昨日は横浜の実家へ、
浄土宗のキリスト、ではなくて、母のお見舞いに、
母はすでに病院を退院、今はリハビリで老人ホーム住まい、すでに歩行が可能になり、一人でトイレに行けるまで回復、
ケアマネージャーからは、退室をほのめかされているとか、
で、母との会話は、相変わらずネガティブだった、
父がせっかち、ホームの係りの対応が悪い、お金がきついのに父が新車を買った、(これは私も驚いた、父はEco減税対象のトヨタ車を先月買ったらしい、80過ぎで!?)
私からすると、
母が歩行していること自体が奇跡に見えたのだが、
母にとってはそれはもう過去のこと、
で、母に言った、
「函館/下田/稚内/姫路、俺はずっと覚えているよ、
思い出すたんびに怒りが湧き上がってくる、
でもそれじゃ自分がだめになる、
だから最後の砦は感謝だった、そして今でもそうだ、」
*転勤が多かった子供のころ、とにかく酒が入って父が帰ってくると、母と私は臨戦態勢だった、母はひたすらDVに耐え、私は布団の中でひたすら願う、「早く朝が来ますように、これが夢でありますように、」、これがすべて、なんともいたいけない臨戦態勢だ、そして父は翌日、たいてい何も覚えていない、
すると、母は、「そうだね、そうかも知れないね、」
私、「しかも、もう50年以上一緒なんだぞ、これ奇跡だろ、」
「それに今、ようやく歩けるじゃないか、」
母、「ーーーー、」
私、「とにかく体の回復のためにはずっと祈ってきたんよ、
場所は離れていてもね、」
*祈りと言う言葉を使うのは今回が初めて、
「少し祈らせてくれ、」
母はすんなりと受けて、しばらくミニストリーする、
そして別れ際、
母いわく、「お祈りしといてね、」と、
これは意外だった、母からこんな言葉が来るとは、
随分変わったものだ、
思わず、NZで受けた印象が蘇る、
夕方、神戸空港に7時過ぎに到着、
7:29発の神戸ポートライナーの最前列に座ってJR神戸に向かった、
まもなく誰かが歓声を上げるのが聞こえてくる、
花火だった、
神戸港花火大会、
開始時刻、7:30、なんともピッタリ、
しかもこんな真ん前で花火を見るなんて生まれて初めて、
特等席だ、
なにやら、幸先(サイサキ)がいい予感、
また、声が聞こえてくる、
「イヤー、このまま降りたくないね、」
全く、同感、
そして、花火を見ながらもうひとつ思いが来る、
今日から8月、