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カテゴリ:災害記録帳
長野県と岐阜県の境にそびえる御嶽山(3067m)が今日9月27日11時53分頃噴火した。紅葉時期の週末でもあり多くの登山者が山に入っており、山頂にもかなりの人がいた模様で、不意討ちの噴火に巻き込まれた人も多い。山小屋に避難した人も多いが、現時点で山頂付近の外に取り残されている人がいるのかどうかは分からないという状況。
これだけの登山者が噴火に巻き込まれる例は日本では稀だが、近年にいくつかの例がある。 1974年新潟焼山噴火 今から40年前にあたる1974年(昭和49年)7月28日午前2時50分頃、新潟県の糸魚川市と妙高市にまたがる焼山(2400m)が噴火、溶岩ドームの西北西および北北東斜面に小火口群が形成された。 水蒸気爆発により半径800mの範囲に噴石が落下、登山者(高山植物調査のためキャンプをしていた千葉大生)3人が死亡した。 北側(糸魚川市)の早川流域で土石流が発生した他、火山灰は上越市や妙高市に積もり、100km以上離れた福島県まで到達している。 焼山は約3000年前に誕生した国内でも比較的若い火山で、歴史時代以降では平安・鎌倉時代に2回、さらに1361年と1773年の計4回、マグマ噴火を起こしているが、火砕流が発生するような噴火は1773年が最後。1974年は水蒸気噴火でそれに比べれは規模は小さいが、登山者は噴石の直撃を受けて亡くなっている。 噴火後は入山規制が行われて1981年にいったん登山解禁となったものの、1987年に再度登山禁止となり、その後2006年にようやく入山規制が解除された。 <上:1974年新潟焼山火山の噴火による降灰の分布、下:1974年8月の焼山山頂付近(いずれも消防防災博物館HPより)> 1979年阿蘇山噴火 1979年9月6日、阿蘇山が噴火し、大量の噴石が観光客に降り注ぎ、死者3人、負傷者16人を出している。 阿蘇山は観光客でも火口見物ができる人気スポットである。この年の6月から活動が活発化して火口1km以内への立ち入りを禁止する規制が行われていた。 危険な状況になればさらに厳しい全面登山禁止の規制へ移行することになっているものの、観光業への配慮からなかなか実現しなかった。 爆発的噴火の起きる10日前から、火山性微動がほとんど記録されなくなっていた。阿蘇山は、火山性微動が弱まると、やがて大きな噴火に繋がる性質があり、微動が弱まった状況は噴火の前兆であったと考えられる。 当日、1km以内立ち入り禁止規制に従い火口西へ上るロープウェーは運休しており、登山道も通行止めとなっていた。 しかし、東側から火口へ上るロープウェーは普通に運行されていた。このため、交通アクセスが悪いにも関わらずロープウェーの火口東駅から展望台のある楢尾岳の間にいた観光客が噴石の直撃を受けたのだ。 当時NHK解説委員であった伊藤和明氏が調べたところ、気象庁が作成した地図ではロープウェー火口東駅も立ち入り禁止区域に入っていたが、地元の阿蘇火山防災会議協議会が作成した地図では駅は規制円の外側になっていたのだという。これは観光業へ配慮した結果だったのではないかと考えられている。 地元にとって火山は重要な観光資源であり、それを生業としている観光業者にとって規制は生活を直撃する。 一方で自然は容赦しない。噴火というごく普通の火山の(つまり地球の)営みが災害になるかならないかは人次第であることを示した事例といえる。 なお、阿蘇山の噴火による人的被害は戦後だけでも上記の他1953年(噴石等で観光客死者6名、負傷者90余名)、1958年(噴石等で死者12名、負傷者28名)のケースが記録されている。 <阿蘇山とロープウェーの位置関係(地理院地図より)> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.03.06 14:28:20
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