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書評日記  パペッティア通信

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Jan 12, 2006
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カテゴリ:歴史


素直に拍手を贈りたい。
これくらい、知的興奮を刺激させてくれる選書は珍しい。このブログをご覧になられた方は、ただちに書店・図書館へ急行せよ!。あなたも目からウロコが落ちる思いをすることでしょう。

これまで、一世を風靡した、中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)で提唱される「稲作雲南起源説」「照葉樹林文化論」。それらの系譜では、稲作は根栽農業から分離した焼畑農業による穀物栽培が母体とされた。そして、「1年性」のインディカ米(長粒)の播種が想定されていた。とはいえ、もともと湿地にすむ野生イネが、なぜ陸地にあがって陸稲(おかぼ)になって栽培されなければならないのだろう。また、種子を直接畑にまく直播栽培をやると、繁茂する雑草との戦いが、どれほど困難を極めるものとなるか。そもそも焼畑栽培では、水がかぶると発芽不能になるので、農民は排水してしまうし、雲南などでは湛水するほど雨が降らない。そんな状況では、アフリカの稲作民に見られるように、畦をつくって湛水する、「水田」という発想自体が生まれてこない。畑からは水田は生まれない。栽培技術からみれば、焼畑が稲作の起源になるとは考えられないという。

中国の長江中下流域では、世界最古(7500~4000年前)の稲作遺跡が次々と発掘され、近年、稲作「長江起源説」も唱えられている。真実はいったい何なのか。イネ育種界の重鎮が提唱する、驚愕の稲作の新起源。それは、長江中下流域のタイ語系民族によって、湿地帯・タロイモ畑にある「ひこばえ」を使って繁殖させる、「根栽農業」を母体とした「株分け」栽培にあるという。

● 縄文稲作は存在しない
● 古代「越」の滅亡とともに日本に渡来した稲作


日本は、土壌が適さない上、雑草が極めて多く、畑作にまったく適していない。水田以前に陸稲栽培は考えられない。当初は、苗代などはない。裏庭の湿地で、繁殖用「母株圃」から移植する「園芸的栽植」がおこなわれていた。装身具・薬として、ハトムギやイネが栽培されていたらしい。株分け繁殖は、自家受精と違い、変異の潜在力が高い。自然と多収穫品種へ改良が進んだという。その高い生産力によって、古代のタイ語系民族は、長江流域から東南アジア・アッサム地方へ向けて、活動の場を広げたらしい。彼らの栽培したイネは、野生イネと同じく長粒であるが、時代が下るにつれ短粒(今のジャポニカの起源)になっていった。

● ジャポニカ米からインディカ米が生まれ、水稲から陸稲(おかぼ)が生まれ 
   たのであって、その逆コースはたどれない
● 熱帯降雨林は、食料となる植物が少ない、人間の居住に適さない地域


1年生のイネで、刈りあがり(稔ると倒れる)の速さが特色のインディカ米。それは劣性遺伝子・遺伝子欠落で生じるもので、ジャポニカになれない。雑穀として栽培されていく過程で出現したものらしい。熱帯では、バナナ・キャッサバ・イネ以外は、新大陸起源のココナッツくらいしか食用にならないという。そんな中でタイ語系民族は、鶏・豚の飼育、淡水魚などの豊富な動物性タンパク質、野草と栽培植物の垣根のない多様な植物利用、水牛耕作などをとりいれて、マラリアが蔓延する熱帯の低湿地を開拓するのに極めて有利な生業体系を確立していったらしい。鵜飼、味噌、醤油なども、かれらの文化であるという。また日本へ渡来した越人は、水田稲作と漁業に従事する、移動性の高い集団であった。日本と東南アジア~華南一帯の密接な関係は、文化だけではなく雑草にも及ぶという。


● 雑穀のように栽培されるインド
● 稲作が可能にした「自作農維持・創設政策」


最初から「水田」として完成されていた、東アジアの稲作栽培。ここで、稲作の起源に畑作雑穀栽培を想定してしまうと、稲の卓越性がまったく浮かびあがらなくなる。陸稲では、まったく収穫があがらない。インド式池水灌漑は、雨季直前に畑に直播して、雨季になると畑が水没する、浮稲などを栽培する農業法であるが、水田と比べると1ヘクタール=2トン前後と、生産力ががた落ちになるらしい。いうなれば、2頭引き牛馬車による、畑作農業の延長にすぎないという。畜力が欠かせないため、さらに多くの耕地を必要とする、欧米型畑作農業(1家族30ヘクタール)。それに比べ、1家族の生存に必要な食料なら、わずか0.3ヘクタールですむ、日本。それは、大農法で農業労働者を組織化しなければならない畑作とはちがって、小作農による手の届く範囲に注意を行き渡らせ勤勉に働くそんな社会を作りあげたことをのべて、本書はおわる。

なにより感動させられたのは、「水田」―――連作可能性が極めて高い、肥料もいらない、雑草も生えない、土壌の流出がない、病害もすくない、豊凶が極めて小さい、単位当りの収量が極めて高い、灌漑水路建設で内陸漁撈と結合できる極めて有利な生業―――が「奇跡」ともよべる農業施設であることだろう。指摘されるまで思いも至らなかった。北回帰線は植生の境になるなどのマメ知識も、とても面白い。

それにしても、「雲南起源説」「照葉樹林文化論」が意外と根拠に乏しいことには驚愕させられてしまった。実は、遺伝的多型性を示すという理由から雲南起源説が唱えられたものの、雲南は熱帯から寒冷地まで含むため、ジャポニカからインディカまで繁殖しているからにすぎないという。ただ、いささか勇み足も多いのも、玉に瑕だろうか。徐福伝説が稲作伝来の説話といわれても眉唾だし、民族性論に帰結してしまうのも、ちょっと勘弁してほしい。そもそも紀元前4世紀頃、越人が水田稲作技術をもって日本に渡来したのならば、なにゆえタイ語系の言語が、日本各地に見られないのだろうか。この説明さえあれば、もっと説得力のある選書になっていたので惜しまれる。

とはいえ、東アジア農業史を理解するのに難渋した経験をもつ身としては、何でもっと早く出版されなかったのだ、と悔しい思いをさせられてしまったことだけは確か。これ先月の出版だから、2005年のベスト・テン資格があるんですよね。7位~10位には入れそうな作品だけに、とても残念。

みなさんも、ぜひご一読ください。


評価 ★★★★
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Last updated  Feb 14, 2006 09:17:07 PM
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