カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
日本では人に迷惑をかけたり、会社で不祥事を起こしたりすると必ず責任問題になります。
責任者は誰だ。顔を出せ。責任をとって謝罪しろ。責任をとって賠償しろ。という気持ちになりがちです。 その人がまかされている仕事や役目に対しては、当然果たすべき任務がある。 それを果たさなかったのだから、批難されても当然であると考えます。 二度と社会で日の目を見れないように奈落の底に落としてやるという気持ちである。 当然故意に人をだまして迷惑をかけた場合は、決して許されるものではない。 それなりの償いはしてもらわないといけない。 でも故意にではなく、うっかりミスや過失で人に迷惑をかけた場合はどうだろう。 現在の日本では、そういう人も敗者復活は難しい。 一生罪を償っていけ。相手を保護された仲間の輪から排除して外へ放り出してしまうのである。 永遠にダメ人間の烙印を背負わされて、不本意な人生を歩まざるを得ない。 これは相手を非難、脅迫して自分の考えを押し付ける「かくあるべし」が含まれている。 こうなると、ミスや失敗を恐れて挑戦しないほうが無難である。 人の目を意識して、他人の思惑を大切にする生き方になる。 リスクをとり責任を負って挑戦することは少なくなる。 そして最終的には、親や社会に依存して生きていくようになる。 仮に親や社会が不利益や不快感を与えると、自分はいつも被害者になるのである。 被害者は親や社会を逆恨みするようになる。 さらに生きがいを失い悶々とした生活に甘んじて生きるしか道は残されていない。 これは対人恐怖症の温床となる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.21 06:18:55
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