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カテゴリ:庭園
世界遺産で、御所とともに、京都のど真ん中にあり、歴史上の重要な出来事の時には、舞台になっていた二条城には、多分始めて訪れた。(小学生の時、来たかもしれないが・・笑)
二条城の生い立ちは、室町時代に溯るが、現在のように大きな敷地になったのは、徳川家康の京都の宿所となった頃であり、又、表舞台に出たのは、幕末から明治の篤姫、徳川家茂、徳川慶喜の大政奉還の頃なのでしょう。(テレビの影響?) それでは、写真を見て行きましょう。 二条城の廻りのお堀を渡るころには、外国人と日本人が半々位、沢山の観光客です。 東大手門から入ります 二の丸御殿に入る「唐門」 豪華な彫り物とキラキラした派手さ 額縁写真で、「二の丸御殿」(左)と「車寄せ」(右) 「車寄せ」の彫刻も豪華です。 「二の丸御殿」は撮影禁止なので、内部の写真はありませんが、訪問すれば、ウグイス張りの廊下を歩きながら、「勅使の間」、「式台の間」、大政奉還を発表した「大広間、一の間、二の間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」(内輪の仕事場)、「白書院」(居間、寝室)とともに、狩野探幽他、沢山の絵画、芸術品を見ることができる。 二の丸庭園への門 (池を中心とした書院造庭園で、最終的には、小堀遠洲作と言われている) 二の丸御殿と二の丸庭園 (この日は、雨模様だったので、御殿の障子戸がすべて閉じているので、すっきりしている) 右に「亀島」、中央に「蓬莱山」、それを結ぶ「石橋」 所々にある滝は、すべて二段落ちになっている。 この橋から「本丸」に入る 本丸庭園 右側は、本丸御殿 本来のものは、消失。 2代目の慶喜の住居となった御殿も撤去。 現在のものは、「旧桂宮邸の御殿」で、和宮さまが、家茂に嫁ぐ前1年8ヶ月暮らしたものだそうです。 天守閣のあった所 落雷で火災になり、再建はされなかった。 「清流園」手前の「七つ石」 茶室「和楽庵」を望む 「香雲亭」を望む 亀のような石(笑) お城散策も終わり頃になって、青空が見えてきた(笑) 最後に、再度「二の丸御殿」の豪華な巨大な屋根を見て、つくづく時の権力者の力の大きさを思い知る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.05 08:47:46
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