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2021.04.29
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カテゴリ:駄文
1982年――中学1年生の秋、授業中だったか休み時間だったかに担任に呼ばれ、祖母が倒れたのですぐ帰宅するようにと告げられた。その日、高校1年生だった真面目な姉がどういう訳か珍しく学校を休んでいて、祖母が病院に運ばれたことを両親と私の学校にすぐさま伝えてくれたらしい。祖母は心筋梗塞だったようで、かかりつけ医院から心臓病センターに運ばれたとのこと。私が帰宅すると共働きだった両親も既に早退しており、皆で病院に駆け付けた。この日のその後のことはよく覚えていないが、とりあえず姉と私は一旦帰宅した。
 翌朝、再び病院に行く際に「天国と地獄」というLCD(液晶)ゲーム機を持って家を出た。当時、私が持っていた唯一のポケットゲーム機であった。そして患者家族の控室でひたすら「天国と地獄」をやり続けた。朝から夕方頃までずっと控室で待機して、その間に祖母に面会できたのはたった一度、僅か数分しかなく、あとは何もすることがなかったので、延々と「天国と地獄」をやるしかなかった。祖母は懸命の治療も空しく、本当の天国へと旅立ってしまった……。

 バンダイから1982年に発売された小型携帯型ゲーム機「天国と地獄」。パッケージによると
“最初に、地獄でオニからの攻撃をよけながら、ロープを登り得点。規定得点に達すると場面が天国になり、神様の落とす羽を受けると得点となります。昇天し、天使になってボーナス点。” という、単純なゲームであった。
 当時の携帯ゲーム機といえば、任天堂が1980年に発売するや社会現象にまでなったゲーム&ウオッチが主流であったが、我が家は貧乏だったため買ってもらえず、ようやく手に入れた唯一の携帯ゲーム機が「天国と地獄」だった。しかし喜びも束の間、翌83年に任天堂が今度は家庭用ゲーム機であるファミリーコンピュータ(ファミコン)を発売し、またしてもブームに置いていかれたのであった(これもしばらくしてから買ってもらったけど)。

 ソーラーパワーで電池不要。嗚呼、懐かしすぎる…(T T)





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Last updated  2021.04.29 03:11:08
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