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上生的幻想

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2006/02/04
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カテゴリ:ボルドー 赤
 今日はわけあって独りで開けることに。というか、僕独りなので、やっぱり、シャス。
 別に月下というわけではないが(なんせ昼間から開けてるので・・・)、なんとなく、李白の「月下独酌」なんぞが思い浮かんだりする・・・・
 
 花間一壷酒 独酌無相親  花間一壺の酒 独り酌み相親しむなし
 挙杯迎明月 対影成三人  杯を挙げて明月を迎え 影に対し三人となる
 月既不解飲 影徒随我身  月は既に飲むあたわず 影はいたずらに我が身に随う
 暫伴月将影 行楽須及春  しばらく月と影とを伴いて 行楽すべからく春に及ぶべし
 我歌月徘徊 我舞影繚乱  我が歌に月は徘徊し 我が舞に影綾乱す
 醒時同交歓 酔後各分散  醒める時交歓を同じうし 酔うた後それぞれ分散す
 永結無情遊 相期遙雲漢  永く無情の遊を結び 相期す遙かなる雲漢に
 
 なんて・・・どっかのサイトから引用しちゃったりして。ただし、読み下し文は、高校以来漢文なんてやってない僕のかなり怪しげな知識だけが頼りなので、間違ってたらごめんなさい。
 雲漢というのは、天の川のことだとか。
 ま、ようするに月と自分の影を相手にひとり酒を飲んでるオヤジの詩なわけで。後腐れなく楽しんで、しがらみのない身同士、今度は天の川で会おう、なんて。。。
 この詩が「寂しい」なんていう人がいるけど、そうなのかな? 僕には寂しいというより、すがすがしいんだけどな~。ニーチェのいう「よい孤独」ってやつ。ていうか、孤独の楽しみ方を知っているんだね、李白は、なんて思う。
 
 さて、シャス・スプレーン。李白ついでにいえば、このワインも、ちょっと詩人と縁があるワイン。このワインは、憂いを払う(chass spleen)と、詩人が言ったとか言わないとか。詩人は、バイロンだという説とボードレールだという説があるけど、僕はボードレールの方の逸話がお気に入り。ある休日、「憂鬱と理想」の挿絵を描いた、ボルドー生まれの画家オディロン・ルドンと過ごしていて、その傍らにこのワイン・・・ルドンの幻想的なタッチが重なり、その情景がとてもいい感じだから。
 以前、『ソムリエ』かなにかでこのワインが紹介されていて、それ以来、レストランで「きみの憂いをはらしてあげる」なんてこのワインを注文するなんともクサい男がいたとかいないとか、そんな話もあったけど・・・あくまでも、このワインは「孤独を愛する詩人」の憂いをはらすのであって、カノジョをクドク(?)ためのだしにするなんて、何か勘違いしてない? なんて言いたい。それに、もう一つ言えば、倦怠期の夫婦ならいざ知らず、つまんない蘊蓄さらしてワイン注文するしか能がないなんて、一緒にいてあんた自身がカノジョの憂いをはらすことができないなんて、男としてちょっと情けなくないか?
 しかし、まあ、そんなことはどうでもいいとして。。。。
 
 
 栓を抜くと同時に、魅惑的なカベルネのアロマが鼻を打つ。
 ブーケは甘美な白い花。花びらには、チョコレートの斑入り。
 匂いに触れただけで、こころがそわそわする。そわそわ・・・というより、心をふるわせる何か。心に響く何か。恋心? あるいは、恍惚と不安と・・・。そう、シャス・スプリーンに向きあっているときのいつものこの感じ。。。
 恍惚と不安・・・というより、沈着と昂揚。シャス・スプリーンは、僕の心に、この相反する感情を溶かし込んでくる。沈着の中での昂揚、昂揚の中に潜む沈着。いや、沈着だからこそそのなかに聴きとることができる昂揚の萌芽。
 僕にとってシャスがやはり特別なワインである理由は、この沈着と昂揚の融合した感情を、つねにいつも僕に感じさせてくれるからだ。
 ここにあるのは、みたされた幸福感でもなく、水を打った庭のような静寂でもない。明晰な思索における冷静な昂揚とでもいう、ある種アンビヴァレントな心の状態だ。ただ単純にある一方向性だけを指し示し、その方向にだけ特化した感情の価値などではない。
 人の憂いをはらすものは、果たして、バカ騒ぎやお祭り騒ぎや幸福感だけだろうか。むしろそれらは、憂いを忘れさせてはくれるが、けっしてうち払ってはくれない。シャスは、憂いに導く。だがその憂いはセンチメンタルで情緒的なものではなく、あくまでも明晰で思索的なもの、というより沈着な思索そのものであり、昂揚の息づく憂いだ。そして、この昂揚は、あくまでも地に足がついていて、飛翔というようなエクスタシー(たとえば、孤独な思索家であるグレン・グールドの晩年のゴールドベルグのような)とは無縁なのだ(飛翔してしまえば、それはただ上昇という一方向性にすぎなくなる。そして、墜落。すなわち、恍惚と不安・・・)。
 僕にとって、このシャスは、風味というワインにとっての外界との皮膜のような、あるいは衣服のような意匠と装飾とに惑わされず楽しむことが出来る、数少ないワインなのだ。

 
 
 実は、同じヴィンテージのシャスを、去年の七月にも飲んでいる(2005/7/2)。
 その時の印象は、白い牡丹か芍薬のぐっと凝縮したまだ堅い、すこし青いつぼみ(といって風味が青臭い、というのではない。ワインの熟成がまだ堅い蕾)。シャス独特のあのチャーミングな微笑みはあるが、大輪の、重厚な、落ち着きと貫禄まで備えたつぼみだった。
 カベルネが強く、よく熟したタンニンは細かいが、すこし角がある。どこか今までのシャスと熟し方が違う。ただ、砂鉄を連想させるタンニンの感触は、いつものシャス。といって、もちろん、じっさいに舌にざらっと来るとか言うわけではなく、あくまでもイメージとして。
 色は濃く深いガーネット。
 ほのかに甘いカベルネのアロマ。若い花。赤色果実。
 魅惑的でかすかに妖艶なブーケ。
 ラバーを思わせるようなアタック。しかもただのラバーではなく、たとえばボンデージ・スーツのような、あのあやしげで、ちょっと倒錯的な匂いがただよう、あのラバーの光沢を想わせるアタック。かつ、スタイリッシュで、タバコの風味が強い。
 余韻で印象的なのは、ビター・チョコ、黒蜜。
 
 今回は、かなりほころんできている。が、去年感じたほど大輪でも豪奢でもない。ただ、まだ五分咲きほどかな。咲ききったら、どうなるかは、よくわからない。また、牡丹か芍薬というイメージにもつながらなかった。というより、ワイン全体として花というイメージにはつながらなかった。
 タンニンも目立たない。
 全体として和らいでいる。
 強いて言うなら、25~29歳くらいのしっとりと落ち着いた上品な女性の後ろ姿。うなじから背中の肌が夢見るように美しい。ひかえめで・・・


   
 それはそうと・・・目についたので、かつ、何となく心の欲求に随って、坂角(ばんかく)のえびせんべい「ゆかり」と「さくさく日記(えび)」をつまみにしてみたが・・・これが案外いける^^





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Last updated  2006/02/05 02:32:13 AM
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