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2013.07.28
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カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、その独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていたギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿ってみようという無謀な試みの、今回は第4回目であーる。ざっくり辿るだけのはずが、いつもの悪い癖でだんだんとクドい記述になってきているような…(^^; 20回ぐらいで書き終えたいのだが、ひょっとして無理かも!?ショック



 77年のバレンタインデーに友人宅で開催したお祭り騒ぎの初ライヴが大盛況だったThe B-52's。その噂は町であっという間に広がり、翌週にはテレサ(Teresa Randolph)の依頼でまたしてもバースデーパーティーでの演奏が決定。今度は前回の倍以上の客が収容可能な、ユダヤ人のカントリー・クラブが舞台であった。
 2月21日、前回同様“Planet Claire”の演奏で幕を開けたB'sの2ndライヴ。シンディとケイトは相変わらずPotter's Houseの服にふわふわ頭で、キースは赤いかつら&黒いスカートで、フレッドは赤い水玉模様の衣装で、そしてリッキーはプレッピー(金持ちのお坊ちゃん)風、という出で立ちだったらしい。
 彼等のサウンドの基本である、踊らずにはいられないようなコンガのビートと、リッキーの“retro-post-modern-surf-twang-guitar”(レトロでポストモダンなボロロンと鳴るサーフギター)の風変わりなリズムに客は熱狂した。
 前回、そして今回のライヴでも彼等はあらかじめ録音しておいたテープ(特別なギターリフ&パーカッションも含む)に添って演奏していたのであるが、酔っ払った客がテープレコーダーの電源コードに躓き、引っこ抜いてしまった。この突然の静寂が客達に大ウケ!しかしその後、“Strobe Light”を演奏中にヒューズがとんだ時には、流石に皆もヒステリックになったんだとか。とはいえ客達は笑ったり踊ったり、今回のライヴも大いに盛り上がったのであった。

 テレサの友人で、今回のパーティーに出席していたカーティス(Curtis Knapp)が、B'sにデモテープを作ってニューヨーク(以下NY)のクラブに宣伝してみたらどうかと提案してきた。彼は最近、NYの伝説的なナイトクラブ・Max's Kansas Cityで壁画を描いたらしく、その彼が「お前ら、NYでもいけるんじゃね?幾つかのバンドのパフォーマンスと比べてみても全く遜色ないぜ」と言ってきたのだ。夢想だにしなかった(いや、してたかもしれないけど)NYでのライヴ…。
 彼等はジャムセッションを続けながら、4曲入のデモテープを録音した。その内の1曲、“Rock Lobster”について、後にケイトがインタビューで語っている。
 「ブラッドリー・ピーターソンの家(Bradley Peterson’s house)で―私達はいつもそう呼んでて、彼が出て行った後にリッキーとシンディが彼の家に引っ越してきてからも―そこが初めて“Rock Lobster”のジャムセッションをした場所なの。キースがやって来て、その時リッキーはギターを足に乗せて座ってニコニコしてたわ。で、キースが『何をそんなにニッコリ笑ってるんだい?』って尋ねたら、リッキーがこう答えたの。『君が今迄で聴いた最も馬鹿馬鹿しいギターラインをちょうど書いたところなんだ スマイル』。そしたらキースは喜んで言ったわ、『最高だね。素晴らしいギターラインだよ』って」

 ジョージア大学で映画を学んでいて、テレサのパーティーにも出席したスペンサー(Spencer Throton)から、B'sのパフォーマンスをビデオ録画してみては?と話を持ちかけられた。彼等が同意したため、その後すぐに6曲分の映像がテープに記録された。 リッキーはそのテープからスチール写真を撮り、急ごしらえの手作りプレスキットを作成してテープのおまけにした。
 このリッキーのお手製プレスキット、8つの写真全てに簡単なコメントを添えて一枚の紙に並べて貼り、印刷したと思われるモノなのだが、各メンバーの単独写真はちゃんとあるのに自分だけ集合写真のみという…。全くリッキーったら何て謙虚なのかしら。で、気になる点が一つ。キースの写真に“Kiki”と書いてあるんだけど、これってキースの愛称?それとも単にタイプミスか何かかしらん?

 8月、彼等はいよいよNYへと向かった。地元のレコード店オーナー・ダニー(Danny Beard)もサウンドエンジニアとして同行。
 まず最初に立ち寄ったのは、新しい音楽の発信地となっていたNYのライブハウス・CBGBであった。だが、いきなりB'sは落胆させられる。店ではバンドのパフォーマンスを批評されるどころか、従業員からテープの品質の粗悪さを指摘されたうえ、演奏不可と傲岸に言い放たれたのだ。
 店を去った彼等がめげずに次に向かったのは、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)と彼の取り巻きの溜まり場であったMax's Kansas Cityだった。ここも無関心ではあったが、彼等は12月12日月曜日のNew Music Showcase Nightに出演を申し込んだ。

 NYデビューを前に、彼等は地元アセンズで開催されたパーティーでもう一度だけ演奏した。このライヴのためにキースは新しく金ピカのドラムセットを手に入れ、そして前回プラグ引き抜かれ事件が起こったこともあって、バンドはバックで流していたテープを捨てた。彼等の演奏を初めて実際に見たダニーはその光景に興奮し、来るべきNYライヴにもボランティアとして同行することにした。

 翌週、B'sはウィルソン家のステーションワゴン、愛称・Crotonに器材を詰め込み、NYへ出発車
 NYのクラブシーンに対し、ただ漠然とした考えしか思い描いていなかった彼等は、初めてのNYライヴの幕が上がった途端に茫然とした。客席は空席だらけで、観客は何とたったの17人しかいなかったのである!それでも彼等はショックを受けつつも普段どおりの格好で今までどおりに演奏し、アセンズから来た友人達は通路で踊った。そんな涙ぐましい(?)頑張りのおかげで一人の新たなファンを獲得した。
 The Crampsのvo.であるラックス・インテリア(Lux Interior)はB'sのステージを見て、キースにどの曲をシングルとして発売するつもりなのかと質問した。ラックスの一押しは“Rock Lobster”で、彼はB'sを新たなお気に入りバンドだと宣言してくれたのであった。

 その翌日、彼等は再びCroton号に器材を積み、19時間掛けてジョージアに戻ることに。Max'sの従業員にさっさとさよならを言い、エンジンの掛かったCroton号の座席に腰を下ろしたところで、ダニーが
「誰か、君達がここに戻ってくることを望んでいるかどうか、ここの人達に尋ねてみたかね?」
と言ったので、テレサ達はMax'sへと駆け戻った。そしてクラブで出演予約をしていた女性シンガー・ディアフランス(Deerfrance)に、B-52'sが戻って来られるかどうか聞いてみた。
「そりゃそうよ、彼等を取り戻さなきゃ。だって彼等を愛してるもの!」 

ricky48.jpg
 





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Last updated  2013.07.28 09:26:42
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