テーマ:韓国!(17265)
カテゴリ:韓国の習い事
「マジュ イヤギ」とは、日本語にすると「向かい合って お話」といった感じかな? 韓国のアラム幼稚園の園長、パク・ムニ先生の提案する教育法である。 元々この方は、保育園(幼稚園?)の先生をしていたらしい。 韓国に住んでいる人はわかると思うけれど、韓国の都市部では、ちょっとでも気に入らないことがあったり、他にもっといい園があるという情報を得たら、あっさり通ってる園をやめさせ、他の園に転園させてしまう親が多い。 だから、3月の新学期のときのメンバーは、2月にはかなり入れ替わってしまっている。 ところが、パク・ムニ先生のクラスは、やめていく子が皆無だったそうだ。 その理由が、長い間、他の先生達にも、また、ご本人にもわからなかった。 なぜなら、パク・ムニ先生は、特別、何かが上手だというわけでもなく、 特別な特技があったわけでもなく、 ごく普通の平凡な先生だったからである。 他の先生達が、やめていく子がいない秘訣を何とか探し出そうとして、いろいろパク・ムニ先生のやり方を観察した結果。。。 パク・ムニ先生が、 「子ども達の話に熱心に耳を傾け、それをそのまま書き取り、父兄への連絡帳に書いている」 ことを発見した。 それが、「マジュ イヤギ 教育」の始まりだったそうである。 パク・ムニ先生は、それを特別なことと思ってやっていたわけではなく、 ただ、自分があまり話が上手ではなかったし、 また、子ども達の話がとても面白いし、 ただ聞いてそのまま忘れてしまうのはもったいないと思って、書き取っていたそうである。 そして、父兄に 「今日、○○ちゃんは、こんな話をしていましたよ」 と、お知らせ帳に書いてあげていただけなんだそうである。 ところが、その方法が、子ども達を生き生きとさせ、 毎日の園生活を楽しくさせ、 その時期の子ども達を顕著に発達させたんだそうだ。 パク・ムニ先生は、今の幼稚園や小学校低学年の国語教育の問題点を 「主題を決めて話させようとする」 ことであると言っている。 子ども達は、話す主題を先生が決めてしまうと、話せなくなってしまうという。 休み時間には大騒ぎしているのに、授業中になると、途端に誰も発表しなくなってしまうのは、そのためだという。 子ども達は、元々、あれやこれや、おしゃべりしたくてたまらないものである。 相槌さえ、うまくうってあげれば、延々と、自分の話したいことをしゃべっている。 その話の中には、子ども達が「見たこと」「聞いたこと」「体験したこと」「感じたこと」などなどが、全部詰まっている。 ところが、先生が 「皆さん、『見たこと』について話しましょう。 手を挙げて、発表してください」 と言うと、誰も発表できない。 自分の話したいこと、話したくてたまらないことを話させること、それ自体が「マルハギ」教育でなければならないと言う。 そして、それをそのまま書けば「クルスギ」(作文)になる。 今の学校教育は、簡単なことをわざわざ難しくして教えている、と、パク先生は言う。 元々、子どもの話を一生懸命に聞いてあげるだけで、子どもは自ら成長していくもの、 と考えるのが、「マジュ イヤギ 教育」である。 マジュ イヤギ 教育では、おしゃべりな子どもほど、のちのち成功するといって、決して子どものおしゃべりをやめさせようとしない。 言葉には、魂がこもっている。 言葉は、力の原動力である。 子ども達の言葉を大切なものとして考えるのが、マジュ イヤギであり、 これは、家庭でも簡単にできることである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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