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2013.07.16
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カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、その独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていたギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡をざっくりと辿ってみたい。



 69年夏にキース・ストリックランド(Keith Strickland)と出会い、すぐさま親友となった二人は、共に曲作りに励んだりしながら音楽活動に取り組んでいた。リッキーとキースは同じクラーク・セントラル高校(Clarke Central High School。CCHS)の友人であるオーウェン・スコット(Owen Scott)と一緒に、一度だけ高校のタレントショーに出たことがあるそうで、その時はジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)をカバーし、体育館の垂木がガタガタと鳴るほどの大音量で演奏したのだとか。
 夏の終わりにはリッキーがキースを自宅に招待、キースはそこでリッキーの妹・シンディ(Cindy Wilson)と出会う。サングラスを掛け、黒のプラスチック・ジャケットを着ていたシンディを見てキース曰く「まるで『宇宙家族ロビンソン(Lost in Space)』のアンジェラ・カートライト(Angela Cartwright)のように見えた」そうで、“She's Cool.”とひそかに思ったらしい。
 ちなみにアセンズ出身の女優さんで、元ボンドガールとして知られるキム・ベイシンガー(Kim Basinger)はクラーク・セントラル高校でリッキーと同級生だったそうな。

 その後リッキーとキースは地元・アセンズのジョージア大学(University of Georgia)に入学。
 ある時、大学でストリートダンス集団に出会したキースはそこでニュージャージー州ニューアーク出身のフレッド・シュナイダー(Frederick William "Fred" Schneider III )と知り合う。そしてまたある時、キースはたった一度だけZambo Flirtsというバンドで代役としてドラムを叩いたら、その日偶然にも、これまたニュージャージー州ウィーホーケン出身のケイト・ピアソン(Catherine Elizabeth "Kate" Pierson)が見に来ていた。
 「友達の友達はみな友達だ」なんて某TV番組の名物コーナーのフレーズであったが、こうして後のThe B-52'sメンバーとなる5人を含む大きな友達の輪は広がっていったのであった。

 学生が金欠なのはいつでもどこでも同じこと、自由奔放なアセンズっ子の彼等もまたそうであった。Potter's Houseというリサイクルショップに毎日立ち寄り、洒落たスパンコールのガウンやポリエステルのスーツ、ローライズパンツや模様の付いたシャツなどが新たに入荷しているのを念入りに探し出したり、El Doradoというベジタリアン・レストランにいつも集まってはオーガニック・サンドイッチをパールビールで喉に流し込んだりしていたそうな。このEl Doradoや近隣にあったAllen'sというクラブは彼等の幾つかの溜まり場のうちの一つになっていたようで、みんなはいつもカフェイン・バズを楽しんでいた。
 リッキーの死後、キースはリッキーとの様々なことを思い出しながら、そして彼が自分と一緒に演奏している様子を想像して“Deadbeat Club”という曲を作ったそうだが、同時に故郷・アセンズでの日々も思い描きながら書いたという。
 “On this caffeine buzz I was on  We were really hummin' …”
 “Going down to Allen's for  A twenty-five cent beer …”

 [7/20 追記]
 Wikiさん…というか出典元である「The Encyclopedia of Dead Rock Stars: Heroin, Handguns, and Ham Sandwiches」(Jeremy Simmonds著)によると、76年にジョージア大学を卒業したリッキーはキースと連絡を取り、一緒に欧州旅行を楽しんだそうな。戻った二人はキースの父がマネージャーを務める、アセンズにあるSoutheastern Stages社のバス発着所で働くことに。リッキーはそこでTicket agent(切符販売人)をしていたらしい。
 (前回のBlack Narcissusというバンドの話もこの本が出典元ということで、今更ながら確認ついでに購入してみた。リッキーに関する新たなことが分かれば、また追記したい)

 76年10月、リッキー、キース、シンディ、フレッド、ケイト、そしてオーウェンは揚げ物の匂いが充満し、提灯が吊るされている典型的なアジアン・レストラン・Hu Nanで会った。みんな食事をするほどお金に余裕がなかったため、代りにフラミンゴ・ボルケーノ(ラムやブランデーにフルーツジュース等を混ぜたカクテル)をオーダー。すっかり酔っ払ってハイになるも、すっからかんになってしまった一同はオーウェンの家へと向かった。
 家に着いた途端、オーウェンはまだ仕事が残っていたことを思い出したため、彼以外のみんなは地下室へ。そこには嘗てオーウェンがZambo Flirtsでプレイしていた頃の器材が置いてあった。そこで5人はここにある物でちょっとしたジャムセッションをしてみることに。
 キースがギターを弾き、リッキーはコンガを叩き、シンディ、ケイト&フレッドが即興の詞で歌った。セッションは約3時間も続けられ、十分に楽しんだ5人は近いうちにまた会ってもっとジャムセッションをしよう!と決めたのであった。

ricky28 (2).jpg

向かって左からリッキー、シンディ、キース、フレッド、ケイト。リッキーの笑顔がキュートhart2_pink.gif





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Last updated  2013.09.17 23:04:36
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