270人もいるといいます。 歌を忘れたカナリヤのように現代の子供たちは歌わなくなったといいます。 木谷少尉が現代を生きる恋人に「今の子ども達に歌うことを伝えるように」と語るシーンはとても印象に残りました。 エンディング曲には長渕剛の「愛していると伝えて下さい」が流れ、背景には大海の荒波が映し出され、戦時下の映像が映し出されました。 ラストシーンの最後まで汗拭き用に持ってきたタオルを手放すことができませんでした。 カーテンコールの時、下手から杖をついた倉本さんが現れ、センターに来ることなく頭を下げて大拍手を浴びたのです。 劇は終わりましたが、何かを始めなければいけない気持ちになりました。 同夜TBSテレビでは「歸國」を放映していました。 しかし舞台と同じ感動を受けることはありませんでした。 ただ八千草薫さんだけはとても自然に受け入れられました。 65年後。私たちの帰る国はどのようになっているでしょうか。 安西節雄 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.23 08:10:32
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